1月22日
「人を生かすものは霊であって、肉はなんの役にも立たない」。ヨハネ6:63a
“生きる“とはどのような状態をあらわすのでしょうか。五体満足、健康にも恵まれて、普通に生活できることでしょうか。ただそれだけなら、何のための人生でしょうか。私たちが生きるのは、創造者なる神様と共に生きるためです。神様の霊が私たちを包み、力と知恵、愛と平安、喜びを与えてくださいます。(KE)
今日の通読箇所
1月22日
「人を生かすものは霊であって、肉はなんの役にも立たない」。ヨハネ6:63a
“生きる“とはどのような状態をあらわすのでしょうか。五体満足、健康にも恵まれて、普通に生活できることでしょうか。ただそれだけなら、何のための人生でしょうか。私たちが生きるのは、創造者なる神様と共に生きるためです。神様の霊が私たちを包み、力と知恵、愛と平安、喜びを与えてくださいます。(KE)
今日の通読箇所
1月21日
「イエスは彼に言われた、『起きて、あなたの床を取りあげ、そして歩きなさい』」。ヨハネ5:8
38年間もの長い闘病生活をしていた彼は、ベテスダの池の水が動くのを待ち続けていました。イエス様がその人に「なおりたいのか」と声を掛けます。彼は病気が癒されない理由をあれこれ述べます。しかし、主はそれらの言葉を聞き流して、言われました。人は出来ない、変われない理由や屁理屈を並べて同じところにとどまります。今も主はあなたがどんな境遇にあろうと、激変させることができます。ただ、あなたが主の言葉に従うならば。(KE)
今日の通読箇所
1月20日
「サムエルは言った、『主はそのみ言葉に聞き従う事を喜ばれるように、燔祭や犠牲を喜ばれるであろうか』」。サムエル上15:22a
イスラエル王国の王となったサウロに、アマレク人を皆殺しにするよう命じます。戦いに勝利しますが、しかし、彼は民の言葉にしたがい、家畜などを分捕ってきます。そのときサムエルが語ったのがこの言葉です。神様の喜ばれることは素晴らし燔祭や犠牲を捧げることではなく、ただ神様の言葉に従う事です。やがてサウロ王は王位から外されます。(KE)
今日の通読箇所
1月19日
「わらべサムエルは主の前で育った」。サムエル上2:21b
ハンナは与えられた男の子が乳離れしたとき、主に約束した通りにサムエルを神様に捧げます。それが祈りのうちに神様に誓ったことだったからです。彼は祭司エリの下で神殿に寝泊まりをすることになります。やがて彼はイスラエル王国の精神的指導者と言うべき重要な働きをすることになります。神様のご計画は深慮遠謀、人の想像を超えた筋書きです。(KE)
今日の通読箇所
1月18日
「ただ主の前に心を注ぎ出していたのです」。サムエル上1:15
ハンナには子がいませんでした。シロの神殿で礼拝したとき、彼女は積もる憂いと悩みを主の御前で祈っていました。祭司エリは彼女が酒にでも酔って、つぶやいているのかと思って声を掛けました。まさに祈りの神髄と言うべき姿です。祈りは単なる口先の言葉ではなく、「心を注ぎ出す」ことです。まさに体当たりの祈りです。その結果、彼女の顔は悲しげではなくなりました。さらに時が来て、男の子が与えられます。祈りの力です。(KE)
今日の通読箇所
1月17日
「彼はろばの新しいあご骨一つを見つけたので、手を伸べて取り、それをもって一千人を打ち殺した」。士師15:15
ペリシテ人が攻めてきたとき、主の霊が激しくサムソンに臨んだので、彼は手近にあったロバの顎骨を握って、敵を打ち破りました。顎骨は武器になるようなものではありませんが、神様の力を受けたサムソンに握られた時、思いがけない働きをします。同様に、あなたがどんなに弱く、小さくても、力ある神様の手に握られる時、事態は一変します。(KE)
今日の通読箇所
1月16日
「主がイスラエルの家に約束されたすべての良いことは、一つとしてたがわず、みな実現した」。ヨシュア21:45
人は不真実ですから、気分に応じて言説が変わります。だから、神様も同じように気まぐれで、信用ならんと言うのは大きな間違い。神様は真実にして、ご自分をいつわることができません。カナンの地をめぐって約束された神様の言葉は成就しました。今も、聖書を通して約束されることは、実現しています。(KE)
今日の通読箇所
1月15日
「あなたがたが、その滅ぼされるべきものを、あなたがたのうちから滅ぼし去るのでなければ、わたしはもはやあなたがたとは共にいないであろう」。ヨシュア7:12b
主の民は、弱小の村アイを攻めますが、惨敗します。その原因は民の一人が神様の言葉に背いて、罪を犯したためです。人々は罪を犯した者を処分します。その結果、民は大勝利。神様はあなたと共にいたいと、御子イエス様にあなたの罪を負わせ、清めてくださいました。感謝。(KE)
今日の通読箇所
1月14日
「あなたがたが、足の裏で踏む所はみな、わたしがモーセに約束したように、あなたがたに与えるであろう」。ヨシュア1:3
神様は恵み豊かな方ですから、惜しみなく与えてくださいます。しかし、そのためには自分の足で踏み歩まねばなりません。棚ぼた式に口を開けてじっと待てばいいわけではないのです。神様の恵みの言葉を信じて、実生活のなかで、主の言葉を実際に当てはめ、従うとき、主の恵みを確実なものとすることができます。(KE)
今日の通読箇所
1月13日
もし、あなたの片手が罪を犯させるなら、それを切り捨てなさい。両手がそろったままで地獄の消えない火の中に落ち込むよりは、片手になって命に入る方がよい」。マルコ9:43
過激な言葉です。それほどまでに神様の裁きは厳しいもので、片手だといっても、その故に全身が滅びるのです。神様は光のように曇りなき方ですから、どんなに小さな罪でもいい加減にはなさいません。だからこそ、イエス様の十字架がどんなに尊いものか、感謝しましょう。(KE)
今日の通読箇所