主はあなたの場所を用意するために天に帰られたのです

8月16日
「そして、行って、場所の用意ができたならば、またきて、あなたがたをわたしのところに迎えよう」。ヨハネ14:3a

主はすべての救いの道を備えたのち、天に帰られました。人となられた主はもはやこの世にいませんが、やがて再びこの世に来てくださるとの約束です。しかも主はあなたのために場所を用意するために天に帰られたのです。今、どのような境遇にあろうとも、やがて来てくださる主を待ち望むとき、力と望みと平安を与えられます。(KE)

今日の通読箇所

レビ記14章

ヨハネの黙示録15章

主はあなたと共に「歩いて」行かれます

「語り合い論じ合っていると、イエスご自身が近づいてきて、彼らと一緒に歩いて行かれた」。ルカ24:15

 二人の弟子がエマオに向かって行く途中、蘇られた主が彼らと共に歩いて行かれます。しかし、彼らはそれが主であると気が付きません。私たちも同様に主が共におられることに気が付かないでいませんか。主はいつも共にいると約束しておられます。不安の中に、恐れの中に、悲しみの中に、また喜びの時も、主はあなたと共に「歩いて」行かれます。(KE)

今日の通読箇所

レビ記13章

黙示録14章

自我を捨てる時、豊かに実を結ぶことが出来ます

「一粒の麦が地に落ちて死ななければ、それはただ一粒のままである。しかし、もし死んだなら、豊かに実を結ぶようになる」。ヨハネ12:24

 植物の種は地に落ちて土に埋もれ、分解して、新芽が育ち、やがて実を結ぶようになります。人もまた同様に自分と言う種が様々な境遇によって潰され、砕かれ、失われたものとなるとき、新しい命が芽生えます。今日も主があなたを遣わしてくださる所にあって、一粒の種のごとく、自分の考え、願いを捨て、自我を捨てる時、豊かに実を結ぶことが出来ます。(KE)

今日の通読箇所

レビ記12章

黙示録13章

甦った主は、今日もあなたと共におられるのです

「イエスは女に言われた、『女よ、なぜ泣いているのか。だれを捜しているのか』」。ヨハネ20:15

 主が甦られた朝、マリヤは埋葬された墓に主を求めてきましたが、そこには遺体すらなくなっていました。甦りを信じることが出来なかったのです。
 喪失感から悲しみに泣いていたマリヤに主が声をかけてくださった。主は目の前におられるのです。それが見えない。あなたは何を恐れ、何を不安に思い、何に失望していますか。甦った主は、今日もあなたと共におられるのです。(KE)

今日の通読箇所

レビ記11章

黙示録12章

賛美してください

「主を喜ぶことはあなたがたの力です」。ネヘミヤ8:10

 普段の生活にあっては、身体的な力が求められます。そのため、健康であることが大切なこととされます。それももっともなことだと思いますが、身体能力は歳と共に衰えていきます。それと同時に心も衰えてきます。しかし、私たちの力は神様から与えられるものです。その力を体験するには、主を喜び、賛美し、感謝することです。ぜひ、賛美してください。(KE)

今日の通読箇所

レビ記10章

黙示録11章

疑わないで信じて祈りましょう

「ただ、疑わないで、信仰をもって願い求めなさい。疑う人は、風の吹くままに揺れ動く海の波に似ている」。ヤコブ1:6

 万物の創造者、全能の神に祈り求めることが出来るとは、なんと幸いなことではないでしょうか。しかも出来ない事のない方です。問題は私たちにあります。私たちの祈りを聞いてくださらないのではないかと、神様を疑うのです。そうである限り、神様に触れることが出来ません。今、与えられている問題があるなら、疑わないで信じて祈りましょう。(KE)

今日の通読箇所

レビ記9章

黙示録10章

平穏な時に謙遜出来れば、どんなに幸いなことでしょうか

8月10日
「神は高ぶる者をしりぞけ、へりくだる者に恵みを賜うからである」。第一ペテロ5:5d

水は高いところから、低いところへと流れます。決して逆にはなりません。それと同じように、神様の恵みも低い方へと注がれるのです。これが恵みの法則です。試練に遭うとき、人は否応ナシに心が低くされます。それは大きな恵みですが、平穏無事な時、謙遜になることが出来れば、どんなに幸いなことでしょうか。今はあなたの恵みの時です。(KE)

今日の通読箇所

レビ記8章

ヨハネの黙示録9章

何よりも私たちが神様に心を向け、信頼することです

8月9日
「さあ、わたしたちは主に帰ろう」。ホセア6:1a

神様はそのひとり子を十字架に処罰するほどに限りない愛をもって私たちを愛しておられます。それゆえにたえず私たちを求めておられるのです。だから、様々な試練・患難を与えなさるのです。日常生活にあって、いろんな問題が与えられるのはまさにそのためです。目の前の事件や問題を解決することも必要ですが、何よりも私たちが神様に心を向け、信頼するものとなることです。(KE)

今日の通読箇所

レビ記7章

ヨハネの黙示録8章

神様に頼ることは麗しい姿です

「イエスは彼らを見つめて言われた、『人にはできないが、神にはできる。神はなんでもできるからである』」。マルコ10:27

 どんなに優れた能力をもっていようと、「人」であるかぎり、限界があります。優秀な人ほどそのことを自覚しています。「身の程を知れ」と言われますが、ただ凡人はそれを認めようとしません。自分を高く評価することは大切ですが、自信過剰は鼻つまみ者です。まずは、人は出来ないと認め、だからこそ神様に頼ることは麗しい姿です。(KE)

今日の通読箇所

レビ記6章

黙示録7章

どれほど自分の願い通りにやってきたでしょうか

「ああ深いかな、神の知恵と知識との富は。そのさばきは窮めがたく、その道は測りがたい」。ローマ11:33

 神様の考えられること、またその計画、何をとっても人が知りつくすことが出来ません。私たちは自分の人生を生きていると思っていますが、ではどれほど自分の願い通り、思い通りにやってきたでしょうか。これまでの歩みを振り返ると、自分の知らない力に押されて来たように思われます。自らの無知、無能、無力であることを素直に認めようではありませんか。(KE)

今日の聖書通読

レビ記5章

黙示録6章