従う者は、願い通りでなくても背かない

2月10日
「たといそうでなくても、王よ、ご承知ください。わたしたちはあなたの神々に仕えず、またあなたの立てた金の像を拝みません」。ダニエル3:18

 ネブカデネザル王に愛されたヘブルの三青年をねたむ者たちは、金の像をつくり、これを拝ませようとしました。しかし、彼らは断固として拝まず、捕らえられ、火の燃える炉に投げ込まれことになったときの言葉です。神様はどんなことでもできる方、しかし自分の願い通りでなくても、主に背くことはしない。これこそ真実に主に従う者の姿です。(KE)

今日の通読箇所

サムエル記 下 15章

エペソ人への手紙3章

陶器師の手に握られた粘土は幸いです

2月9日
「イスラエルの家よ、陶器師の手に粘土があるように、あなたがたはわたしの手のうちにある」。エレミヤ18:6b

 陶器師は粘土を用いて、自由自在、意のままに作品を造ります。出来上がりが気にいらなければ、ろくろのうえで潰して作り変えることができます。創造者である神様も陶器師のように私たちを自在に作り変えることができます。陶器師の手に握られた粘土は幸いです。より一層、陶器師の意にかなうものとしてもらえるのですから。あなたも主の手にある粘土です。(KE)

今日の通読箇所

サムエル記 下 14章

エペソ人への手紙2章

自分で手が付けられないほど心が変ります

2月8日
「心はよろずの物よりも偽るもので、はなはだしく悪に染まっている。だれがこれを、よく知ることができようか」。エレミヤ17:9

 変りやすいものとして、秋の空などと言われますが、人の心ほどあてにならないものはありません。時には自分の心でありながら、どうにも手が付けられないほど変ります。自分の力で納めようとしても太刀打ちできません。ただ、万物の創造者である神様に握っていただくほかありません。今日も主のご支配に心を委ねましょう。(KE)

今日の通読箇所

サムエル記 下 13章

エペソ人への手紙1章

神の栄光の存在として、人は造られました

2月7日
「わたしはあなたを、まったく良い種のすぐれたぶどうの木として植えたのに、どうしてあなたは変って、悪い野ぶどうの木となったのか」。エレミヤ2:21

 神様の嘆き。光なる神様の栄光を輝かす存在として、人は造られたものです。しかし、サタンの誘惑に負けた人の心に悪が忍び込み、良き種を駆逐し、悪しき種がはびこり、人は無残なものとなりました。良きぶどうの木であるイエス様につながるほか、悪に打ち勝つ道はありません。自らを省みて、主のもとに帰ろうではありませんか。(KE)

今日の通読箇所

サムエル記 下 12章

ガラテヤ人への手紙 6章

神様を呼び求めることは心強い事です

2月6日
「わたしの悩みの日にわたしはあなたに呼ばわります。あなたはわたしに答えられるからです」。詩篇86:7

 悩みや苦しみに会い、四面楚歌、頼む者なき孤独の中で、神様を呼び求めることができるのはどれほど心強いことでしょう。呼べども答えのない相手であれば、何の力にもなりません。しかし、命まで捨てて愛して下さる主は、苦しみ呼ばわる私たちを見捨てることはなさいません。(KE)

今日の通読箇所

サムエル記 下 11章

ガラテヤ人への手紙 5章

神は共におられ、守り導いてくださいます

2月5日
「昼は雲をもって彼らを導き、夜は、よもすがら火の光をもって彼らを導かれた」。詩篇78:14

 イスラエルの民がエジプトを出て、荒野を旅する間、神様は彼らと共におられて、守り導いてくださいました。神様はご自身の臨在を表すために、昼は雲の柱、夜は火の柱をもちいました。今は雲や火ではありませんが、主の十字架を立てて、神様が共にいる(臨在)ことを示しています。今日もあなたの進む道を導き示しておられます。(KE)

今日の通読箇所

サムエル記 下 10章

ガラテヤ人への手紙 4章

目に見えない疲れが心をむしばむのです

2月4日
「神を求める者よ、あなたがたの心を生きかえらせよ」。詩篇69:32b

 私たちの目に見えるところは日々にかわり、それにつれて心もころころと変わります。そのため目に見えない疲れが心をむしばむのです。気が付かないうちに、生ける屍のように生気を失い、気力も失せてしまいます。そのような弱い自分を認めて力の源なる神様にすがり、求めようではありませんか。あなたの心を強くするのは神様以外にありません。(KE)

今日の通読箇所

サムエル記 下 9章

ガラテヤ人への手紙 3章

しばしば生じる軋轢は不用意な一言です

2月3日
「主よ、わが口に門守を置いて、わがくちびるの戸を守ってください」。詩篇141:3

 人間関係において、しばしば生じる軋轢は主に言葉によるものです。不用意な一言によって、長年の友情が壊れる事すらあります。しかし、言葉を制することほど困難なこともありません。どんなに気をつけていても、失敗します。自分のことながら、悪魔に乗じられないために、神様に言葉の根である心を支配してもらいましょう。(KE)

今日の通読箇所

サムエル記 下 8章

ガラテヤ人への手紙 2章

神のなさる事だろうかと思う事があります

2月2日
「主はそのみこころにかなう事を、天にも地にも、海にもすべての淵にも行われる」。詩篇135:6

 天地創造以来、万物は神様のみこころによって、持ち運ばれています。しかし、時には神様の御心が何であるか、これが神様の為さる事だろうかと思うことがあります。それは神様の御心は広く、高く、深くて、私たちがすべてを知りえないからです。今日の短い一日すらも、神様の御心によって導かれています。しかし、その中身は知ることができません。(KE)

今日の通読箇所

サムエル記 下 7章

ガラテヤ人への手紙 1章

努力した者が収穫の喜びを味わえます

2月1日
「涙をもって種まく者は、喜びの声をもって刈り取る」。詩篇126:5

 何事も徒労に終わることはむなしくなります。努力が報われないわけです。と言って、何もしなければ、報いもありません。畑を耕し、種をまき、水やり、肥料、草取りなど、たゆまず努力した者こそ、収穫の喜びを存分に味わうことができます。それは神様の報いだからです。(KE)

今日の通読箇所

サムエル記 下 6章

コリント人への第二の手紙13章