11月21日
「主よ、わが口に門守を置いて、わがくちびるの戸を守ってください。」 詩篇141:3
「口は災いの元」とも言われます。言い足りなくて失敗することは余りありませんが、言い過ぎて大火事になることが多いのです。しかし、人は口を制することが難しく、みことばのように、神様に守っていただく以外にありません。また、「物言わぬは腹膨れるわざ」とも言います。言いたいことを言わないでおくとフラストレーションが溜まります。そのとき、人に言わず、神様に心の全てを注ぎ出すのです。これは実に爽快です。(KE)
11月21日
「主よ、わが口に門守を置いて、わがくちびるの戸を守ってください。」 詩篇141:3
「口は災いの元」とも言われます。言い足りなくて失敗することは余りありませんが、言い過ぎて大火事になることが多いのです。しかし、人は口を制することが難しく、みことばのように、神様に守っていただく以外にありません。また、「物言わぬは腹膨れるわざ」とも言います。言いたいことを言わないでおくとフラストレーションが溜まります。そのとき、人に言わず、神様に心の全てを注ぎ出すのです。これは実に爽快です。(KE)
11月20日
「罪を犯す魂は死ぬ。子は父の悪を負わない。父は子の悪を負わない。義人の義はその人に帰し、悪人の悪はその人に帰する。」エゼキエル18:20
神様の裁きはどこにも曖昧さのない、きっちりしたものです。罪を犯すとき、神様との交わりが絶たれ、「魂」は死にます。また、人はそれぞれのしわざに応じて報われ、誰もそれに加えることも、引くことも出来ません。たとえ、親子、肉親同士であっても。そのような神様が御子を世に降し、贖いの犠牲としたのです。神様はあなたが救われるのを待って忍耐しておられます。(KE)
11月19日
「わたしはわが名を呼ばなかった国民に言った、『わたしはここにいる、わたしはここにいる』と。」イザヤ65:1b
神様は私たちにご自身を知ってもらいたいと願っています。ですから、すべての被造物のなかに、神様は「ここにいる」としるしを残しています。まるで「かくれんぼ」をしているように。はやく気づいてほしいと待っているのです。しかも、すっかり隠れるのではなく、見つけやすいように隠れています。神様の霊に導かれて、こころの目が開かれれば、神様を見ることができます。(KE)
11月18日
「苦しみにあったことは、わたしに良い事です。これによってわたしはあなたのおきてを学ぶことができました。」詩篇119:71
苦しみにあうことは、不幸なことであり、悲しむべきことだと世間の人は言います。しかし、ここには「良い事」と言われています。その本意は神様を知ることができたからです。神様に出会い、知ることができるのは、人にとって最高の恵みです。苦しみにあうとき、人は心砕けたものとなり、謙遜に神様を求めますが、順調なとき、幸いな時、神様を求めません。神様に出会う者となってください。(KE)
11月17日
「しかし、イエスはすぐに彼らに声をかけて、『しっかりするのだ、わたしである。恐れることはない』と言われた。」マタイ14:27
ガリラヤ湖で逆風にあい、進めずにいた弟子達の舟に、夜明けごろイエス様が近づいてこられました。彼らは幽霊だと怖じ惑いましたが、主は声をかけて彼らを元気付けました。イエス様はいつも私たちと共にいてくださる方です。それはどんな境遇・状況にあっても、私たちを助けてくださるためなのです。一人で悩まず、主を信じて祈り求めてください。必ず、主は答えてくださいます。(KE)
11月16日
「目を高くあげて、だれが、これらのものを創造したかを見よ。」イザヤ40:26a
神様を信じると言いながら、どのような方だと信じているのでしょうか。聖書が伝える神様は天地万物の創造者、全知・全能なる神、時間空間を越えて存在しておられる方です。と言われても、具体的なことは何ひとつ分りません。人の知識では到底知り尽くせない方ですが、神様はご自分を知って欲しいと願っています。そのため、いろんな事件や事態、事柄の中にその片鱗を現しておられます。心の目をひらいて、神様を発見してください。(KE)
「われらにおのが日を数えることを教えて、知恵の心を得させてください。」 詩篇90:12
この地上での生涯は永遠に続くものではありません。必ず、終わる時がきます。ただ、それがいつであるか、だれも知りません。そのため、いつまでも続くものと錯覚しています。始まりと終りを知って、今がどのような時であるかを自覚することが大切です。ある人の歌に、「今は人生の何章目だろうか」という言葉がありましたが、あなたはそれを知っていますか。(KE)
11月14日
「すべてのことは、あなたがたの益であって、恵みがますます多くの人に増し加わるにつれ、感謝が満ちあふれて、神の栄光となるのである。」第二コリント4:15
神様が私たちに願っていることは、私たちが喜び、感謝し、輝いて日々を生きることです。神様はそのような私たちを見たいと願っているのです。「神の栄光」とはまさにそのような小さなことであって、決して異常現象や人を驚かせるような事ではありません。神様のみこころはご自分の栄光をあらわすことであり、それはまた私たちを幸いにすることでもあります。(KE)
11月13日
「このように、わたしたちは、信仰によって義とされたのだから、わたしたちの主イエス・キリストにより、神に対して平和を得ている。」ローマ5:1
神様と平和な関係ができるとき、人ははじめて安心、平安を得ることが出来ます。私達はあからさまに神様と敵対してはいませんが、気がつかないうちに神様に憤っているのです。自分の力や知恵でどうにもならない事態や境遇を受け入れられずにいます。「どうして」と憤慨する相手は神様であることを知るべきです。神様の前に被造物であることを認めて謙りましょう。(KE)
「わたしは命と死および祝福とのろいをあなたの前に置いた。あなたは命を選ばなければならない。」申命記30:19bc
私たちの日々の生活はたえず選択と決断が迫られます。選択するにあたって、何を基準に選ぶか、それによって結果が違ってきます。損得利害によるのか、義理人情によるのか、自分の好き嫌い、感情によるのか、それとも、命と祝福に至るようにと、神様のみこころに従うのか、自らの思いを吟味したいものです。命に至る道は狭く、行く人もわずかですが、そこにこそ幸があります。(KE)