神様の全能の腕を信じ、一切をゆだねることです

12月3日
「わたしはふして眠り、また目をさます。主がわたしをささえられるからだ」。詩篇3:5

熟睡した後の爽快感は格別です。しかし、安眠を妨げるものがなんと多いことでしょう。不安や心配、怒りや妬みなど、心に積もる思いの故に眠りは浅くなります。妨げるものを取り除けようとしても、たやすくは出来ません。ただ一つの手段は神様の全能の腕がある事を信じ、一切をゆだねることです。眠りに就くとき、心にある悪しき思いを一つずつ主の手に渡しましょう。(KE)

今日の通読箇所

士師記2章

使徒行伝13章

神様がすべてをご存じで、身を任せよと命じます

12月2日
「主の使は彼女に言った、『あなたは女主人のもとに帰って、その手に身を任せなさい』」。創世記16:9

子供のいないアブラハムは、妻サライに勧められ、ハガルによって子を得ます。その結果、ハガルは女主人サライにいじめられ、ついに家を出て、荒野で死を求めます。主の使いはサライの許に帰って、身を任せよと命じます。過酷な助言に思われますが、神様がすべてをご存じで、ハガルを見ておられることを知りました。全能の神はあなたの全てを見ておられ、すべてを知っておられます。今あるままを感謝して受けてください。(KE)

今日の通読箇所

士師記1章

使徒行伝12章

すべてが神様のものであることを確認するのが礼拝です

12月1日
「アブラムは彼に現れた主のために、そこに祭壇を築いた」。創世記12:7b

神様の命じられたところに来て、アブラムは祭壇を築きます。神様を礼拝したのです。礼拝とは神様に自分のすべてを捧げることです。気が付かないうちに、人は自分自身を含めて、生活のすべてを自分の所有に帰属させています。今一度自分のすべてが神様のものであることを確認するのが礼拝です。今持っているものはすべて神様から預かったものです。(KE)

今日の通読箇所

ヨシュア記24章

使徒行伝11章

ただ神様のことばを言われたとおりに実行します

11月30日
「アブラムは主が言われたようにいで立った」。創世記12:4a

神様がアブラムをなぜ選ばれたのか、理由はわかりません。それが神様のやり方です。人はそうなる理由や経緯、計画や予定を知りたがるものです。しかし、神様は独断専行、誰にも相談せず、頼まず、ご自身の道を進まれます。アブラムは何も知らずに、ただ神様のことばを信じて言われたとおりに、実行します。これこそ信仰の実践です。今日、神様はあなたに何を命じられますか。(KE)

今日の通読箇所

ヨシュア記23章

使徒行伝10章

ただノアだけは神様を畏れて、主の恵みを得たのです

11月29日
「そこで主は彼のうしろの戸を閉ざされた」。創世記7:16b

ノアの時代、世は悪がはびこり、暴虐が満ちていました。ただノアだけは神様を畏れて、主の恵みを得たのです。箱舟が完成し、すべてのものが入り終わったとき、神様が箱舟の扉を閉ざされました。神様以外に戸を開くことができません。実に厳粛な事態です。救いの扉が閉ざされる時がいつであるか誰も分かりません。今、十字架の救いの扉が開かれています。あなたも救いの舟に飛び込んでください。(KE)

今日の通読箇所

ヨシュア記22章

使徒行伝9章

神が彼を取られて「いなくなった」のです

11月28日
「エノクは神とともに歩み、神が彼を取られたので、いなくなった」。創世記5:24

エノクがどのような人生を生きたのか、具体的な事はなにもわかりません。しかし、彼の生涯は祝福に満ちたものであったと思います。なぜなら、彼は神とともに歩み、神が彼を取られて「いなくなった」のです。神様の御手が常に彼と共にあり、彼を導き、御許へ引き上げられたのですから。この世のことに煩わされず、神と共に歩む一日を生きようではありませんか。(KE)

今日の通読箇所

ヨシュア記21章

使徒行伝8章

皮の着物は、人類の救いの約束の証です

11月27日
「主なる神は人とその妻とのために皮の着物を造って、彼らに着せられた」。創世記3:21

罪を犯した結果、エデンの園に居られなくなり、追放されますが、神様は慈しみに富み給う方。裸であった彼らに「皮の着物」を着せてくれました。これはまた人類の救いの約束の証です。やがて時が満ちて、神の子羊、キリストを世に送り、罪を取り除き、キリストを着る者としてくださいました。今日もキリストを身にまとって、生きる者となってください。(KE)

今日の通読箇所

ヨシュア記20章

使徒行伝7章

私たちも神様の作品のひとつで、ともに喜ぶべきです

11月26日
「神が造ったすべての物を見られたところ、それは、はなはだ良かった」。創世記1:31a

神様は神の霊に覆われた無のところに、言葉をもって森羅万象を創造されました。最後に人を造られ、創造の業が終わったのです。そのとき、神様はご自分の作品に大満足されました。私たちもその作品のひとつです。造り主とともに喜ぶべきですが、自分や周囲の人や境遇に満足できないのはなぜでしょうか。あらためて、主の創造の結果としての自分を感謝して受けようではありませんか。(KE)

今日の通読箇所

ヨシュア記19章

使徒行伝6章

私たちを造られた方は最後まで持ち運んでくださいます

11月25日
「わたしはあなたがたの年老いるまで変らず、白髪となるまで、あなたがたを持ち運ぶ。わたしは造ったゆえ、必ず負い、持ち運び、かつ救う」。イザヤ46:4

私たちをこの世に生きる者としたのは、人の計画によるのではなく、神様が造り、生かしておられるのです。神様はご自分の製造者責任を認めて居られます。私たちを造られた方は責任を持って最後まで持ち運んでくださるとのこと、何と感謝なことでしょう。始められた方は終わらせる時をも備えてくださいます。導かれるままに、この方のなさることに委ねることが幸いです。(KE)

今日の通読箇所

ヨシュア記18章

使徒行伝5章

人は神様を召使のごとく思ってしまいます

11月24日
「わが思いは、あなたがたの思いとは異なり、わが道は、あなたがたの道とは異なっていると主は言われる」。イザヤ55:8

神様は創造者、私たちは被造物、造られたものです。両者は全く違う者であることを十分知っているつもりです。しかし、気が付かないうちに人は神様を自分と同列、否、召使のごとく思ってしまいます。今も私たちの人生を創造される神様があなたに何をしようとされるのか、到底はかり知ることができません。主のなさることに一切委ねるのが幸いです。(KE)

今日の通読箇所

ヨシュア記17章

使徒行伝4章