しかし、アブラハムは即座に応えます

6月26日

「彼は、神が死人の中から人をよみがえらせる力がある、と信じていたのである」。ヘブル11:19a

 信仰の父、アブラハムは長年願っていた子供イサクが与えられました。ある程度成長した可愛い盛りに、神様はイサクを燔祭の犠牲として捧げよと命じます。アブラハムの苦悩はいかばかりであったか、考えもおよびません。しかし、彼は即座に求めに応えます。彼はこの子を失っても、死人を生かす神は、必ずイサクをよみがえらせると信じたのです。徹底して、全能の神をアブラハムのごとく信じましょう。(KE)

今日の通読箇所

ネヘミヤ記 6章

ルカによる福音書4章

主は常にあなたの前で先導しておられます

6月25日

「信仰の導き手であり、またその完成者であるイエスを仰ぎ見つつ、走ろうではないか」。ヘブル12:2a

 信仰生活は長距離マラソンのようなものです。走者は先頭に走る人を見ながら走ると、楽になります。私たちに信仰を与え、長い人生を導かれるイエス様は、常にあなたの前におられて、先導しておられます。信仰を失うことなく、完成にまで至らせてくださるイエス様を見失う事のないように、御足の跡にしたがいましょう。(KE)

今日の通読箇所

ネヘミヤ記 5章

ルカによる福音書3章

今の時だけが確実な自分の時です

6月24日

「あなたがたは、あすのこともわからぬ身なのだ。あなたがたのいのちは、どんなものであるか。しばしの間あらわれて、たちまち消え行く霧にすぎない」。ヤコブ4:14

 確かに言われる通り、自分の人生であっても、自分ではどうにもなりません。そのような立場を忘れて、5年先、10年先を当然のごとく想定しているのはまことに滑稽な話です。私たちにとって、今生かされている時だけが確実な自分の時であることを自覚して、力をつくして今を生きようではありませんか。(KE)

今日の通読箇所

ネヘミヤ記 4章

ルカによる福音書2章

祈ることが出来ることは、大きな力です

6月23日

「あなたがたの中に、苦しんでいる者があるか。その人は、祈るがよい。喜んでいる者があるか。その人は、さんびするがよい」。ヤコブ5:13

 苦しんでいる人に何をもって慰めることができるでしょう。どんな言葉によるよりも、祈ることが出来ること、これは大きな力です。また、喜んでいるとき、主を賛美すること、これは喜びをしっかり自分のものとすることが出来ます。人生の喜怒哀楽、何につけても主のご愛と恵みに触れる時です。(KE)

今日の通読箇所

ネヘミヤ記 3章

ルカによる福音書1章

主の憐れみにすがるほかありません

6月22日

「来て、主のみわざを見よ、主は驚くべきことを地に行われた」。詩篇46:8

 かつてイスラエルがエジプトから解放された時、神様は海に道を開いて、民を救われました。その時の力ある神様は今も変わらず人の想像を超えたわざをなさいます。昨今の様々な異常と思える事態も神様の力によるものです。人は無能無力ですから、抵抗することはできません。ただ、主の大能の御手の下に自らを低くして、憐れみにすがるほかありません。今日も憐れみのうちに平穏な一日を過ごしましょう。(KE) 

今日の通読箇所

ネヘミヤ記 2章

マルコによる福音書16章

「おきて」は内に宿る主の霊です

6月21日
「『わが神よ、わたしはみこころを行うことを喜びます。あなたのおきてはわたしの心のうちにあります』と」。詩篇40:8

「みこころを行う」こと、これにまさる幸いはありません。人は自分の思いを遂げようと狂奔しています。しかし、その結果は空疎で、満たされることはありません。主の御心に従う時、心に満たされた平安と喜びがあり、望みが与えられます。「おきて」は内に宿る主の霊です。今日も内住の主の御声を聞きつつ、感謝に溢れる日を過ごしましょう。(KE)

今日の通読箇所

ネヘミヤ記 1章

マルコによる福音書15章

結局、神様の御手に支えられているのです

6月20日

「わたしがあけぼのの翼をかって海のはてに住んでも、あなたのみ手はその所でわたしを導き、あなたの右のみ手はわたしをささえられます」。詩篇139:9-10

 私たちは神様によって造られ、導かれて、今ある者です。だから、神様から離れることはできません。神様から離れて、自分で生きようとしても、結局、神様の御手に支えられているのです。今日も主はあなたのために一日を創造して、導かれます。たとえ自分の意に沿わない事があろうと、感謝して受けようではありませんか。(KE)

今日の通読箇所

エズラ記 10章

マルコによる福音書14章

深く知れば知るほど信頼は増してきます

6月19日

「わたしたちは主を知ろう、せつに主を知ることを求めよう」。ホセア6:3

 神様は万物の創造者、全能の神であり、愛に満ちた神様であると言われます。また、この方を信じ信頼することが何よりも幸いなことです。そのためにはまず相手である神様を知らなければ信じることも、信頼することもできません。勿論、神様のすべてを知ることなど不可能ですが、深く知れば知るほど信頼は増してきます。私たちは生涯をかけて神様を身近に知ることを努めて生きるのです。(KE)

今日の通読箇所

エズラ記 9章

マルコによる福音書13章

主にお会いして良いように、歩みませんか

6月18日

「だから、目をさましていなさい。その日その時が、あなたがたにはわからないからである」。マタイ25:13

 花婿を迎えに出た10人の娘の話です。花婿の到着が遅れて、居眠り、やがて到着の声。気が付くと明かりが消えかかっていた。5人の娘は予備の油を持っていたので間に合いましたが、他の娘たちは慌てて買いに行きますが、間に合わず締め出されます。さて、あなたはどちらの娘でしょうか。いつでも主にお会いできるよう、御霊の光に照らされて日々歩もうではありませんか。(KE)

今日の通読箇所

エズラ記 8章

マルコによる福音書12章

現実に心がつぶされそうな時、祈る事です

6月17日

「あなたがたは弱った手を強くし、よろめくひざを健やかにせよ」。イザヤ35:3

 日々、元気溌剌、力強く生きたいと願います。しかし、願いつつもそのように続きません。次々と心配や思い煩い、怒りや失望落胆に心が萎えてしまいます。現実の事象に心が押しつぶされた結果です。そのような時、力を得るには祈ることです。心にあるすべてを主に打ち明けましょう。繰り返し祈り続ける時、内なるものはリフレッシュされて、元気が湧いてきます。(KE)

今日の通読箇所

エズラ記 7章

マルコによる福音書11章