9月15日
「母は僕たちに言った、『このかたが、あなたがたに言いつけることは、なんでもして下さい』」ヨハネ2:5
婚宴の席でぶどう酒がなくなります。その時、マリヤさんが指示したのは、どんなことでもイエス様の言われるようにしてくれと。しばらくして、主は僕に水を汲めと命じ、さらにその水を料理人のところへ持って行かせます。その水がぶどう酒になっていたのです。イエス様の言葉に無条件で従う時、奇跡が起こります。(KE)
今日の通読箇所
9月15日
「母は僕たちに言った、『このかたが、あなたがたに言いつけることは、なんでもして下さい』」ヨハネ2:5
婚宴の席でぶどう酒がなくなります。その時、マリヤさんが指示したのは、どんなことでもイエス様の言われるようにしてくれと。しばらくして、主は僕に水を汲めと命じ、さらにその水を料理人のところへ持って行かせます。その水がぶどう酒になっていたのです。イエス様の言葉に無条件で従う時、奇跡が起こります。(KE)
今日の通読箇所
9月14日
「すると、女は答えて言った、『主よ、お言葉どおりです。でも、食卓の下にいる小犬も、子供たちのパンくずは、いただきます』」。マルコ7:28
異邦人である女がイエス様に娘の癒しを願ってきました。しかし、主は厳しく断りますが、母親はこの時を逃しては救われる道がないと、犬呼ばわりされてもなお執拗に迫ってきます。この気迫に圧倒された主は、彼女の願いに答えてくださいました。彼女に負けないよう主を求めようではありませんか。(KE)
今日の通読箇所
9月13日
「日々にわれらの荷を負われる主はほむべきかな。神はわれらの救である」。詩篇68:19
わたしたちは裸で生まれ、また裸でこの世を去っていきます。一緒に行こうと言う人はいません。孤独です。しかし、幸いなことにイエス様が人生の伴走者となってくださったのです。しかも主は、わたしたちの罪の重荷を負うてくださいます。主は今日も十字架を担って、あなたと共に歩いておられます。(KE)
今日の通読箇所
9月12日
「人のよしあしをいう者の言葉はおいしい食物のようで、腹の奥にしみこむ」。箴言18:8
人が二人また三人よれば、必ず人のうわさ話に花が咲きます。殊に、人を批判してあしざまに語るときの快感は誰しもが経験するところでしょう。しかし、その時こそ危険なときです。サタン(悪魔)が盛んに働くときだからです。語る者も聞く者も、その心が喜びを失い、暗く力がなくなります。聞くにも、語るにも、ご用心あれ。(KE)
今日の通読箇所
9月11日
「王の心は、主の手にうちにあって、水の流れのようだ、主はみこころのままにこれを導かれる」。箴言21:1
人の心を動かすことは至難の業です。ましてや専制君主であって、自己本位の塊のような王様の心を動かすなど、到底不可能です。しかし、神様には出来ないことはありません。王様の心すら、まるで水のように自在に操ることが出来ます。自分の心すらままならず、ましてや人の心を動かすことも出来ませんが、神様に願うなら、どんなにでも変わります。(KE)
今日の通読箇所
9月10日
「主よ、あなたは恵みをもって、わたしをゆるがない山のように堅くされました」。詩篇30:7
人を揺るがない不動のものとするため、困難や患難を通るべきだと考えやすいものです。しかし、それでは真の強さにはなりません。神様は恵みをもって私たちを強くされます。あふれる恵みによって、神様にいよいよ深く結びつくことが出来るからです。神様に寄り頼む心がしっかりとするとき、人はどんなものにも動じない者となります。(KE)
今日の通読箇所
9月9日
「しかし、わたしたちの国籍は天にある。そこから、救主、主イエス・キリストのこられるのを、わたしたちは待ち望んでいる」。ピリピ3:20
イエス様を信じ、救われた者ですが、今なお肉にあるこの世の生活を続けています。しかし、現実がどうであれ、私たちは主のものとされ、天国に名を連ねているのです。御国の民としてふさわしい歩みをしようではありませんか。花婿なるキリストがいつ来られても遅れることのないように、日々、備えておきましょう。(KE)
今日の通読箇所
9月8日
「というのは、ラッパが響いて、死人は朽ちない者によみがえらされ、わたしたちは変えられるのである」。第一コリント15:52
生ける者はすべて終わりの時、死を迎えることになります。その先はどうなるだろうかと不安を抱く方もあるでしょう。聖書は一貫して肉体の死がすべての終りではないと示唆しています。終末の時、約束されたように主が私たちを迎えに来られる。死者の魂は眠りから覚め、神様の前に集められ、新しい霊の体へとよみがえり、永遠の御国に加えられます。この時を望みつつ、今を生きるのです。(KE)
今日の通読箇所
「見よ、今は恵みの時、見よ、今は救の日である」。第二コリント6:2b
私たちが生きる時は「今」しかありません。過ぎ去った時は、いくら悔やんでも戻ってこないからです。また、明日はまだ未知の時であって、明日が今に代わるかどうか、誰も知りません。そうなると、今がどんなに不如意であろうと、感謝して生きるほかないのです。今日も備えられた恵みの時と感謝して過ごそうではありませんか。(KE)
今日の通読箇所
9月6日
「そのとががゆるされ、その罪がおおい消される者はさいわいである。主によって不義を負わされず、その霊に偽りのない人はさいわいである」。詩篇32:1-2
誰でも幸福になりたいと願います。そのために汗水流して働き、財を蓄えますが、それでは決して幸いになることはできません。その人が幸福であるか、不幸であるかは、持ち物によらず、心の有り様です。心に罪や不義がなく、光にあふれている人、その人こそ幸いな人と言えます。逆に心が闇に閉ざされている人はまことに不幸です。(KE)
今日の通読箇所