8月10日
「主ご自身、試錬を受けて苦しまれたからこそ、試錬の中にある者たちを助けることができるのである」。ヘブル2:18
どんなに親しい家族や友達であっても、その人の痛みや苦しみを理解することはできません。しかし、同じ痛みを経験したなら、幾分かは相手の事を感じてあげることは出来ます。イエス様は私たちと同じ痛みや苦しみなどを体験しておられるゆえ、私たちのことも共感してくださるのです。心強いことではないでしょうか。(KE)
今日の通読箇所
8月6日
「わたしはいつくしみを喜び、犠牲を喜ばない。燔祭よりもむしろ神を知ることを喜ぶ」。ホセア6:6
私たちの信ずべき神様は、形だけの犠牲や献身、服従や勤行を求めているのではありません。神様が喜ばれるのは主を求め、交わり、愛を注ぐものとなることです。何よりも、神様と深く交わり、神様の愛の深みに捕らわれ、神様があなたにとって不可欠なものとなることです。(KE)
今日の通読箇所
8月5日
「われわれは天にいます神にむかって、手と共に心をもあげよう」。哀歌3:41
かつては天に向かって両手をさし伸べて祈りました。天に居ます神に祈るためですが、神様がいと高き方、この世のものではないことを「天にいます」と語っているのです。ただ、天に手を伸べるだけではなく、心を神様に繋ぐことが何よりも大切です。今では手を差し伸べませんが、誰に向かって祈っているのか自覚して心から祈りましょう。(KE)
今日の通読箇所
8月4日
「ふたりが言った、『主イエスを信じなさい。そうしたら、あなたもあなたの家族も救われます』」。使徒16:31
神様が備えてくださった救いは実に簡単明瞭です。頭を悩ますような複雑怪奇なものではありません。パウロとシラスが捕らわれていた獄屋の番人に語ったように、「主イエス」が救い主だと信じる以外にありません。すると主はあなたのどんな問題でも、悩みでも解決することが出来ます。何よりも、死んでも生きる命が与えられます。(KE)
今日の通読箇所
8月3日
「主のあなたに求められることは、ただ公義をおこない、いつくしみを愛し、へりくだってあなたの神と共に歩むことではないか」。ミカ6:8b
神様があなたに求めておられることは、実に単純なことです。しかし、これがなかなか行うには困難です。私たちの心には願いながらも実行させまいとするサタンの力が潜んでいるからです。み言葉の光に心を照らされて、義と愛と謙遜を求めてください。そのとき、人は神様と共に生きることが出来ます。(KE)
今日の通読箇所
8月2日
「このような人は流れのほとりに植えられた木の時が来ると身を結び、その葉もしぼまないように、そのなすところは皆栄える」。詩篇1:3
「このような人」とは、神様を愛し、その御心に従う人のことです。そのような人の一生は神様の祝福に満ちたものとなります。人生、様々な困難や苦労に出会い、多くの人々は命を失い、気力を亡くし、生ける屍と化してしまいます。私たちがまずなすべきことは命の水に潤されることです。脱水症にならないよう、生ける水を求めましょう。(KE)
今日の通読箇所
8月1日
「主はこう言われる、『おおよそ人を頼みとし肉なる者を自分の腕とし、その心が主を離れている人は、のろわれる』」。エレミヤ17:5
「のろわれる」とは物騒な話ですが、決して誇張でも脅しでもありません。神様を拒み、敬わず、自分を神とする限り、命の源から切り離されたものです。命を断たれることはのろわれたものとなるのは必然の結果です。神様から命の水を注がれる限り、何物にも打ち勝つ力を得ることが出来ます。(KE)
今日の通読箇所