10月5日
「主よ、あなたはみわざをもってわたしを楽しませられました」。詩篇92:4a
神様の願っておられることは、わたしたちが人生を大いに楽しみ過ごすことです。人は勝手に事のよしあしをあげつらって、楽しむべき時を逃しています。病の中であろうと、不幸な事態に翻弄されようと、決してつらいばかりではありません。そこでしか味わえない楽しみがあります。楽しめることを捜してみてください。(KE)
今日の通読箇所
10月5日
「主よ、あなたはみわざをもってわたしを楽しませられました」。詩篇92:4a
神様の願っておられることは、わたしたちが人生を大いに楽しみ過ごすことです。人は勝手に事のよしあしをあげつらって、楽しむべき時を逃しています。病の中であろうと、不幸な事態に翻弄されようと、決してつらいばかりではありません。そこでしか味わえない楽しみがあります。楽しめることを捜してみてください。(KE)
今日の通読箇所
10月4日
「あなたの口を広くあけよ、わたしはそれを満たそう」。詩篇81:10b
力ない人であっても、頼られることは嬉しいことです。また、頼られると何とか応えようと努めます。その結果、予期しない結果を見ることが出来ます。ましてや、神様は期待されればされるほど、あふれ出るばかりに満たしてくださいます。あなたが大きく、広く期待すればするほど、神様は喜んで満たしてくださいます。(KE)
今日の通読箇所
10月3日
「ダビデはその日サウルを恐れて、立ってガテの王アキシのところへ逃げて行った」サムエル上21:10
ダビデは羊飼いの子でありましたが、神様に指名され、イスラエルの王となります。しかし先王サウルはダビデの命を狙います。神様を恐れていると平安ですが、人に目を留めると不安や恐れが支配します。ダビデも主を恐れていた時、他のものを恐れません。しかし、人を恐れると力を失い、無様な醜態をさらします。ダビデはイスラエルの宿敵、ペリシテ人の地へ逃げ出すのです。あなたは何を恐れていますか。(KE)
今日の通読箇所
10月2日
「そこでハガルは自分に語られた主の名を呼んで、『あなたはエル・ロイです』と言った」。創世記16:13a
アブラムの子を身ごもったハガルは、主人サライにいじめられ、そこから逃げ出します。しかし、行く当てもなく荒野にある泉のほとりで、死をも覚悟していました。その時、神様はハガルに声をかけて祝福を約束します。ハガルは「汝は見たもう神」と告白します。どんな境遇にあっても、見て,知って下さる方がおられるのは力です。今日も主はあなたを見ておられます。(KE)
今日の通読箇所
10月1日
「神が造ったすべての物を見られたところ、それは、はなはだ良かった」。創世記1:31a
神様は森羅万象、あらゆるものを造られました。しかも神様の造られたものはすべて「良い」ものです。人は失敗したり、出来ないことにぶつかると、自分はダメな人間と落ち込んでしまいます。しかし、神様の作品であるあなたは失敗作ではありません。出来る・出来ないにかかわらず、神様にとって「良い」ものなのです。(KE)
今日の通読箇所
9月30日
「彼はこの神、すなわち、死人を生かし、無から有を呼び出される神を信じたのである」。ローマ4:17b
これはアブラハムの信仰について語ったものですが、それはまた私たちの信じるところでもあります。イエス様は私たちの罪を償うために十字架に命を捨てました。しかし、死人を生かす神様は彼を陰府から生き返して私たちと共に生かしておられます。あなたがどんなに汚れ果てた者であろうと、神様を信じ続けるならば、新しい命に生かしてくださいます。(KE)
今日の通読箇所
9月29日
「イエスはその話している言葉を聞き流して、会堂司に言われた、『恐れることはない。ただ信じなさい』」。マルコ5:36
イエス様が会堂司の家に着いたとき、娘は死んでいました。周囲の人々が語る言葉を主は聞き流して娘の部屋に入り、祈った結果、生き返ったのです。信仰に立つには御言葉だけを握って信じる心を持ち続けることです。雑音はシャットアウト、殊に人の言葉は聞き流すことです。今日もあなたの主を信じる心を惑わされず持ち続けてください。(KE)
今日の通読箇所
9月28日
「そこで弟子たちはみそばに寄ってきてイエスを起し、『主よ、お助けください。わたしたちは死にそうです』と言った」。マタイ8:25
ガリラヤ湖で突然の大嵐に見舞われた弟子たち。大慌てで主を起します。イエス様は悠然と寝ておられたのです。大嵐だろうと、奇病の流行りであろうと、どんなことも父なる神様の御手に握られているのです。弟子たちの声で目を覚ました主は、風と海をお叱りになったとあります。万物を創造し、それらを自在に支配する父なる神様と主は一体です。あなたも生死を含めて一切を神様の支配に委ねませんか。(KE)
今日の通読箇所
9月27日
「まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう」。マタイ6:33
神様が私たちに求められるのは、犠牲や献身、捧げものではありません。「神の国」とは神様が支配されるところ、「神の義」とは神様の裁きです。人はすべて「俺」の国に住み、「わが義」を通そうとします。その結果は今見る世間の姿です。あなたの日々の生活の中で主の支配と裁きに委ねることがどれだけあるでしょうか。(KE)
今日の通読箇所
9月26日
「耳を傾け、わたしにきて聞け。そうすれば、あなたがたは生きることができる」。イザヤ55:3ab
交わりは会話から始まります。会話は言葉のキャッチボールです。語ることと聞くこと、言葉のやり取りが大切です。神様との交わりも祈りによって行われますが、しばしば神様との会話が成り立っていないように思われます。悩みに会う時、熱心に祈りますが、一方通行になりがちです。相手(神様)の言葉を聞こうとしない。そのため命が届かないのではないでしょうか。(KE)
今日の通読箇所