8月24日
「主のおきては完全であって、魂を生きかえらせ、主のあかしは確かであって、無学な者を賢くする。主のさとしは正しくて、心を喜ばせ、主の戒めはまじりなくて、眼を明らかにする。」詩篇19:7-8
「おきて」「あかし」「さとし」と言われていますが、これらは聖書の言葉と理解してよいでしょう。みことばは神様の力、命、霊を私たちの魂に注いでくれる管です。ただし、正しく受け止めなければきちんと届きません。器である心を空っぽにして、低くする時、水のように溢れる恵みを頂くことが出来ます。(KE)
8月24日
「主のおきては完全であって、魂を生きかえらせ、主のあかしは確かであって、無学な者を賢くする。主のさとしは正しくて、心を喜ばせ、主の戒めはまじりなくて、眼を明らかにする。」詩篇19:7-8
「おきて」「あかし」「さとし」と言われていますが、これらは聖書の言葉と理解してよいでしょう。みことばは神様の力、命、霊を私たちの魂に注いでくれる管です。ただし、正しく受け止めなければきちんと届きません。器である心を空っぽにして、低くする時、水のように溢れる恵みを頂くことが出来ます。(KE)
8月23日
「主の使は彼女に言った、『あなたは女主人のもとに帰って、その手に身を任せなさい』。」創世記16:9
サライのつかえめハガルはアブラムによって身ごもりました。ところが、そのためにサライとハガルの間に反目が生じ、ハガルは苦しめられ、居たたまれず家を飛び出して荒野へ逃げます。時に、神様の使いはハガルに目を留め、この言葉をかけます。過酷な、厳しいことです。現実を逃避するのは簡単です。しかし、神様の言葉を信じて踏み出すのは覚悟がいりますが、神様はその結果を導き、受ける恵みは絶大です。(KE)
8月22日
「わたしはまたわが霊をあなたがたのうちに置いて、わが定めに歩ませ、わがおきてを守ってこれを行わせる。」エゼキエル36:27
ペンテコステの日に神様の霊、聖霊が弟子たちに注がれ、それによってすべての人々も霊を受けることができるようになりました。それはみ言葉にもあるように、神様の約束です。聖霊によらなければ正しい道を知ることも、みこころを悟ることも、それを行うこともできません。あなたが神様を信じるのも、イエス様をキリスト、救い主と告白することも、全て御霊の働きによるのです。(KE)
8月21日
「いのちの君を殺してしまった。しかし、神はこのイエスを死人の中から、よみがえらせた。わたしたちは、その事の証人である。」使徒3:15
わたし達の信仰はイエス様のよみがえりを信じるかどうかにかかっています。主がよみがえらなかったなら、信仰はむなしいものとなります。ところが、主のよみがえりを信じないことによって、私達は日々「いのちの君」を殺しているのではないでしょうか。主はよみがえって、死んでいた私を生かし、ともに生きてくださることを信じて、主に従いましょう。(KE)
「あなたがたは知らないのか。あなたがた自身が、だれかの僕になって服従するなら、あなたがたは自分の服従するその者の僕であって、死に至る罪の僕ともなり、あるいは、義にいたる従順の僕ともなるのである。」ローマ6:16
人は自分の力で歩むことができません。たえず何かに服従する存在です。神様がそのように造られたのですから。あなたは何に服従しているのでしょうか。自分に従うなら、あなたを占領しているサタンの僕です。イエス様に服従するなら、永遠の命を約束された義の僕となります。(KE)
8月19日
「どうか父が、その栄光の富にしたがい、御霊により、力をもってあなたがたの内なる人を強くして下さるように、」エペソ3:16
人の存在は二つの側面から成立しています。生活を営むための外的諸条件、すなわち「外なる人」と、心、精神、霊魂などで表す「内なる人」です。どんなに外的条件が整っていても、その人の「内なる人」が萎えていると生きることができません。「内なる人」を強くする方法は神様から力を受ける以外にないのです。今日も、祈って、神様の力、御霊を求め、満たされて生きてください。(KE)
8月18日
「しかし、わたしたちの国籍は天にある。そこから、救主、主イエス・キリストのこられるのを、わたしたちは待ち望んでいる。」ピリピ3:20
この前半はクリスチャンの墓碑銘として好まれます。確かに、死後、人が帰るべきところを示し、希望を与えてくれます。しかし、同時に現在の立場、状況をも明らかにしています。すなわち、この世は旅先であり、わたし達はそれぞれの持ち場・立場に派遣されているのです。やがて故郷へ連れ帰るためにイエス様が来られるまで、与えられた使命を果たすよう求められているのです。(KE)
8月17日
「今いまし、昔いまし、やがてきたるべき者、全能者にして主なる神が仰せになる、『わたしはアルパであり、オメガである』。」黙示1:8
世間ではことの始まり、原因は人の力やわざにあると思いがちです。不幸な目に会うと、誰々のせいだとか、あのこと、このことが原因だと言います。しかし、すべてのことの始まりは神様によるのです。また、終わらせるのも神様です。あなたの存在も、その終焉も、全てが神様によることを認めると、謙遜になることができ、肩から力を抜いて生きることが出来ます。(KE)
8月16日
「彼は、神が死人の中から人をよみがえらせる力がある、と信じていたのである。」ヘブル11:19a
アブラハムに待望の子イサクが与えられました。やがて神様はアブラハムにその子を生贄として奉げるように求めました。アブラハムにとって、大変な事態であり、試練でした。しかし、彼は敢然と神様の言葉に従ったのです。そのときの心情がこのみことばです。たとえ犠牲としてイサクを殺しても、神様は甦らせることが出来ると信じたのです。だから神様の言葉に従ったのです。神様への信頼がなんと大きなことでしょうか。(KE)
8月15日
「わたしはあなたがたの年老いるまで変らず、白髪となるまで、あなたがたを持ち運ぶ。わたしは造ったゆえ、必ず負い、持ち運び、かつ救う。」イザヤ46:4
最近は「製造物責任法(PL法)」といわれるものがあって、全ての製品は製造者が責任を持つことになっています。欠陥があったり、予期せぬ不具合で二次的損害が出ても製造者の責任が問われます。私達は全て神様の作品、いわば製造物です。ですから、自分の長所も短所も、全て神様の責任であって、あなたはただ主の手に握られ、持ち運ばれているのです。(KE)