2月7日
「わたしはあなたを、まったく良い種のすぐれたぶどうの木として植えたのに、どうしてあなたは変って、悪い野ぶどうの木となったのか」。エレミヤ2:21
神様の嘆き。光なる神様の栄光を輝かす存在として、人は造られたものです。しかし、サタンの誘惑に負けた人の心に悪が忍び込み、良き種を駆逐し、悪しき種がはびこり、人は無残なものとなりました。良きぶどうの木であるイエス様につながるほか、悪に打ち勝つ道はありません。自らを省みて、主のもとに帰ろうではありませんか。(KE)
今日の通読箇所
2月7日
「わたしはあなたを、まったく良い種のすぐれたぶどうの木として植えたのに、どうしてあなたは変って、悪い野ぶどうの木となったのか」。エレミヤ2:21
神様の嘆き。光なる神様の栄光を輝かす存在として、人は造られたものです。しかし、サタンの誘惑に負けた人の心に悪が忍び込み、良き種を駆逐し、悪しき種がはびこり、人は無残なものとなりました。良きぶどうの木であるイエス様につながるほか、悪に打ち勝つ道はありません。自らを省みて、主のもとに帰ろうではありませんか。(KE)
今日の通読箇所
2月6日
「わたしの悩みの日にわたしはあなたに呼ばわります。あなたはわたしに答えられるからです」。詩篇86:7
悩みや苦しみに会い、四面楚歌、頼む者なき孤独の中で、神様を呼び求めることができるのはどれほど心強いことでしょう。呼べども答えのない相手であれば、何の力にもなりません。しかし、命まで捨てて愛して下さる主は、苦しみ呼ばわる私たちを見捨てることはなさいません。(KE)
今日の通読箇所
2月5日
「昼は雲をもって彼らを導き、夜は、よもすがら火の光をもって彼らを導かれた」。詩篇78:14
イスラエルの民がエジプトを出て、荒野を旅する間、神様は彼らと共におられて、守り導いてくださいました。神様はご自身の臨在を表すために、昼は雲の柱、夜は火の柱をもちいました。今は雲や火ではありませんが、主の十字架を立てて、神様が共にいる(臨在)ことを示しています。今日もあなたの進む道を導き示しておられます。(KE)
今日の通読箇所
2月4日
「神を求める者よ、あなたがたの心を生きかえらせよ」。詩篇69:32b
私たちの目に見えるところは日々にかわり、それにつれて心もころころと変わります。そのため目に見えない疲れが心をむしばむのです。気が付かないうちに、生ける屍のように生気を失い、気力も失せてしまいます。そのような弱い自分を認めて力の源なる神様にすがり、求めようではありませんか。あなたの心を強くするのは神様以外にありません。(KE)
今日の通読箇所
2月3日
「主よ、わが口に門守を置いて、わがくちびるの戸を守ってください」。詩篇141:3
人間関係において、しばしば生じる軋轢は主に言葉によるものです。不用意な一言によって、長年の友情が壊れる事すらあります。しかし、言葉を制することほど困難なこともありません。どんなに気をつけていても、失敗します。自分のことながら、悪魔に乗じられないために、神様に言葉の根である心を支配してもらいましょう。(KE)
今日の通読箇所
2月2日
「主はそのみこころにかなう事を、天にも地にも、海にもすべての淵にも行われる」。詩篇135:6
天地創造以来、万物は神様のみこころによって、持ち運ばれています。しかし、時には神様の御心が何であるか、これが神様の為さる事だろうかと思うことがあります。それは神様の御心は広く、高く、深くて、私たちがすべてを知りえないからです。今日の短い一日すらも、神様の御心によって導かれています。しかし、その中身は知ることができません。(KE)
今日の通読箇所
2月1日
「涙をもって種まく者は、喜びの声をもって刈り取る」。詩篇126:5
何事も徒労に終わることはむなしくなります。努力が報われないわけです。と言って、何もしなければ、報いもありません。畑を耕し、種をまき、水やり、肥料、草取りなど、たゆまず努力した者こそ、収穫の喜びを存分に味わうことができます。それは神様の報いだからです。(KE)
今日の通読箇所
1月31日
「あなたは人をちりに帰らせて言われます、『人の子よ、帰れ』と」。詩篇90:3
人の一生は自分で決めることができません。私たちをこの世に送り出された神様がまた終わらせてくださいます。物質としての人は死と共に朽ち果てますが、内に秘められた霊魂(たましい)は神様のもとに帰ります。その時まで、それがいつであるか分かりませんが、与えられた命の限りを生き抜いてください。それが私たちの使命だからです。(KE)
今日の通読箇所
1月30日
「わが魂はもだしてただ神をまつ。わが救は神から来る」。詩篇62:1
危急の事態が起こると、人はうろたえて右往左往して、落ち着きません。しかし、どんなに慌てても、事態は動きません。そんなことよりも、思いがけない今も事態も、神様の御手に握られていることを信じて、黙って神様の時とわざを待つ。自分の時と自分の考えるわざに固執するとき、神様が見えなくなります。主の手を信じて、泰然自若、座して結果を待ちましょう。(KE)
今日の通読箇所
1月29日
「神はわれらの避け所また力である。悩める時のいと近き助けである」。詩篇46:1
神様は私たちから遠く離れておられるのではなく、いつも「共に」おられ、求められるのを待っておられます。悩みの時、力なきとき、孤独な時など、どんなときにも主はあなたを助けたいと用意しています。遠慮なく、どんな時でも、どんな事でも、主のもとに持ち出してください。(KE)
今日の通読箇所