3月24日
「たとい人は百人の子をもうけ、また命長く、そのよわいの日が多くても、その心が幸福に満足せず、また葬られることがなければ、わたしは言う、流産の子はその人にまさると。」伝道6:3
人の幸福は何によって計るか。これは大切なことです。「足るを知る」ことこそ、幸いなことではないでしょうか。それを計る尺度は自分の外側にあるのではありません。人生の終りにあたって心から満ち足りて、感謝しつつ終わることが出来ればこれに勝る幸いはありません。そのような生き方を今日も続けようではありませんか。(KE)
3月24日
「たとい人は百人の子をもうけ、また命長く、そのよわいの日が多くても、その心が幸福に満足せず、また葬られることがなければ、わたしは言う、流産の子はその人にまさると。」伝道6:3
人の幸福は何によって計るか。これは大切なことです。「足るを知る」ことこそ、幸いなことではないでしょうか。それを計る尺度は自分の外側にあるのではありません。人生の終りにあたって心から満ち足りて、感謝しつつ終わることが出来ればこれに勝る幸いはありません。そのような生き方を今日も続けようではありませんか。(KE)
3月23日
「わが心のくずおれるとき、わたしは地のはてからあなたに呼ばわります。」詩篇61:2
自分の心の状態を見るとき、神様との距離があまりに隔たって近づきがたい思いがします。自分より清く、正しく生きる人々こそ、神様の近くにあると思われて失望しますが、どんなに遠く、地のはてのようであっても、神様を呼び求めなければおれません。神様は哀れみの尽きない方ですから耳を傾けてくださると信じるからです。「心のくずおれる」とき、すがるべき方はただ主のみです。(KE)
3月22日
「争いの初めは水がもれるのに似ている、それゆえ、けんかの起らないうちにそれをやめよ。」箴言17:14
家を灰にしてしまう火災も、初めは小さな火にすぎません。一息で吹き消せるようなものです。同様に、けんかやいさかいも始まりはごく些細なことですが、売り言葉に買い言葉、次第にエスカレートして収拾がつかなくなります。そうならないうちに、言いたい言葉を飲み込もうではありませんか。あなたが黙ってしまえばそれで消えてしまいます。相手を沈黙させることはできません。(KE)
3月21日
「愚かな者は心のうちに『神はない』と言う。彼らは腐れはて、憎むべき事をなし、善を行う者はない。」詩篇14:1
私たちも「神なし」と言わないまでも、気がつかないうちにそのような言動を取っているのではないでしょうか。神様を恐れる(または畏れる)ことはその人の生き方を決定する重要な要件です。「神はない」との前提で生きるなら、みことばのように腐敗と無秩序に陥るでしょう。神様がいらっしゃると信じるとき、人は人としての生き方がはじめてできるのです。あなたはどちらの生き方を選びますか。(KE)
3月20日
「ダビデはその日サウルを恐れて、立ってガテの王アキシのところへ逃げて行った。」サムエル上21:10
人は恐れに心が支配されると力を失い、弱くなります。ダビデは神様より、サウル王を恐れたのです。その結果、敵であるペリシテ人の国へ逃げます。私たちも周囲の状況や人の言葉で恐れるとき、惨めな結果となります。「完全な愛は恐れをとり除く」とあるように、十字架を見上げて、恐れに打ち勝ってください。(KE)
3月19日
「その時サムエルは一つの石をとってミヅパとエシャナの間にすえ、『主は今に至るまでわれわれを助けられた』と言って、その名をエベネゼルと名づけた。」サムエル上7:12
人々は心を一つにして神様に頼り、ペリシテ人との戦いに勝利した時、祭司サムエルは記念の石塚を立てました。それは戦勝記念碑や凱旋門ではなく、神様のみわざを感謝するものです。自分達の作戦や奮闘努力の結果ではなく、ただ神様の助けによる勝利であることをあかししたのです。毎週、日曜日毎の礼拝はこの石塚をすえるためです。(KE)
3月18日
「信仰の戦いをりっぱに戦いぬいて、永遠のいのちを獲得しなさい。」第一テモテ6:12a
「永遠のいのち」を得るには信仰を守り続けなければなりません。過去にどんなに立派な信仰があったとしても、今、それがなければ何の意味もありません。人生で信仰を続けることは容易なことではなく、様々な戦い(内にも外にも)に打ち勝って生涯を全うしなければなりません。しかし、その結果、受ける報いは「永遠のいのち」ですから、測り知れない価値があります。報いを望み見て、互いに励ましあい、ゴールを目指しましょう。(KE)
3月17日
「自分の物を自分がしたいようにするのは、当りまえではないか。それともわたしが気前よくしているので、ねたましく思うのか。」マタイ20:15
朝早くに雇われた人も、夕方に雇われた人も同じ額の賃金をもらった譬えが語られています。人の世では平等が尊ばれます。確かに人と人との関係ではそのとおりですが、人と神様との関係では通用しません。神様と私たちはそれぞれ一対一の契約であって、神様の取り扱いはひとりひとり違います。横の人と比べるのは意味のない事です。神様と「私」の関係をしっかり築いてください。(KE)
3月16日
「それは、どんな人間でも、神のみまえに誇ることがないためである。」第一コリント1:29
神様は常にご自身が主であることを求められます。そのため、この世の弱い者、軽んじられている者、無きに等しい者を選ばれたのです。なぜなら、彼らは誇るべきものはなく、神様に頼らなければどうにもならないものだからです。あなたが弱者であり、劣等生だと思うなら、感謝しようではありませんか。そのようなあなたを通して、神様は神様らしさを現してくださるのです。(KE)
3月15日
「神はその約束されたことを、また成就することができると確信した。」ローマ4:21
アブラハムの信仰について語った言葉ですが、「約束」の成就を信じることが信仰です。聖書は神様の約束の書です。約束はまた成就されなければ単なる「絵に描いた餅」にすぎません。そのためには約束した当事者が真実に実行する能力が問われます。しかし、神様はできない事のない方ですから、約束の実現を忍耐強く待つことが大切です。アブラハムは神様の約束を確信して待ち続け、結果を手にしました。(KE)