園丁であるイエス様は今日も十字架の血を携えてとりなしておられます。

5月5日

「すると園丁は答えて言った、『ご主人様、ことしも、そのままにして置いてください。そのまわりを掘って肥料をやって見ますから』。」ルカ13:8

 

ぶどう園の主人はイチジクの木を植えていました。しかし、実が実らないので切り倒すように命じました。イチジクの木は私たちのことです。いつまでも、神様のみこころに従わないで、自分勝手な生き方をしているゆえに、切り倒そうとしています。園丁であるイエス様は今日も十字架の血を携えてとりなしておられます。悔改めて、主のみこころに従い、実を結ぶ者となりましょう。(KE)

共に喜び泣くことの出来る方はイエス様以外にありません。

5月4日

「喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣きなさい。」ローマ12:15

 

美しい言葉です。名筆の書にして、飾っておくには最適ではないでしょうか。しかし、これを実行せよと言われると、不可能です。一見、出来そうに思われますが、「喜ぶ者と共に喜ぶ」ことすら、本当にそれが出来るか問われるなら、喜ぶ者を妬み、うらやむことしか出来ません。一方、「泣く者」と共に泣くことも困難です。共に喜び泣くことの出来る方はイエス様以外にありません。一歩でも、半歩でも、主に倣う者となるために、祈りつつ力をいただきましょう。(KE)

神様の恵みをいただく秘訣は全て私たちの態度にかかっています。

5月3日

「主はおのれを待ち望む者と、おのれを尋ね求める者にむかって恵みふかい。」哀歌3:25

 

神様は真実な方ですから、私たちが神様をどのように信頼するかによって答えてくださるのです。「あなただけです」と、一心になって信頼するならばそのように報いてくださいますが、軽くあしらい、他に頼るものがあれば、そのように応答されます。神様の恵みをいただく秘訣は全て私たちの態度にかかっています。心と思いを清めて真実に信頼し、神様の恵みと救いを体験しましょう。(KE)

 

主はあなたのすべてを分かち合うことができます。

5月2日

「主ご自身、試錬を受けて苦しまれたからこそ、試錬の中にある者たちを助けることができるのである。」ヘブル2:18

 

イエス様はよみがえって、わたしたちとともにいてくださいます。それは私たちを慰め、励まし、導き、守ってくださるためです。主は私たちと同じ試練を受け、同じ目線で同じ場所に立ってくださいます。家族であってもお互いの気持を理解することは困難ですが、主はあなたのすべてを分かち合うことができます。この方に信頼し、打ち明け、求め、従うなら、どんなに幸いなことでしょうか。(KE)

神様が喜ばれることは主を恐れ、そのご愛と恵みを信頼する人です。

5月1日

「主は馬の力を喜ばれず、人の足をよみせられない。主はおのれを恐れる者と、そのいつくしみを望む者とをよみせられる。」詩篇147:10-11

 

誰でも力のあるものを頼ろうとします。その結果、知力、経済力、政治力、軍事力など、「馬」や「足」の力を求めますが、それらは必ず失望に終わります。神様が喜ばれることは主を恐れ、そのご愛と恵みを信頼する人です。今日も、主の恵みを信じて信頼してください。(KE)

神様は心を探り、思いを知り尽くしています。

4月30日

「主であるわたしは心を探り、思いを試みる。おのおのに、その道にしたがい、その行いの実によって報いをするためである。」エレミヤ17:10

 

人は外見やうわべの様子で他人を知る以外に方法がありません。まして、その人の心がどんなであるかは分かりません。しかし、神様は心を探り、思いを知り尽くしています。ただ知っているだけでなく、その心と思いの結果について報われるのです。その意味で、神様は怖い方であり、侮るべきものではありません。神様の賞賛と報いを期待する歩みをしましょう。(KE)

恥も外聞もかなぐり捨てて主に感謝せずにいられなかったのです。

4月29日

「ダビデはミカルに言った、『あなたの父よりも、またその全家よりも、むしろわたしを選んで、主の民イスラエルの君とせられた主の前に踊ったのだ。わたしはまた主の前に踊るであろう』。」サムエル下6:21

 

ダビデ王は久しく奪われていた神の箱(契約の箱)をダビデの町に迎えました。彼は嬉しくて王の立場も忘れて箱の前で踊りました。今あるのは神様のただ恵みと憐れみによることを思って、恥も外聞もかなぐり捨てて主に感謝せずにいられなかったのです。私達はこれほどの感謝を主に奉げているでしょうか。(KE)

あなたが今信頼しているものは何でしょうか。

4月28日

「もろもろの君に信頼してはならない。人の子に信頼してはならない。彼らには助けがない。その息が出ていけば彼は土に帰る。その日には彼のもろもろの計画は滅びる。」詩篇146:3-4

 

朝顔が支柱を頼りに伸びていくように、人は必ず何かにすがらなければ立てません。神様はご自分を頼らなければ生きられないように人を造られたのです。ところが、人は頼りにならないものを頼るようになって、神様から離れました。その結末は「滅びる」だけです。あなたが今信頼しているものは何でしょうか。(KE)

主は「目をさましていなさい」と警告しています。

4月27日

「その日、その時は、だれも知らない。天の御使たちも、また子も知らない、ただ父だけが知っておられる。」マタイ24:36

 

世の終りの時がいつであるか、弟子たちの問いに答えた言葉です。各地でテロや地震によって多数の死傷者がでます。聞くたびに自分でなくて良かったと思いがちです。終りのときは全ての人に平等です。それは必ず来ます。ただ、遅いか早いかその時はわかりません。いつ、どのような事が起っても大丈夫と言える様に備えてください。主は「目をさましていなさい」と警告しています。(KE)

神様のなさることだから、疑う余地はありません。

4月26日

「彼はこの神、すなわち、死人を生かし、無から有を呼び出される神を信じたのである。」ローマ4:17b

 

私たちの信じる神様はどのような方でしょうか。ひ弱で、力のない、人の手を借りなければ何も出来ないものだったら、信じる値打ちがありません。死人を生かし、何もないところから造り出すことの出来る方、全能の神だから信じる価値があるのです。イエス様の誕生も、ご復活も、神様のなさることだから、疑う余地はありません。私たちの思いのなかで「神様のなさることだから」と控えるところを置いておきましょう。(KE)