たとえ聞いても、それに迷わされないように

8月14日

「イエスはその話している言葉を聞き流して、会堂司に言われた、『恐れることはない。ただ信じなさい』。」マルコ5:36

会堂司の娘が死にかかっていたので、イエス様はそこへ出かけました。すでに死んでいたため、周囲の人々はイエス様でも無理だと言いました。人は目の前の状態・状況に囚われて、人の言葉に揺れ動きます。このとき、イエス様は「聞き流して」おられます。たとえ聞いても、それに迷わされないように、聞き流して、神様を信じようではありませんか。(KE)

神様をもっと身近に感じることが出来ます

8月13日

「わたしは心をつくして主に感謝し、あなたのくすしきみわざをことごとく宣べ伝えます。」詩篇9:1

神様が私たちに求めておられることは、まず「感謝」することです。ただ、その感謝は人に対してではなく、また事情・境遇に対してでもなく、神様に感謝するのです。次は「あかし」することです。神様のわざを語ることです。日々の生活の隅から隅まで、主がどんなことをしてくださったか、事の大小を問わず、語ろうではありませんか。神様をもっと身近に感じることが出来ます。(KE)

「目で見て」「手でさわって」、体験して値打ちが分かるのです

8月12日

「初めからあったもの、わたしたちが聞いたもの、目で見たもの、よく見て手でさわったもの、すなわち、いのちの言(ことば)について…」第一ヨハネ1:1

天下の名刀と言われても実際に使ってみなければ真価がわかりません。信仰についても同様です。知識として聖書を知り、みことばを諳んじていても、実際に「目で見て」「手でさわって」、体験して値打ちが分かるのです。主は弟子達と生活しながらご自分を体験させました。今も、主は共に生活しながら、ご自身を手でさわらせてくださるのです。(KE)

自分の立場を明確にすることが大切です

8月11日

「わたしはあなたのわざを知っている。あなたは冷たくもなく、熱くもない。むしろ、冷たいか熱いかであってほしい。」黙示3:15

日本人は出来るだけ白黒をはっきりさせず、曖昧模糊とすることを好むようです。「和」を尊ぶには「とがったこと」が嫌われます。しかし、それは必ずしも正しいことではありません。「冷たいか熱いか」、自分の立場を明確にすることが大切です。そのため不利益を被ることもあるでしょうが、神様には喜ばれることですし、報いてくださいます。(KE)

自分に向けられた「危険信号」を見逃さないようにしましょう

8月10日

「イエスを裏切ったユダが答えて言った、『先生、まさか、わたしではないでしょう』。イエスは言われた、『いや、あなただ』。」マタイ26:25

ユダの失敗は特別なことではなく、私たちが日常的に体験することでもあります。人は自分がしようとすることが分かりません。また、それによって引き起こされる状況を把握できないのです。その結果、とんでもないことをしながら、事の重大さに気がつかないのです。そのような自分であることをしっかり自覚して、自分に向けられた「危険信号」を見逃さないようにしましょう。(KE)

僕たちはイエス様の求める理屈に合わないことでも、忠実に実行しました。

8月9日

「母は僕(しもべ)たちに言った、『このかたが、あなたがたに言いつけることは、なんでもして下さい』。」ヨハネ2:5

カナの村での婚宴で「ぶどう酒」がなくなったとき、マリヤさんは僕たちに理屈ぬきでイエス様の言葉に全く従うように命じました。それゆえ、僕たちはイエス様の求める理屈に合わないことでも、忠実に実行しました。もし、この言葉がなかったら、後に起った奇跡、「水がぶどう酒」になることはありえなかったでしょう。このことのキーポイントは僕たちの絶対服従です。あなたもイエス様に従うとき、奇跡を体験出来ます。(KE)

祈ってください。喜び、感謝できるようになります。

8月8日

「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって、神があなたがたに求めておられることである。」第一テサロニケ5:16-18

これは福音の恵みを受ける秘訣です。神様は困難なこと、無理なことを求めていません。私たちをなんとかして喜ばせ、楽しませ、輝かせようとしています。喜べない、感謝できないなら、祈ってください。喜び、感謝できるようになります。また、祈れないなら、どんなことでも感謝してください。かならず、祈れるようになり、喜びが伴います。(KE)

「みわざ」はごく身近な日々の出来事です。

「主に感謝し、そのみ名を呼び、そのみわざをもろもろの民のなかに知らせよ。主にむかって歌え、主をほめうたえ、そのすべてのくすしきみわざを語れ。」詩篇105:1-2

「みわざ」とは神様のなさった事ですが、天変地変や超自然現象などの奇跡を言うのではありません。確かに、よく考えると、奇跡というほかないのですが、「みわざ」はごく身近な日々の出来事です。あなたが今日生きていること、食べることができて、動き回ることができる。何をとっても、「みわざ」以外にありません。「主のわざです」と感謝し、語ろうではありませんか。(KE)

私達のことを全て知っている方は造物主である神様です。

8月6日

「神よ、どうか、わたしを探って、わが心を知り、わたしを試みて、わがもろもろの思いを知ってください。」詩篇139:23

「自分のことは自分が知っている」と思っているようですが、「灯台もと暗し」のごとく、案外知らないことが多いのです。私達のことを全て知っている方は造物主である神様です。また、人は「自分のことを誰も知らない」と言って孤独を感じ、不安を覚えます。そのため、人に知ってもらおうと願いますが、他人の思いや心を知ることは出来ません。しかし、神様が知っていることを自覚するとき、安心です。(KE)

自分の力でできませんから、神様に守ってもらうほかありません。

8月5日

「主よ、わが口に門守を置いて、わがくちびるの戸を守ってください。」詩篇141:3

これは私達の日々の祈りでもあります。「口は災いのもと」と言われるように、僅かな言葉の行き違いで争いが始まり、反目の原因ともなります。しかし、人は口を制することができません。感情に任せ、正義感に駆られて言わなくてもいいことを言って後悔するのです。そうならないために、自分の力でできませんから、神様に守ってもらうほかありません。今日も、柔らかい、人の徳を高める言葉を使うことが出来るように祈りましょう。(KE)