すでにかなえられたと信じることです

7月26日

「そこで、あなたがたに言うが、なんでも祈り求めることは、すでにかなえられたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになるであろう」。マルコ11:24

 イエス様がお語りになった祈りの極意です。『なんでも…そのとおりになる』とは喜ばしいことですが、肝心なのは『すでにかなえられたと信じ』ることです。問題が尚、目の前にそびえ立つ様な時でも、神様が祈りを聞いてくださったと信じて委ねるなら、主は最善をもって応えて下さいます。(MK)

今日の通読箇所

エゼキエル書12章

テサロニケ人への第一の手紙1章

イエス様のようでありたいと願わされます

7月25日

「おおよそ御言を聞くだけで行わない人は、ちょうど、自分の生れつきの顔を鏡に映して見る人のようである」。ヤコブ1:23

 鏡の中に映るありのままの自分の姿を見ると、もっとこうなりたいと願望が生まれます。しかしその場を離れると、気持ちは薄らいでしまいます。聖書を読むと、神様の御旨、イエス様の生き様がありありと心に浮かび、そのような自分でありたいと願わされます。「よし、明日から。」ではなく、『今』従いましょう。(MK)

今日の通読箇所

エゼキエル書11章

コロサイ人への手紙4章

試練に遭うとき、私達の心は混乱します

7月24日

「あなたはいつくしみある者には、いつくしみある者となり、欠けたところのない者には、欠けたところのない者となり、清い者には、清い者となり、ひがんだ者には、ひがんだ者となられます」。詩篇18:25-26

 神様は愛と憐みに富んだ、恵み豊かなお方です。しかし様々な試練に遭うとき、私達の心は混乱します。そのような中、もし神様のご性質が歪んで見えるなら、本当に歪んでいるのは、私達の心かもしれません。自らを省みる謙虚さを持ち続けましょう。(MK)

今日の通読箇所

エゼキエル書10章

コロサイ人への手紙3章

神様のなさる事を全て知る事はできません

7月23日

「見よ、わたしはまことに卑しいものです、なんとあなたに答えましょうか。ただ手を口に当てるのみです」。ヨブ40:4

 自分の不幸を嘆いて、「どうして」とつぶやくヨブに、神様は立て続けに問いかけられますが、何も答えられません。神様は変幻自在、どんなことでもなし得る方です。人は神様のなさる事をすべて知りつくすことはできません。あなたが「どうして」と問うとき、自分が神様になっているときです。(KE)

今日の通読箇所

エゼキエル書9章

コロサイ人への手紙2章

願いがとん挫し新しい世界を体験させます

7月22日

「神は苦しむ者をその苦しみによって救い、彼らの耳を逆境によって開かれる」。ヨブ36:15

 自分の思い通りに事が進むことを願います。そのため、他者の忠告や意見を素直に聞くことができません。その結果、しばしば不本意な事態の推移を受けいれられず、失望します。しかし、神様は、あなたの願いがとん挫することによって、目を開き、耳を開いて、新しい世界を体験させてくださるのです。何一つ無駄なことはありません。(KE)

今日の通読箇所

エゼキエル書8章

コロサイ人への手紙1章

罪なしと言える道は唯一つ、十字架です

7月21日

「もしあなたの手に不義があるなら、それを遠く去れ、あなたの天幕に悪を住まわせてはならない」。ヨブ11:14

 人は心になにか自分を責め、咎める思いがあるとき、弱くなり、力をなくし、闇が覆います。天地神明にかけて、清廉潔白、罪なしと言えるなら、どんなに幸いなことでしょうか。そうなる道は唯一つ、主の十字架にすがることです。主の死によってあなたの罪科すべてを消し去って下さったのです。(KE)

今日の通読箇所

エゼキエル書7章

ピリピ人への手紙4章

ゼロで始る人生がゼロに終るのも当然です

7月20日

「そして言った、『わたしは裸で母の胎を出た。また裸でかしこに帰ろう。主が与え、主が取られたのだ。主のみ名はほむべきかな』」。ヨブ1:21

 ヨブは神を畏れ、尊ぶ人でした。主は試みを与え、財産、家族、健康をすべて失います。しかし、これらの試練につぶやかず、神様を呪うこともしません。ゼロから始まった私たちの人生がゼロに終わるのも当然です。どのような状況に置かれようと、主の為さる業を信じて受けて立とうではありませんか。(KE)

今日の通読箇所

エゼキエル書6章

ピリピ人への手紙3章

救いは恵みによって与えられるものです

7月19日

「そして、御言を行う人になりなさい。おのれを欺いて、ただ聞くだけの者となってはいけない」。ヤコブ1:22

 救いは行いではなく、恵みによって与えられるものです。その一方で聖書は、御言を行うように、戒めを守るようにとも繰り返します。矛盾しているようですが、そうではありません。信仰と実践は車の両輪のようなものです。そして御言に従った時、その歩みを全うなさったイエス様の生き様に、触れることができるのです。(MK)

今日の通読箇所

エゼキエル書5章

ピリピ人への手紙2章

霊の水なるイエス様が、心を満たします

7月18日

「神よ、しかが谷川を慕いあえぐように、わが魂もあなたを慕いあえぐ」。詩篇42:1

 野生の鹿が耳をそばだて、鼻を利かせ、何とか水にありつこうとする懸命な姿が頭に浮かびます。暑い夏になり、肉体の渇きを満たすための水分摂取は、しきりに推奨されますが、私達の心を満たす、霊の水なるイエス様についてはどうでしょう。今日も共に居てくださるイエス様に心を向け、この方の言葉を味わい、渇いた心に潤いを得ましょう。(MK)

今日の通読箇所

エゼキエル書4章

ピリピ人への手紙1章

私達のものは、神様からの預かり物です

7月17日

「あなたの持っているもので、もらっていないものがあるか。もしもらっているなら、なぜもらっていないもののように誇るのか」。Ⅰコリント4:7bc
 
 私達が持っているものは、神様からの賜物であり、預かり物です。ある牧師が少年時代、買い与えられた鉛筆が嬉しくて、『〇〇所有』と自分の名前を書きました。しかしイエス様を信じ、全ては神様のものと知って、即座に『〇〇使用』と書き替えたそうです。この身軽さにあやかりたいものです。(MK)

今日の通読箇所

エゼキエル書3章

エペソ人への手紙6章