5月31日
「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。もし人がわたしにつながっており、またわたしがその人とつながっておれば、その人は実を豊かに結ぶようになる。わたしから離れては、あなたがたは何一つできないからである」。ヨハネ15:5
どんなに枝ぶりが立派でも、果樹である以上、実がならないのでは無用の長物です。聖霊は今日も私達に、イエス様を指し示してくださいます。この方に繋がらなければ、造り主を喜ばせることが、何一つできないからです。(MK)
今日の通読箇所
5月31日
「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。もし人がわたしにつながっており、またわたしがその人とつながっておれば、その人は実を豊かに結ぶようになる。わたしから離れては、あなたがたは何一つできないからである」。ヨハネ15:5
どんなに枝ぶりが立派でも、果樹である以上、実がならないのでは無用の長物です。聖霊は今日も私達に、イエス様を指し示してくださいます。この方に繋がらなければ、造り主を喜ばせることが、何一つできないからです。(MK)
今日の通読箇所
5月30日
「御霊の実は、愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、忠実、柔和、自制であって、これらを否定する律法はない」。ガラテヤ5:22-23
何と素晴らしい信仰の実の数々でしょうか。私達は自らの努力や熱心によって、これらの実を育てることはできませんが、祈りつつ歩むなら、主が御霊の実を結ぶ生き方へと導いてくださいます。今日一日の終わりが、喜びと平和に満ちたものでありますように。(MK)
今日の通読箇所
5月29日
「木が良ければ、その実も良いとし、木が悪ければ、その実も悪いとせよ。木はその実でわかるからである」。マタイ12:33
同じような働きをするにしても、その動機が愛によるものか、欲によるものなのかで、結ぶ実が変わります。どんなに立派に見える結果も、欲からくるものは、神様の庭の中で意味がありません。たとえどれほど小さな結果でも、動機が神様に対する愛であるなら、神様はその実を喜んでくださるのです。(MK)
今日の通読箇所
5月28日
「しかし、あなたに対して責むべきことがある。あなたは初めの愛から離れてしまった」。黙示2:4
「初心忘るべからず」と、世間でも大いに勧められます。そこに大切なものがあるからです。ともすると、人は慣れ侮ることになり易く、始まりの頃の真剣さ、緊張感、初々しい感動など、時と共に失われるからです。イエス様の救いをいただいた時、主のご愛に感じた新鮮な喜び、感動をリフレッシュしようではありませんか。(KE)
今日の通読箇所
5月27日
「この地上には、永遠の都はない。きたらんとする都こそ、わたしたちの求めているものである」。ヘブル13:14
私たちは体も生活も、ことごとく世にあるものは失われる有限な存在です。それですべてが終わるとすれば、何と虚しいことではないでしょうか。人にはもう一つ無限の存在である霊魂が宿っていることを知るべきです。魂は昔も、今も、また永遠の将来まで滅びることがありません。有限なるものが永遠なるものを求めて生きるのが人の人生です。(KE)
今日の通読箇所
5月26日
「口にはいるものは人を汚すことはない。かえって、口から出るものが人を汚すのである」。マタイ15:11
私たちは食べるものを吟味して、体に良いものを選びます。しかし、人の口から出るもの、様々な言葉、悪口雑言、非難中傷等々は、人の命をすら奪う力があります。不用意な言葉で傷つけ合う事の無いように、口に門守を置けと言われます。自分の口を治めることができるように聖霊の導きを求めましょう。(KE)
今日の通読箇所
5月25日
「だから彼らを恐れるな。おおわれたもので、現れてこないものはなく、隠れているもので、知られてこないものはない」。マタイ10:26
神様は隠れた所に居られて、隠れたことを見ておられます。人がどんなことをしても、神様に見られないようにはできません。そればかりか、どんなに厳重に隠しても、必ず白日の下に曝されます。であれば、隠すより、神様の前に悔い改め、心に隠し事を持たない事が肝心です。今日も軽やかな心で過ごしたいものです。(KE)
今日の通読箇所
5月24日
「しかし主はサムエルに言われた、『顔かたちや身のたけを見てはならない。わたしはすでにその人を捨てた。わたしが見るところは人とは異なる。人は外の顔かたちを見、主は心を見る』」。サムエル上15:7
見た目や、その場限りの言動ならば、それなりに取り繕うことは可能でしょう。しかし神様は整って見える行いの中にも、主を愛し崇める思いがあるかどうかをご覧になります。今日も祈りつつ御霊に満たされ、喜んで主に仕えることができますように。(MK)
今日の通読箇所
5月23日
「今わたしは、人に喜ばれようとしているのか、それとも、神に喜ばれようとしているのか。あるいは、人の歓心を買おうと努めているのか。もし、今もなお人の歓心を買おうとしているとすれば、わたしはキリストの僕ではあるまい」。ガラテヤ1:10
人の称賛は私達の心を喜ばせますが、評価を気にするあまり生き方が本質から外れたり、窮屈な思いをするのでは本末転倒です。神様は結果ではなく、心が主に向いているかどうかを問われます。この方の報いをこそ求めて歩みましょう。(MK)
今日の通読箇所
5月22日
「あなたはわが目に尊く、重んぜられるもの、わたしはあなたを愛するがゆえに、あなたの代りに人を与え、あなたの命の代りに民を与える」。イザヤ43:4
自分自身を見るならば、あれも出来ない、これも不足していると減点ばかりが目に付きます。しかし私達の創造主は、あなたはわたしの目に尊いと言われます。これ以上に価値のある評価はありません。今日も主からの愛を自信として生きようではありませんか。(MK)
今日の通読箇所