思いつく計画がすべて実行されることにはならないのです

11月23日
「人の心には多くの計画がある、しかしただ主の、み旨だけが堅く立つ」。箴言19:21

人の心は底なしの沼のようです。絶え間なく、次から次へと様々な思いが現れてはまた消えていきます。思いつく計画がすべて実行されるとなると、とんでもない事態になるでしょう。ところが、不思議なことにそうはならないのです。あなたの心を握っておられるのは神様です。思いつく様々な計画案から選んで実現させてくださるのは神様だからです。(KE)

今日の通読箇所

ヨシュア記16章

使徒行伝3章

自らを省みる事こそ、まずなすべきことです

11月22日
「人は自分の愚かさによって道につまずき、かえって心のうちに主をうらむ」。箴言19:3

人は転んだり、失敗したりすると、自分の仕業を棚に上げ、他者に責任を負わせようとします。ましてや、神様を恨むなどとは言語道断、天に向かって唾を飛ばすようなものです。どんな場合でも、自らを省みる事こそ、まずなすべきことです。自らの非を認め、悔い改めて主に助けを乞うならば幸いな結果が得られます。(KE)

今日の通読箇所

ヨシュア記15章

使徒行伝2章

神様に信頼するなら、決して失望することがありません

11月21日
「わたしは主を待ち望みます、わが魂は待ち望みます。そのみ言葉によって、わたしは望みをいだきます」。詩篇130:5

人は常に望みを持たないと生きることができません。そのため、人はどんなに小さなことであっても、それに期待し、その成り行きに望みをかけますが、失望に終わります。神様に期待し、その約束の言葉に信頼するなら、決して失望することがありません。相手は出来ない事のない全能の神です。(KE)

今日の通読箇所

ヨシュア記14章

使徒行伝1章

道筋を照らしてくれたら、心安らかであろうと思います

11月20日
「あなたのみ言葉はわが足のともしび、わが道の光です」。詩篇119:105

不慣れな場所で、夜歩くとき、行く道筋を照らしてくれるものがなければ、不安です。同様に、人生行路を行くにも、最終目的地に着くまでの道筋を照らして教えてくれるものがあれば、どんなにか心安らかであろうと思います。聖書のみ言葉は「ともしび」「光」となって道を照らして、目的の地へ導いてくれます。(KE)

今日の通読箇所

ヨシュア記13章

ヨハネによる福音書21章

あとは、あなたが主の許しを感謝していただくことです

11月19日
「あなたは神と和らいで、平安を得るがよい。そうすれば幸福があなたに来るでしょう」。ヨブ22:21

人類にとって最も不幸なことは万物の創造者である神様に対して罪をおかしたことです。その結果、心の平安を失いました。因果応報、神様から滅ぼされるのではないかとの恐れが人を捉えて、闇の中に引きずり込むのです。しかし、驚くことに、神様は御子によって、すでに私たちの罪を完全に取り除いてくださいました。何ということでしょう。あとはあなたが主の許しを感謝していただくことです。(KE)

今日の通読箇所

ヨシュア記12章

ヨハネによる福音書20章

次に何がおこるか、全く分かりません

11月18日
「あすのことを誇ってはならない、一日のうちに何がおこるかを知ることができないからだ」。箴言27:1

聖書は一貫して人が生きるのは今、この一瞬である事を強調しています。「一寸先は闇」と言われますが、まさに次に何がおこるか、全く分かりません。だったら、先のことに縛られないで、今を生きることに力を尽くそうではありませんか。泣きたいなら思いっきり今泣けばいい、笑いたいなら大いに喜びを爆発させましょう。(KE)

今日の通読箇所

ヨシュア記11章

ヨハネによる福音書19章

一連の事態が神様の手によるものだと信じています

11月17日
「彼がのろうのは、主が彼に、『ダビデをのろえ』と言われたからであるならば、だれが、『あなたはどうしてこういうことをするのか』と言ってよいであろうか」。サムエル下16:10b

息子アブサロムに王位を狙われ、逃げ出した時、サウル王の親族の一人、シメイがダビデの惨状を嘲笑します。部下は怒って処罰しようとしますが、ダビデは一連の事態が神様の手によるものだと信じています。当然、事のよしあしを裁かれるのは神様御自身です。どんなことも神様のなさることです。(KE)

今日の通読箇所

ヨシュア記10章

ヨハネによる福音書18章

ダビデは自分の犯した罪を認め、神様の前に悔い改めます

11月16日
「ダビデはナタンに言った、『わたしは主に罪をおかしました』」。サムエル下12:13

ダビデ王も国が安泰にあり、アンモン人との戦いも部下に任せて王宮にいました。閑居しているとき、バテシバを見初めて自分の妻とし、夫を戦死させます。預言者ナタンはダビデを責めます。その時、ダビデは自分の犯した罪を認め、神様の前に悔い改めます。自分の身分も忘れて、平身低頭、ひれ伏して悔い改めます。これがダビデの信仰姿勢です。(KE)

今日の通読箇所

ヨシュア記8章

ヨハネによる福音書16章

無力な自分に施される恵みに心底から感謝しました

11月15日
「彼は拝して言った、『あなたは、しもべを何とおぼしめして、死んだ犬のようなわたしを顧みられるのですか』」。サムエル下 9:8

サウルの死後、メピボセテという足の不自由なサウルの親族を見つけて、王宮で生活するように計らいます。彼は親友ヨナタンの子でもありました。メピボセテは無能・無力な自分に施される恵みに心底から感謝しました。「死んだ犬」同然の私たちは、イエス様のとりなしの故に神様の食卓に招かれているのです。(KE)

今日の通読箇所

ヨシュア記8章

ヨハネによる福音書16章

ダビデは事の始まりから、主に問うのです

11月14日
「ダビデは主に問うていった、『ペリシテびとに向かって上るべきでしょうか。あなたは彼らをわたしの手に渡されるでしょうか』」。サムエル下5:19

ダビデが王位に就いたときペリシテ人が大軍をもって攻めてきます。そのとき、彼は神様の御心を求めます。敵に対して戦うことは王様のなすべきことと思いますが、そのこと自体を伺うのです。立場上自分のすべきことは祈らずとてすべきだと考えますが、ダビデは違います。事の始まりから、主に問うのです。今日もことごとく祈りつつ進みましょう。(KE)

今日の通読箇所

ヨシュア記7章

ヨハネによる福音書15章