4月25日
「彼らは互に言った、『道々お話しになったとき、また聖書を説き明してくださったとき、お互の心が内に燃えたではないか』」。ルカ24:32
イエス様の死に絶望してエマオへ行く途中の二人の弟子は、よみがえった主に出会いますが、目の前の人物が主であることに気付きません。彼らは事態が好転していることを知らないのに、主との交わりの中に心が熱く燃えたことを自覚します。イエス様の言葉は事の如何に関わらず、私達の心を内側から燃やし、信仰に満たす力があります。(MK)
今日の通読箇所
4月23日
「イエスはまた彼らに言われた、『安かれ、父がわたしをおつかわしになったように、わたしもまたあなたがたをつかわす』」。ヨハネ20:21
主を信じる者たちは、天国住民とされました。もはやこの世は異教・異国の地です。今なおこの世にあるのは、神の国の王であるイエス様から派遣された者としてです。だから、この世の習慣や仕来りなどには縛られません。私たちが聞くべきものは、神の国の王の命令です。今日も神の民として、家庭に学校に職場へと派遣されて行くのです。(KE)
今日の通読箇所
4月22日
「イエスは女に言われた、『女よ、なぜ泣いているのか。だれを捜しているのか』」。ヨハネ20:15a
甦りの日の朝、マリヤは空になった墓で泣いていました。そこへ主が現れ、声をかけられたのです。闇の力の象徴である墓を打ち砕いて勝利して下さった主。この方によるなら、もはや何ものも悲しむことも恐れることもありません。あなたのすぐそばにおられる主を信じてください。今日も主は言われます。「なぜ泣いているのか」と。(KE)
今日の通読箇所
4月21日
「語り合い論じ合っていると、イエスご自身が近づいてきて、彼らと一緒に歩いて行かれた」。ルカ24:15
エマオへ行く二人の弟子たちに、主が近づいて一緒に歩いて行かれました。しかし、彼らはイエス様を認めることができません。今日もよみがえった主はあなたと共に歩いて行かれます。日々の一つ一つの業を通して、主が共にいますことを実体験してください。主を知りたいと求めれば、必ず答えてくださいます。(KE)
今日の通読箇所
4月20日
「イエスはよみがえって、ここにはおられない」。マルコ16:6b
今日は主のご復活を記念するイースターです。主はわたしたちの罪を贖うために十字架の死を受けてくださいました。その死によって、私たちは罪を赦され、神の子とされたのです。そればかりか、主はよみがえって私たちの内に宿っておられます。死の力を撃ち砕き、私たちを真の命に生きる者、天国の市民として下さいました。(KE)
今日の通読箇所
4月19日
「父よ、わたしの霊をみ手にゆだねます」ルカ23:46
十字架上の七言の第七番目です。イエス様は息を引き取られる直前、御自身の魂の取り扱いすらも、父なる神様に全くお委ねになりました。そして神様はイエス様の魂を、陰府にまで降らせなさいます。ペテロはその場所を「神に従わなかった者の霊が居る所」と記し、キリストはそこでも宣教されたと残しています。
イエス様の十字架の死とよみがえりは、古今東西すべての人にとっての福音です。(MK)
今日の通読箇所
4月18日
「すべてが終った」ヨハネ19:30
十字架上の七言の第六番目です。救い主としてこの世に来てくださったイエス様が、御自身の果たすべき使命を完遂したと宣言された一言です。主は神の御位を捨てたばかりか、命も感情もまたその魂すらも注ぎつくしてくださいました。救いを通して私達が得たものは全て、イエス様が十字架上で献げてくださったものです。(MK)
今日の通読箇所
4月17日
「わたしは、かわく」ヨハネ19:28
イエス様が発せられた十字架上の七言の第五番目です。このかわきとは喉の渇きばかりでなく、心の渇き、魂の渇きです。私達に代わって罪人となられたイエス様は、父なる神様との完全な断絶の中にありました。最も辛い時、最愛の方との交わりが断たれた絶望と孤独は、計り知ることができません。 本来この絶望という渇きを味わうべきは私達の方でした。イエス様は十字架を通し、私達に神様との交わりを回復してくだったのです。(MK)
今日の通読箇所
4月16日
「しかし、わたしの思いのままにではなく、みこころのままになさって下さい」。マタイ26:39
ゲッセマネの園での祈りです。主は十字架の死を目前にして、父なる神様にご自分の思いを打ち明けます。悲しみと恐れの中にある主の心を鎮める道は祈り以外にありません。また祈りの最終地点は自分の願いを実現するためではなく、父なる神様のみ心に全く委ね切ることです。私たちも心からこの祈りに同感できるまで祈ろうではありませんか。(KE)
今日の通読箇所