私たちにただ一つあるのは、祈りです

9月16日

「夜、初更に起きて叫べ。主の前にあなたの心を水のように注ぎ出せ。町のかどで、飢えて息も絶えようとする幼な子の命のために、主に向かって両手をあげよ」。哀歌2:19

 世界の現状を見聞きする時、そこには何一つ望みとなるものがありません。各地で紛争や戦争、異常気象による想像を超えた災害の頻発など。その中で、犠牲を強いられるのは幼子たちです。しかし、私たちには現状を変える力がありません。ただ一つあるのは、祈りです。思いを一つにして、共に祈り続けましょう。(KE)

今日の通読箇所

ホセア書4章

ヨハネの第一の手紙 5章

ご計画しにしたがって日々を造り出します

9月15日

「見よ、わたしは主である、すべて命ある者の神である。わたしにできない事があろうか」。エレミヤ32:27

 創造の神様は私たちに命を与え、世に生きる者としてくださいました。そればかりか、人生が終わるまで、また更に先まで、ご計画しにしたがって日々を造り出してくださいます。今はその途中です。先が見えなくても、思いがけない事態に遭遇しても、失望することはいりません。神様にはできない事がないからです。(KE)

今日の通読箇所

ホセア書3章

ヨハネの第一の手紙 4章

心砕けて、へりくだる者となることです

9月14日

「いと高く、いと上なる者、とこしえに住む者、その名を聖ととなえる者がこう言われる、『わたしは高く、聖なる所に住み、また心砕けて、へりくだる者と共に住み、へりくだる者の霊をいかし、砕けたる者の心をいかす』」。イザヤ57:15

 全能者なる神様と被造物なる人が共に住むことは不可能です。しかし、それが可能になるところが「心砕けて、へりくだる者」となることです。謙遜の限りを尽くして、主と共に生きることを努めようではありませんか。(KE)

今日の通読箇所

ホセア書2章

ヨハネの第一の手紙 3章

私達は、キリストをかしらとする肢体です

9月12日

「キリストなるかしら–から出て、からだ全体は、節と節、筋と筋とによって強められ結び合わされ、神に育てられて成長していくのである」。コロサイ2:19

 私達一人ひとりは、イエス・キリストをかしらとする肢体です。手足は関節や腱、筋肉や線維などで緻密に脳と繋ぎ合わされて、初めて機能し、また成長します。ですから私達が、かしらであるイエス様から心が離れている時になす働きは、どこかちぐはぐになってしまうのです。(MK)

今日の通読箇所

ダニエル書12章

ヨハネの第一の手紙 1章

見えない故に、不信仰に陥ってしまいます

9月11日
「御子は、見えない神のかたちであって、すべての造られたものに先だって生れたかたである」。コロサイ1:15

 神様は天地万物全てをお造りになった創造主であり、今なおその一切を統べ治めておられる全能者ですが、私達はこの方を見ることができない故に、不信仰に陥ってしまうことが少なくありません。そのような者のために、神様は御子イエス様をこの世にお送りくださったばかりか、この方の霊をもって今日も私達を導いてくださるのです。(MK)

今日の通読箇所

ダニエル書11章

ペテロの第二の手紙 3章

人は神様の所有です

9月10日

「するとイエスは言われた、『カイザルのものはカイザルに、神のものは神に返しなさい』。彼らはイエスに驚嘆した」。マルコ12:17

 パリサイ人は、主を試すために税を納めるべきかどうか、と問います。これはその答えです。ローマ帝国に支配された時代、貨幣には皇帝の肖像が彫られていました。一方、神の型が彫られたものは私達です。人を神のかたちに造られました。神様の所有です。それを人は盗んで自分のものにしています。そこが人の罪です。神様に自分をお返ししましょう。(KE)

今日の通読箇所

ダニエル書10章

ペテロの第二の手紙 2章

今日も主は困難の中のあなたの許にいます

9月9日

「しかし、イエスはすぐに彼らに声をかけて、『しっかりするのだ、わたしである。恐れることはない』と言われた」。マタイ14:27

 ガリラヤ湖を渡っていた弟子たちは、逆風に悩まされていました。夜明けごろ、主は難儀している弟子たちのところに、水の上を歩いて来られました。しかし、弟子たちは幽霊だとおじ惑い、恐怖に襲われます。今日も、主は困難の中にあるあなたの許におられます。ペテロのように、「主よ、お助け下さい」と手を伸ばそうではありませんか。(KE)

今日の通読箇所

ダニエル書9章

ペテロの第二の手紙 1章

人の罪は、何でも出来ると思うことです

9月8日

「主が命じられたのでなければ、だれが命じて、その事の成ったことがあるか。災もさいわいも、いと高き者の口から出るではないか」。哀歌3:37-38

 人の罪とは、神様を退け、自分が何でも出来ると思い上がることです。ですから、自分の思わない、願わない事態に当たると、狼狽して醜態をさらします。神様の為さることに人は指一本触れることができません。しかし、幸いなことに、神様は傍若無人な方ではなく、限りない愛をもって事を導かれます。主のご愛の御手に委ねましょう。(KE)

今日の通読箇所

ダニエル書8章

ペテロの第一の手紙 5章

信仰は神様(イエス様)と私との関係です

9月7日

「あなたは、わたしに従ってきなさい」。ヨハネ21:22b

 主が甦られた後に言われた言葉。信仰は神様(イエス様)と私との関係です。両者の間には何も入りません。主が常に問われるのは、「あなた」であって、「あなたたち」でもありません。神様(イエス様)と自分との関係が不動のものとなるとき、他者との関係が正しく整うのです。(KE)

今日の通読箇所

ダニエル書7章

ペテロの第一の手紙 4章

しかし、神様は耳を傾けて聞けと仰います

9月6日

「耳を傾け、わたしにきて聞け。そうすれば、あなたがたは生きることができる」。イザヤ55:3ab

 聖書は文学史上最も読まれている大ベストセラーです。つらつらと読む中にも、多くの収穫をもたらしてくれるでしょう。しかし神様は耳を傾けて聞けと仰います。『聴』という漢字があります。直き心をもって聞くという意味があるそうです。聖書の言葉を、自分自身に語られた言葉と信じ、素直に耳を傾けるなら、私達の心に真の命が芽生えます。(MK)

今日の通読箇所

ダニエル書6章

ペテロの第一の手紙 3章