8月13日
「しかし、わたしの願うところは、あなたがたが善にさとく、悪には、うとくあってほしいことである」。ローマ16:19b
日々の営みにあって、常に岐路にたたされるのは、「善」か「悪」かの選択です。善とは神様の喜ばれる道、悪とは神様抜きで歩む道です。今日も、色んなことで決断が求められるでしょう。その時、心に湧いてくる思いを調べて、自分を喜ばせるのではなく、主に喜ばれる道に進みましょう。時には、つらいことかもしれませんが。(KE)
今日の通読箇所
8月6日
「わたしはいつくしみを喜び、犠牲を喜ばない。燔祭よりもむしろ神を知ることを喜ぶ」。ホセア6:6
私たちの信ずべき神様は、形だけの犠牲や献身、服従や勤行を求めているのではありません。神様が喜ばれるのは主を求め、交わり、愛を注ぐものとなることです。何よりも、神様と深く交わり、神様の愛の深みに捕らわれ、神様があなたにとって不可欠なものとなることです。(KE)
今日の通読箇所
8月5日
「われわれは天にいます神にむかって、手と共に心をもあげよう」。哀歌3:41
かつては天に向かって両手をさし伸べて祈りました。天に居ます神に祈るためですが、神様がいと高き方、この世のものではないことを「天にいます」と語っているのです。ただ、天に手を伸べるだけではなく、心を神様に繋ぐことが何よりも大切です。今では手を差し伸べませんが、誰に向かって祈っているのか自覚して心から祈りましょう。(KE)
今日の通読箇所
8月4日
「ふたりが言った、『主イエスを信じなさい。そうしたら、あなたもあなたの家族も救われます』」。使徒16:31
神様が備えてくださった救いは実に簡単明瞭です。頭を悩ますような複雑怪奇なものではありません。パウロとシラスが捕らわれていた獄屋の番人に語ったように、「主イエス」が救い主だと信じる以外にありません。すると主はあなたのどんな問題でも、悩みでも解決することが出来ます。何よりも、死んでも生きる命が与えられます。(KE)
今日の通読箇所