私たちへのみ思いは、限りない愛に満ちています

9月5日
「主はあわれみに富み、めぐみふかく、怒ること遅く、いつくしみ豊かでいらせられる」。詩篇103:8

神様の手に握られた私たちに、神様はどんなひどい事をなさるだろうかと不安になるかもしれません。しかし、私たちに抱いておられる御思いは、限りない愛に満ちています。なぜなら、ご自分の命を分与した者たちだからです。ふかふかの羽毛布団に包まれるように、神様の御手に自らを残らず委ねようではありませんか。(KE)

今日の通読箇所

民数記7章

マタイによる福音書13章

なぜなら神様の手のなかに握られているからです

9月4日
「わたしが天にのぼっても、あなたはそこにおられます。わたしが陰府(よみ)に床を設けても、あなたはそこにおられます」。詩篇139:8

人は神様の磁場から逃れることは出来ません。天に昇ろうと、地に下ろうと、神様の手から離れることはできないのです。なぜなら、神様の手のなかに握られているからです。だったら、今置かれたところ以外に、自分の場所はないのですから、覚悟して神様のなさることに、すべて委ねようではありませんか。(KE)

今日の通読箇所

民数記6章

マタイによる福音書12章

自分のことを全く知らないと言ってもいいでしょう

9月3日
主よ、あなたはわたしを探り、わたしを知りつくされました」。詩篇139:1

神様は私たちの造り主です。だから、私たちを誰よりもよく知っておられるのです。多くの人は自分の事は自分がよく知っているといいますが、残念ながら、自分のことを全く知らないと言ってもいいでしょう。今日の一日も、あなたのために備えられた一日です。どんな一日になるのか、自分は知らなくても神様はご存じです。(KE)

今日の通読箇所

民数記5章

マタイによる福音書11章

選んだことの結果を引き受けなければならないのです

9月2日
「まちがってはいけない、神は侮られるようなかたではない。人は自分のまいたものを、刈り取ることになる」。ガラテヤ6:7

神様が人を造られたとき、自らの生き様を選ぶ自由を与えられました。人は神様の操り人形ではありません。その代わり、自分が選んだことについては、それにふさわしい結果を引き受けなければならないのです。神様に従う道であるか、それとも自分の身勝手な道に進もうとするのか、今日もあなたは選ばなければなりません。(KE)

今日の通読箇所

民数記4章

マタイによる福音書10章

万物を始められた方はそのすべてを持ち運んでおられます

9月1日
「万物は、神からいで、神によって成り、神に帰するのである」。ローマ11:36a

「創世記」の最初に書かれているように、森羅万象、すべての始まりは神様にあります。もし神様がいないとしたら、今日のあなたは存在していません。しかも、万物を始められた方はそのすべてを持ち運んでおられます。私たちには分かりませんが、神様のご計画のもとですべてが進められているのです。神様のなさる業に人は何一つ足すことも引くことも出来ません。(KE)

今日の通読箇所

民数記3章

マタイによる福音書9章

神様の求める義は、神様を信じ畏れ敬うことです

8月31日
「人が義とされるのは、律法の行いによるのではなく、信仰によるのである」。ローマ3:28b

義とは何か、議論すれば難解極まりないものですが、ごく簡単に言えば、神様の前に罪とがのないことです。人は多かれ少なかれ義人でありたいと願います。道徳的、倫理的な行為を積み重ねる、いわゆる善行功徳を積めば、義人だと世間では見られます。しかし、神様の求める義は、万物の創造者、全知全能の神様がおられることを信じ、神様を畏れ敬い生きる人のことです。(KE)

今日の通読箇所

民数記2章

マタイによる福音書8章

神様の求める義は神様を信じ畏れ敬うことです

8月30日
「人が義とされるのは、律法の行いによるのではなく、信仰によるのである」。ローマ3:28b

義とは何か、議論すれば難解極まりないものですが、ごく簡単に言えば、神様の前に罪とがのないことです。人は多かれ少なかれ義人でありたいと願います。道徳的、倫理的な行為を積み重ねる、いわゆる善行功徳を積めば、義人だと世間では見られます。しかし、神様の求める義は、万物の創造者、全知全能の神様がおられることを信じ、神様を畏れ敬い生きる人のことです。(KE)

今日の通読箇所

民数記1章

マタイによる福音書7章

「御使いのわざ」と言い切ってしまうことが大切です

8月29日
「そして御使はペテロのわき腹をつついて起し、「早く起きあがりないさい」と言った。使徒12:7b

ペテロは捕らえられ、牢獄に入れられました。厳重な警戒のもとに置かれ、助かる望みがなかったとき、エルサレムの教会では祈りがささげられていた。その結果、主の使が遣わされ、ペテロを導いて獄の外へと導いたのです。御使いの仕業と言われていますが、具体的に手引きした人がいたのでしょう。しかし、それを「御使いのわざ」と言い切ってしまう。これが大切です。(KE)

今日の通読箇所

レビ記27章

マタイによる福音書6章

不信仰の石を取りのけるとき、神様の力が発揮されます

8月28日
「イエスは言われた、『石を取りのけなさい』」。ヨハネ11:39

ラザロが死んで四日もたった時、イエス様が来られました。主は墓地に案内させます。そこで主は「石を取りのけなさい」と言われます。死者が生き返るとは信じがたい事です。状況は不可能であっても、主の言葉に従って不信仰の石を取りのける。そのとき、神様の力が発揮されます。人の心には出来ないというあきらめ、固定観念がたくさんあります。神様にも出来ないことがあるのでしょうか。(KE)

今日の通読箇所

レビ記26章

マタイによる福音書5章

パウロは今日あるのは神様の恵みによるのだと言いました

8月27日
「あなたがたの切り出された岩と、あなたがたの掘り出された穴とを思いみよ」。イザヤ51:1b

「原点回帰」と言われます。迷ったとき、まず出発した初めのところに戻ってやり直すことです。パウロは今日あるのは神様の恵みによるのだと言いました。私たちも、今日まで生かされたのは神様の恵みと憐れみによるほかありません。神様にとって何ほどの価値もない罪と咎とに死んだものでした。自分がどんな者であったか忘れることなく、今を感謝して生きてください。(KE)

今日の通読箇所

レビ記25章

マタイによる福音書4章