2月5日
「御子は、見えない神のかたちであって、すべての造られたものに先だって生まれたかたである」。コロサイ1:15
神様は人の目には見えません。霊なる方だとも言われます。その結果、人は想像たくましく、勝手に神の偶像を造ってしまうのです。しかし、見えない神様を見えるものとして表わしておられるのが、御子なるイエス・キリストです。イエス様を見る時、そこに神様を見るのです。御子は天地創造の時、父なる神様と共におられたのです。(KE)
今日の通読箇所
2月5日
「御子は、見えない神のかたちであって、すべての造られたものに先だって生まれたかたである」。コロサイ1:15
神様は人の目には見えません。霊なる方だとも言われます。その結果、人は想像たくましく、勝手に神の偶像を造ってしまうのです。しかし、見えない神様を見えるものとして表わしておられるのが、御子なるイエス・キリストです。イエス様を見る時、そこに神様を見るのです。御子は天地創造の時、父なる神様と共におられたのです。(KE)
今日の通読箇所
2月4日
「神は、わたしたちをやみの力から救い出して、その愛する御子の支配下に移して下さった」。コロサイ1:13
わたしたちはかつて、サタンによって罪の闇の力に捕らわれていたものです。そのような私たちを憐れんで、御子をつかわし、そこから解放してくださいました。それだけに終わらず、さらに聖霊をおくって、キリストのもとに置いてくださったのです。今日も主のみ守りの中に置かれ、御心にかなう歩みをさせてくださいます。(KE)
今日の通読箇所
2月3日
「怒ることがあっても、罪を犯してはならない。憤ったままで、日が暮れるようであってはならない」。エペソ4:26
わたしたちは感情の生き物ですから、怒りを取り去ることはできません。ただ、怒ることがあっても、それを制御することが必要です。自分の力と技で事を治めようとしても、出来ません。ただ、自分の弱さを認めて、へりくだって主に求める時、 怒りを鎮める力を与えてくださいます。(KE)
今日の通読箇所
2月2日
「互に情深く、あわれみ深い者となり、神がキリストにあってあなたがたをゆるして下さったように、あなたがたも互にゆるし合いなさい」。エペソ4:32
憐れみも情け深いことも愛の容です。御子は私たちを愛するゆえに、私たちの罪を受けて十字架に命を捨ててくださったのです。それに応えて、情け深く、あわれみに富む者となるには、自分のゆるされざる罪がゆるされたことを認めて、自分も心からゆるすときです。ゆるされた自分が、ゆるさないわけにはいきません。(KE)
今日の通読箇所
2月1日
「御霊もまた同じように、弱いわたしたちを助けて下さる。なぜなら、わたしたちはどう祈ったらよいかわからないが、御霊みずから、言葉にあらわせない切なるうめきをもって、わたしたちのためにとりなして下さるからである」。ローマ8:26
自分の祈りは神様に聞いていただけるだろうかと疑います。ことに自分の事ばかり、勝手な祈りで、大丈夫かと思います。しかし、祈りが聞かれるのは、あなたが立派だからでも、言葉が巧みだからでもありません。ただ御霊があなたの祈りを主のみ前に持ち出し、取りなしてくださるから、聞いていただくのです。安心して、なにものにも囚われず、祈ってください。(KE)
今日の通読箇所
1月31日
「なぜなら、肉に従う者は肉のことを思い、霊に従う者は霊のことを思うからである。肉の思いは死であるが、霊の思いは、いのちと平安とである」。ローマ8:6
”肉“とは、人の自我性、自己中心性に支配された情欲、感情のことです。そこには神様を畏れ敬うものはありません。その結果、肉に支配された時、嵐に翻弄される小舟のようなものです。一方、御霊は、神様が与えてくださった力、霊です。その霊的力は神様を畏れ、そのみ心に従う事を喜びとします。御霊の導きを信じて、従いましょう。(KE)
今日の通読箇所
1月30日
「すべて神の御霊に導かれている者は、すなわち、神の子である」。ローマ8:14
万物の創造者でいらっしゃる神様の救いは、被造物である私たちを、エデンの園にあったときのように神の子とすることです。大変なことになったと思われがちですが、決してそうではありません。きわめて単純です。善行功徳を積むこともいりません。品行方正でもありません。神の霊、御霊に思考も行動もすべてを導いていただくだけです。神の御霊は今もあなたのうちに働いておられます。内住しておられる御霊のみ声を聞き従う者となりましょう。(KE)
今日の通読箇所
1月29日
「すなわち、およそ百歳となって、彼自身のからだが死んだ状態であり、また、サラの胎が不妊であるのを認めながらも、なお彼の信仰は弱らなかった」。ローマ4:19
アブラハムは信仰の父と言われるほど、信仰深い人でした。彼は神様の約束、彼の子孫を多くするとの約束を信じましたが、現実の状況は到底見込めないものでした。しかし、彼はそれに惑わされず、信じ続けたのです。不可能な現実を見ていながら、信じ続ける。これこそ信仰の醍醐味です。見えるところ、聞くところをしっかりと見聞きしながらも、その信仰は不変です。これこそ、信仰の人たる所以です。(KE)
今日の通読箇所
1月28日
「彼らはその悩みのうちに主に呼ばわったので、主は彼らをその悩みから救い、そのみ言葉をつかわして、彼らをいやし、彼らを滅びから助け出された」。詩篇107:19-20
「喉元過ぎれば熱さを忘れる」と世間でも言われますが、苦しい時の神頼みになりやすい私たちです。しかし、神様はその事もご存じで、悩みのなかで主を呼べば必ず答えてくださいます。さらに、み言葉によって慰め、励ましてくださいます。悩みに会うことはつらくはありますが、主に近づく絶好の機会です。(KE)
今日の通読箇所
1月27日
「狭い門からはいれ。滅びにいたる門は大きく、その道は広い。そして、そこからはいって行く者が多い」。マタイ7:13
時、恰も入学試験のシーズンです。最近こそ、志願者の倍率は緩やかで、以前のような受験地獄とはいわれません。それでも、難関大学と言われるところは相変わらず狭き門のようです。しかし、ここで言われているのは、永遠の命を獲得することです。この世にあって、世に流されず、情欲に捕らわれず、イエス様の救いを全うするのは狭い門です。だから、互いに励まし合いつつ、命に至る狭い道を歩きぬこうではありませんか。(KE)
今日の通読箇所