10月21日
「話がすむと、シモンに『沖へこぎ出し、網をおろして漁をしてみなさい』と言われた」。ルカ5:4
イエス様は集まった人々にお話をされました。その後、ペテロに言われます。「沖へ漕ぎ出せ」と。夜通し働いて、何も獲れずに戻ったばかりです。徒労に終わるかもしれません。しかし、主は言われます、「沖へ」と。自分の理解を超え、常識をこえたところへ漕ぎ出す。今日も、未知の世界へ漕ぎ出そうではありませんか。主の言葉を信じて。(KE)
今日の通読箇所
10月21日
「話がすむと、シモンに『沖へこぎ出し、網をおろして漁をしてみなさい』と言われた」。ルカ5:4
イエス様は集まった人々にお話をされました。その後、ペテロに言われます。「沖へ漕ぎ出せ」と。夜通し働いて、何も獲れずに戻ったばかりです。徒労に終わるかもしれません。しかし、主は言われます、「沖へ」と。自分の理解を超え、常識をこえたところへ漕ぎ出す。今日も、未知の世界へ漕ぎ出そうではありませんか。主の言葉を信じて。(KE)
今日の通読箇所
10月20日
「されど主よ、あなたはわれわれの父です。われわれは粘土であって、あなたは陶器師です。われわれはみな、み手のわざです」。イザヤ64:8
神様は万物の創造者です。私たちもこの神様によって造られたものですが、まだ完成品ではありません。土のチリで人を造り、命の息を吹き入れて生きる者としたのです。しかし、人は罪のゆえに、失われた者となりましたが、父でいらっしゃる神様は私たちを造り変えて、御心に叶う者にしようとしています。だから、今日も陶器師のわざに委ねましょう。(KE)
今日の通読箇所
10月19日
「人は心に自分の道を考え計る、しかし、その歩みを導く者は主である」。箴言16:9
今日も満足のいく一日を送りたいと願い、心に色々考え、スケジュールを決めます。しかし、一日が終わる時、振り返ると考えもしなかったことによって終わっています。それは私たちの日々の生活を導かれるのは自分ではなく、神様だからです。主の許し無くては何事もなしえないと知るべきです。今日も主が備えられた一日を楽しんでください。(KE)
今日の通読箇所
10月18日
「わたしはあなたにむかって罪を犯すことのないように、心のうちにみ言葉をたくわえました」。詩篇119:11
他者に罪を犯すとき、相手に悪いことをしたと悔いますが、そうなる原因は自分の心にある神様への罪の結果です。人に対しても勿論ですが、まず神様と自分の関係を整えることが不可欠です。そのためにはみ言葉を心にたくわえ、み言葉の光に照らされて歩む以外にありません。(KE)
今日の通読箇所
10月17日
「主よ、栄光をわれらにではなく、われらにではなく、あなたのいつくしみと、まこととのゆえに、ただ、み名にのみ帰してください」。詩篇115:1
何か事を成し遂げた時、賞賛や栄誉を得たいと願います。しかし、その事が成就したのは、自分の力や知恵の結果ではなく、主が与えてくださった恵みです。神様に帰すべき栄光を自分の手柄としないで、主に感謝しましょう。(KE)
今日の通読箇所
10月16日
「何事も思い煩ってはならない。ただ、事ごとに、感謝をもって祈と願いとをささげ、あなたがたの求めるところを神に申し上げるがよい」。ピリピ4:6
実に嬉しいことではありませんか。思い煩うことなく、どんな事でも、洗いざらいすべてを聞いて下さると言うのですから。しかも、相手は木や石でできたものではなく、万物の創造者、全能の神様です。自分一人で抱え込まず、主に向かって打ち明け、まず心の平安を得てください。そこからすべての問題の解決が始まります。(KE)
今日の通読箇所
10月15日
「ただ、あなたがたはキリストの福音にふさわしく生活しなさい」。ピリピ1:27a
福音とは神の子イエス様が天の位を捨て、人の世に降り、私たちの身代りとなり、十字架に死んで下さったこと。またよみがえった主が今も共にいてくださることです。「福音」は知識や学問で探求するものではなく、「生活」するためです。日々の生活の中で、具体的な出来事を通して、福音を身に付けるとき、新しい人生に変わります。(KE)
今日の通読箇所
10月14日
「人にではなく主に仕えるように、快く仕えなさい」。エペソ6:7
他人から頼まれて事をするとき、「主に仕えるように」と言われます。そもそも、私たちは主によって買い取られた者です。もはや自分のものではありません。人から頼まれたことでも、実は主があなたに求めておられるのです。これは信仰の要石です。何をするにも、主のためにしていることを忘れないでください。(KE)
今日の通読箇所
10月13日
「怒ることがあっても、罪を犯してはならない。憤ったままで、日が暮れるようではあってはならない。また悪魔に機会を与えてはいけない」。エペソ4:26-27
人は感情を持つものですから、喜怒哀楽は日常のことです。だから、感情に任せて憤ることがあるのは当然でしょうが、同時にそれは悪魔の入り込む時でもあります。いつまでも自己正義を貫こうとするとき、気が付かないうちにサンの虜になって、大切な自分を失います。(KE)
今日の通読箇所
10月12日
「したがって、信仰は聞くことによるのであり、聞くことはキリストの言葉から来るのである」。ローマ10:17
イエス様を信じるきっかけは人様々ですが、それによって救いを確信するには至りません。何よりも、自分自身で主の言葉を素直に信じることです。世間には信仰に関するいろいろな本やSNSなどが流通していますが、キリストの言葉である聖書から直接聞くことが大切です。人は聞くものによって心が容易く影響されるからです。(KE)
今日の通読箇所