1月31日
「あなたは人をちりに帰らせて言われます、『人の子よ、帰れ』と」。詩篇90:3
人の一生は自分で決めることができません。私たちをこの世に送り出された神様がまた終わらせてくださいます。物質としての人は死と共に朽ち果てますが、内に秘められた霊魂(たましい)は神様のもとに帰ります。その時まで、それがいつであるか分かりませんが、与えられた命の限りを生き抜いてください。それが私たちの使命だからです。(KE)
今日の通読箇所
1月31日
「あなたは人をちりに帰らせて言われます、『人の子よ、帰れ』と」。詩篇90:3
人の一生は自分で決めることができません。私たちをこの世に送り出された神様がまた終わらせてくださいます。物質としての人は死と共に朽ち果てますが、内に秘められた霊魂(たましい)は神様のもとに帰ります。その時まで、それがいつであるか分かりませんが、与えられた命の限りを生き抜いてください。それが私たちの使命だからです。(KE)
今日の通読箇所
1月30日
「わが魂はもだしてただ神をまつ。わが救は神から来る」。詩篇62:1
危急の事態が起こると、人はうろたえて右往左往して、落ち着きません。しかし、どんなに慌てても、事態は動きません。そんなことよりも、思いがけない今も事態も、神様の御手に握られていることを信じて、黙って神様の時とわざを待つ。自分の時と自分の考えるわざに固執するとき、神様が見えなくなります。主の手を信じて、泰然自若、座して結果を待ちましょう。(KE)
今日の通読箇所
1月29日
「神はわれらの避け所また力である。悩める時のいと近き助けである」。詩篇46:1
神様は私たちから遠く離れておられるのではなく、いつも「共に」おられ、求められるのを待っておられます。悩みの時、力なきとき、孤独な時など、どんなときにも主はあなたを助けたいと用意しています。遠慮なく、どんな時でも、どんな事でも、主のもとに持ち出してください。(KE)
今日の通読箇所
1月28日
「そのとががゆるされ、その罪がおおい消される者はさいわいである」。詩篇32:1
家内安全無事息災、家族が健康で、仕事も学業も順調、家庭円満など、これこそ幸せな人だと思われますが、真の幸せとは心に咎められるもののないことです。人には誰でも生きる過程で多少なりともすねに傷を持つものです。イエス様は私たちの罪とが一切を、事の大小多寡に関わらず、十字架によってすべてを完全に消し去ってくださいました。感謝。(KE)
今日の通読箇所
1月27日
「たといわたしたちの外なる人は滅びても、内なる人は日ごとに新しくされていく」。第二コリント4:16
歳を取るとともに、身体的な力、生活力などが急速に衰えてくるのを感じます。そうなると、心までが力を失い、哀れなものになってしまいます。原因は普段の生活で、体の健康や、生活の豊かさばかりに心を向けているから、内なるものも共倒れです。そうならないために、常々、神様の霊に満たされ、神様の力にしっかり連なっておきましょう。(KE)
今日の通読箇所
1月26日
「もし人が、自分は何か知っていると思うなら、その人は、知らなければならないほどの事すら、まだ知っていない」。第一コリント8:2
知識は人を高慢にするようです。ことに最近の情報化社会では誰よりも早く、また誰よりも多くのことを知っていることを自慢しますが、神様の目には無知蒙昧な者にしか見えないでしょう。神様を前にして、自分の思いを探ってみてください。何一つ自慢できるものはありません。すべての知恵も知識も主から出たものですから。(KE)
今日の通読箇所
1月25日
「時は夜であった」。ヨハネ13:30b
最後の晩餐の席で、イエス様ははっきりと裏切る者がいるといわれます。弟子たちの間に動揺が広がります。その中にユダもいました。主ははっきりとイスカリオテのユダに「あなただ」と名指しされますが、サタンに捕らわれた彼には聴く耳がありません。夜の闇に消えていきます。「悪を行っている者はみな光を憎む」と言われます。あなたの心に光がさしていますか。(KE)
今日の通読箇所
1月24日
「なぜなら、わたしはひとりではなく、わたしをつかわされたかたが、わたしと一緒だからである」。ヨハネ8:16b
イエス様は父なる神の右に座しておられた神と等しい方です。そのような御子が人の世に使命を帯びて遣わされました。この世に在りし日々、戦いの連続でしたが、その中で主の慰めと力になったのは、父なる神様が常に、共におられたことです。そのように、主は私たちといつも、どこにでも一緒におられるのです。今日もあなたと共に。(KE)
今日の通読箇所
1月23日
「イエスは言われた、『わたしもあなたを罰しない。お帰りなさい。今後はもう罪を犯さないように』」。ヨハネ8:11
罪を犯した現場で捕らえられた女がイエス様のところに連れられてきました。イエス様は罪なき者がこの女に石をうてと言われただけです。しばらくして、主は問います、「誰もいないのか」と。人が人を裁くことはできません。ただ神様のみが裁かれます。イエス様はこの女を許してくださいました。神様の許しを与えるのがイエス様の使命だからです。(KE)
今日の通読箇所
1月22日
「人を生かすものは霊であって、肉はなんの役にも立たない」。ヨハネ6:63a
“生きる“とはどのような状態をあらわすのでしょうか。五体満足、健康にも恵まれて、普通に生活できることでしょうか。ただそれだけなら、何のための人生でしょうか。私たちが生きるのは、創造者なる神様と共に生きるためです。神様の霊が私たちを包み、力と知恵、愛と平安、喜びを与えてくださいます。(KE)
今日の通読箇所