1月12日
「立って、父のところへ帰って、こう言おう、父よ、わたしは天に対しても、あなたにむかっても、罪を犯しました」。ルカ15:18
若者が遺産をもらって、家を出て、遊び暮らした結果、無一文になり、豚を飼う人になりました。飢饉があって、豚の餌すら食べたいほど苦しい生活です。どん底になったとき、彼は目が覚めたのです。これは悔い改めの祈りです。あなたと父なる神様との関係はどんなでしょうか。まずは〝立って″父のところへ帰りましょう。(KE)
今日の通読箇所
1月12日
「立って、父のところへ帰って、こう言おう、父よ、わたしは天に対しても、あなたにむかっても、罪を犯しました」。ルカ15:18
若者が遺産をもらって、家を出て、遊び暮らした結果、無一文になり、豚を飼う人になりました。飢饉があって、豚の餌すら食べたいほど苦しい生活です。どん底になったとき、彼は目が覚めたのです。これは悔い改めの祈りです。あなたと父なる神様との関係はどんなでしょうか。まずは〝立って″父のところへ帰りましょう。(KE)
今日の通読箇所
1月12日
「あなたがたは、わたしをだれにたぐい、だれと等しくし、だれにくらべ、かつなぞらえようとするのか」。イザヤ46:5
神様の全体像を俯瞰的に見ることはできません。しかも、霊的存在ですから、つかみどころがない。その結果、人は想像をたくましくして、木や貴金属を使って形あるものにしようとします。それではあまりにも神様を矮小化するばかりか、侮ることになります。神様のなされた業、被造物を通して神様を知るほかありません。(KE)
今日の通読箇所
1月10日
「恐れるな、わたしはあなたをあがなった。わたしはあなたの名を呼んだ、あなたはわたしのものだ」。イザヤ43:1
神様からあなたへの愛の告白です。あなたがどのような状態にあろうと、丸ごと「わたしのものだ」と神様は宣言してくださいます。ご自身の命をもって保証しておられるのです。しかも、多数の中の一人としてではなく、ただあなたの名を呼んでの告白。これほど大きな主の愛に何をもって答えるでしょうか。(KE)
今日の通読箇所
1月9日
「わざわいなるかな、おのが計りごとを主に深く隠す者。彼らは暗い中でわざを行い、『だれがわれわれを見るか、だれがわれわれのことを知るか』と言う」。イザヤ29:15
“天網恢恢、疎にして漏らさず”と言いますが、神様は、事の大小を問わず、すべてお見通しで、隠すことはできません。いつも神様の目があることを忘れないでください。人の目には見えなくても、神様は見ておられ、それに報われます。(KE)
今日の通読箇所
1月8日
「わたしは知っている。すべて神がなさる事は永遠に変ることがなく、これに加えることも、これから取ることもできない」。伝道3:14ab
人のすることはまことに気まぐれです。気の向くまま、風の吹くまま、どんなにでも変わります。しかし、神様のわざは首尾一貫、起承転結が貫かれています。私たちは自分のいい加減さに嫌気がさしますが、神様は私たちのいい加減さも飲み込んで、不変不動のものにしてしまうのです。(KE)
今日の通読箇所
1月7日
「天が下のすべての事には季節があり、すべてのわざには時がある」。伝道3:1
最近は技術の進歩によって、農産物の季節感がなくなってきました。四季の変化を楽しむ者にとっては残念なことですが、だからと言って、すべてがそうなったのではありません。むしろ、そのようなことはごくわずかな現象であって、人生は神様の定められた時と季節に沿って持ち運ばれています。「時」を支配している方は神様です。(KE)
今日の通読箇所
1月6日
「木が良ければ、その実も良いとし、木が悪ければ、その実も悪いとせよ。木はその実でわかるからである」。マタイ12:33
聖書ではしばしば実を結ぶことが語られます。それは聖書の言葉を実際に生活し、それに沿って具体的に行動することがなければ、ただそれは言葉だけで終わってしまいます。みことばを信じて歩むあなたの実がどんなであるか、良い実であれば元木であるあなたの名誉です。しかし、悪い実を結ぶなら、悪い元木を切り捨てるほかありません。(KE)
今日の通読箇所
1月5日
「おおわれたもので、現れてこないものはなく、隠れているもので、知られてこないものはない」。マタイ10:26b
凶悪事件の犯人が分からず、迷宮入りになるケースがあります。確かに、限られた捜査期間では犯人を発見できなくても、長い年月のうちに、必ずどこかで露見するものです。なぜなら、神様の目をかいくぐることはできないからです。別件で刑務所にいながら、自分の犯した過去の犯罪を寝言で自白して刑に服することになった人もいます。(KE)
今日の通読箇所
1月4日
「人をさばくな。自分がさばかれないためである」。マタイ7:1
人は他者をみると、すぐにさばきたくなります。「さばく」というほど大げさなことではなく、小さなこと、服装であったり、髪型であったり、手足の振る舞いであったり、どんなことでも「さばく」、批判する対象となります。その結果、関係が悪くなり、交際を絶つまでになるのです。まず自分がさばくことをやめる。これがまず一番大切なことです。(KE)
今日の通読箇所
1月3日
「わたしたちは主を知ろう、せつに主を知ることを求めよう」。ホセア6:3a
神様はとてつもなく大きく、その全体を知ることは出来ません。しかし、相手を知らなければ信頼感は生まれません。それゆえ、私たちが神様を信じ、信頼することができるように、求める者にご自身をあらわしてくださいます。大切なのは、主を知りたいと願い求めることです。すると、日々の小さな出来事にも主の知恵や力、恵みなどを体験させてくださいます。(KE)
今日の通読箇所