10月31日
「事の帰する所は、すべて言われた。すなわち、神を恐れ、その命令を守れ。これはすべての人の本分である」。伝道12:13
どんなに多くの書を読もうと、また精神を鍛錬し、自分を磨こうとしても、人を造り変えることはできません。しかし、人が人としてなすべきことはただこれだけです。神様を畏れ敬い、神様の御心を求めて従う。今日も神様の備えらえた一日であり、携わるすべてのわざが主の御心であると信じるだけです。全力を尽くして本分を果たしましょう。(KE)
今日の通読箇所
10月31日
「事の帰する所は、すべて言われた。すなわち、神を恐れ、その命令を守れ。これはすべての人の本分である」。伝道12:13
どんなに多くの書を読もうと、また精神を鍛錬し、自分を磨こうとしても、人を造り変えることはできません。しかし、人が人としてなすべきことはただこれだけです。神様を畏れ敬い、神様の御心を求めて従う。今日も神様の備えらえた一日であり、携わるすべてのわざが主の御心であると信じるだけです。全力を尽くして本分を果たしましょう。(KE)
今日の通読箇所
10月30日
「『昔が今よりもよかったのはなぜか』と言うな。あなたがこれを問うのは知恵から出るのではない」。伝道7:10
歳を取ると、過去の時代や物事が鮮明に思いだされます。その結果、「あの頃は良かった」と慨嘆することになります。それは今を受け止めることができない結果です。私たちは今を生きるほか道はありません。過ぎ去ったことに捉われず、今与えられている命の限りを全力を尽くして生き抜こうではありませんか。(KE)
今日の通読箇所
10月29日
「あなたのパンを水の上に投げよ、多くの日の後、あなたはそれを得るからである」。伝道11:1
パンを水の上に投げるなど、無駄なことに思われます。今していることが、やがてどうなるのか、誰も知りません。しかし、全能の神である主はすべてのわざを導かれます。あなたが主を信じて踏み出すなら、必ず結果が伴います。人のするどんなわざでも、神様はすべてを見ておられ、報われます。(KE)
今日の通読箇所
10月28日
「彼は母の胎から出てきたように、すなわち裸で出てきたように帰って行く。彼はその労苦によって得た何物をもその手に携え行くことができない」。伝道5:15
神様は人を造られたとき、人が額に汗して生きる者としたのではありません。この世にあって、常に喜び、絶えず祈り、すべての事を感謝するように造られました。裸で出てきた私たちは主が与えられるすべてのものを楽しむためであります。やがて終りのとき、すべてを捨てて新しい世界に移ります。そこにはこれまで以上の恵みが備えられています。(KE)
今日の通読箇所
10月27日
「片手に物を満たして平穏であるのは、両手に物を満たして労苦し、風を捕えるのにまさる」。伝道4:6
昨今の社会情勢は物価高と低賃金で、先行き不透明から、少しでも貯えを増やそうとする状況です。その結果、飢餓感に悩まされ、生活に満足感が得られません。今日一日が過不足なく過ごせるなら、それで十分ではありませんか。明日のことはあす自身が思いわずらうと主は言われます。(KE)
今日の通読箇所
10月26日
「一粒の麦が地に落ちて死ななければ、それはただ一粒のままである。しかし、もし死んだなら、豊かに実を結ぶようになる」。ヨハネ12:24
イエス様は神の御子でありましたが、私たちに真の命を与えるために、世に降って来られました。丁度、一粒の麦のように。麦は地に播かれ、土に埋もれて分解され、死んだような状態から、新しく万倍の命が芽生えます。あなたを生きる者とする新しい命の種が宿っています。自我が死ねば、新しい命に生きることが出来ます。(KE)
今日の通読箇所
10月25日
「イエスは彼らに言われた、『わたしが命のパンである。わたしに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決してかわくことがない』」。ヨハネ6:35
食は肉体の命を養うに必須です。では、心の命にとって何が不可欠でしょうか。文化芸術を観賞しようと、情操教育を施そうとも、心の命の糧にはなりません。イエス様を食べる、すなわち、主の言葉を食べなければ、魂は衰えて、力をなくします。今日も御言葉を心に据えて、主の命によって生きようではありませんか。(KE)
今日の通読箇所
10月24日
「だれでも新しく生れなければ、神の国を見ることはできない」。ヨハネ3:3b
世間でも、「出直して」とか「生まれ変わったつもりで」と言われることがありますが、人はどんなにやってみても、所詮、自分は変われない者です。そこで多くの人々は諦めます。しかし、生まれ変わる道があります。イエス様の十字架の死を自分のためと信じ、イエス様を人生の中心に据えるとき、人は全く新しくなります。まず今日一日をイエス様と共に生きてみてください。(KE)
今日の通読箇所
10月23日
「しかし、イエスはすぐに彼らに声をかけて、『しっかりするのだ、わたしである。恐れることはない』と言われた」。マタイ14:27
ガリラヤ湖を渡る弟子たちは、逆風に悩まされ難儀していた夜明けごろ、イエス様は水の上を歩いてこられました。彼らは幽霊だと恐れて叫び声をあげた時、主はご自身をあらわしてくれました。今、あなたは何を恐れていますか。主はあなたのすぐそばに居られるのです。悩みの真っ只中に主を認めることが最善の救いです。(KE)
今日の通読箇所
10月22日
「また、重い荷物をくくって人々の肩にのせるが、それを動かすために、自分では指一本も貸そうとはしない」。マタイ23:4
律法学者たちは、自分には寛容であっても、人々には律法に基づいた過酷な要求を強いました。とかく人は他者に求めることは多くても、重荷を分担しようとはしません。自分が出来ない事を人に求めるのは言語道断です。イエス様は重荷を共に担ってくださいます。だから主の荷は軽く、負いやすいのです。主は言われます、「彼らは言うだけで、実行しないから」と。(KE)
今日の通読箇所