信仰もまた同様に、眺めているだけでは結果を得られません。

7月11日

「話がすむと、シモンに『沖へこぎ出し、網をおろして漁をしてみなさい』と言われた。」ルカ5:4

「虎穴に入らずんば、虎子を得ず」といわれます。漁をするにも沖へ出なければ得られません。しかし、沖へ出ても収穫があるかどうか、何の保証もありません。ただイエス様の言葉を信じて従うかどうかにかかっています。信仰もまた同様に、眺めているだけでは結果を得られません。みことばを信じて、今立っているところから、さらに沖へ出るとき、結果が得られます。(KE)

すべての人は等しく神様の作品であり、「よいもの」です。

7月10日

「すると、声が二度目にかかってきた、『神がきよめたものを、清くないなどと言ってはならない』。」使徒10:15

ペテロは夢のなかで、さまざまな動物が入ったものが天から降りてくるのを見ました。神様は彼にほふって食べよと言われました。しかし、長年、清いもの、汚れたものと定められた律法によって生きてきたので、躊躇しました。私達の社会や生活にもさまざまな差別がはびこっています。しかし、すべての人は等しく神様の作品であり、「よいもの」です。そのなかに差別や偏見を持ち込むのは神様への反逆です。(KE)

思い煩うことはないのです。

7月9日

「わが神、主よ、あなたのくすしきみわざと、われらを思うみおもいとは多くて、くらべうるものはない。わたしはこれを語り述べようとしても多くて数えることはできない。」詩篇40:5

私達は神様からどれほど沢山の恵みをいただいているか、はかり知ることができません。神様は絶えず私たちに目を留め、必要なもの、欠けたものはないかと心を配り、先々まで計画しておられます。だから、思い煩うことはないのです。あなたの生活に、家族に、仕事に、どんな事にも、「みわざ」と「みおもい」を探り知ってください。(KE)

神様はご自分の民を守られるからです。

7月8日

「わたしは、むかし年若かった時も、年老いた今も、正しい人が捨てられ、あるいはその子孫が食物を請いあるくのを見たことがない。」詩篇37:25

「正しい人」とは、神様に信頼し、御心にかなう者のことです。神様は今も生きておられる方、報いてくださる方です。信頼する者を裏切ることはありません。自分の力と努力で命を永らえようとする時、正しい道を歩むことが出来ませんが、主に信頼して、忠実に従う生涯は決して乏しいことなく、辱められることはありません。神様はご自分の民を守られるからです。(KE)

「まことの光」はみことばを通して注がれます。

7月7日

「だから、あなたの内なる光が暗くならないように注意しなさい。」ルカ11:35

心が明るくなるときはどんなときでしょうか。希望があるとき、優しさに出会うときなど、いろいろありますが、人生にあってはいつも明るくというわけにいきません。苦しみ、悩み、失望など、漆黒の闇に閉ざされるときがあります。しかし、そのような雲に覆われても、消えることのない光が輝いています。それが「まことの光」と言われるイエス様です。「まことの光」はみことばを通して注がれます。事情・境遇がどうあっても、この光は消えることがありません。(KE)

神様を信じるとは、神様はどんなことでも出来ますと信じることです。

7月6日

「イエスは言われた、『石を取りのけなさい』。」ヨハネ11:39a

イエス様の親しいラザロは死んで墓に葬られました。主が来られたとき、四日も経って、家族のマルタ、マリヤは悲しみにくれていました。生きているうちにイエス様が居てくれたら、死ななかったに違いない。しかし、死んでしまったから、もはや何も出来ないと思いました。主は「石を取りのけなさい」と命じました。主は神でいらっしゃいます。しかも全能の神です。神様を信じるとは、神様はどんなことでも出来ますと信じることです。不信仰の「石」を取りのけましょう。(KE)

信仰に生きる道は楽なようですが、そうとは言えません。

7月5日

「信仰の戦いをりっぱに戦いぬいて、永遠のいのちを獲得しなさい。」第一テモテ6:12a

信仰に生きる道は楽なようですが、そうとは言えません。「信仰の戦い」とあるように、まさに戦争です。日本にキリスト教が伝えられたとき迫害をうけました。そのような意味でも戦いですが、今はむしろ真の意味での「信仰の戦い」があります。それは自分の内にあるもの、自我、自己中心性などとの戦いであり、この世のさまざまな勢力との戦いです。神様から力を与えられて、自分に勝ち、世に勝つ者となりましょう。(KE)

 

「種は神の言(ことば)」です。

7月4日

「良い地に落ちたのは、御言を聞いたのち、これを正しい良い心でしっかりと守り、耐え忍んで実を結ぶに至る人たちのことである。」ルカ8:15

イエス様の「種まきのたとえ」の一節です。「種は神の言(ことば)」です。種は畑の土に埋められ、根をのばし、芽を出し、成長します。私たちの心は畑ですが、耕され、良い地にならなければ、まかれた種は成長しません。また、種が実を結ぶまで、どんなことがあっても耐え忍ぶ事が必要です。聖書の言は命が秘められているから、言葉をしっかり守って結果を待ちましょう。(KE)

「自分がしている」のではなく、神様が「させておられる」と信じることです。

7月3日

「すべてのことを、つぶやかず疑わないでしなさい。」ピリピ2:14

周囲の人の目には自信たっぷりに見えても、自分のしていることに自信がもてないことがしばしばあります。これでいいのだろうかと疑いつつやっています。その原因は知恵、知識、能力、経験など、自信になるものがないからです。それらに秀でている人でも、決して自信に溢れているわけではありません。自信をもって生きるには、「自分がしている」のではなく、神様が「させておられる」と信じることです。(KE)

あなたの人生はキリストのものとなっていますか。

7月2日

「そして、彼がすべての人のために死んだのは、生きている者がもはや自分のためにではなく、自分のために死んでよみがえったかたのために、生きるためである。」第二コリント5:15

この言葉はイエス様の救いが何であるかを語ったものです。イエス様を信じる時、自分の生きる目的が変ります。十字架の死によって自分の過去が抹殺され、主のよみがえりの命に生きる生涯となります。私達はキリストのために生き、キリストのものとなり、キリストのために死ぬのです。あなたの人生はキリストのものとなっていますか。(KE)