9月30日
「主なる神はこれらの骨にこう言われる、見よ、わたしはあなたがたのうちに息を入れて、あなたがたを生かす」。エゼキエル37:5
預言者エゼキエルは山のように集められた骨に向かって、「枯れた骨よ、主の言葉を聞け」と命じました。すると息が四方から吹いてきて、枯れた骨に入り、彼らは生き、足で立ち、群衆となったのです。枯れた骨にすぎない私たちに、キリストの霊が吹き入れられると生きる者となるのです。今日も主の息によって生きる者となってください。(KE)
今日の通読箇所
9月30日
「主なる神はこれらの骨にこう言われる、見よ、わたしはあなたがたのうちに息を入れて、あなたがたを生かす」。エゼキエル37:5
預言者エゼキエルは山のように集められた骨に向かって、「枯れた骨よ、主の言葉を聞け」と命じました。すると息が四方から吹いてきて、枯れた骨に入り、彼らは生き、足で立ち、群衆となったのです。枯れた骨にすぎない私たちに、キリストの霊が吹き入れられると生きる者となるのです。今日も主の息によって生きる者となってください。(KE)
今日の通読箇所
9月29日
「イエスは彼に言われた、『起きて、あなたの床を取りあげ、そして歩きなさい』」。ヨハネ5:8
38年も病気に悩み、ベテスダの池で水の動くときをただひたすら待ち続けた人に言われた主の言葉。人は固定観念や過去の経験則に縛られて身動きできなくなります。この人もそうです。信仰に立つとは離れられない「床」をまず取っ払うことです。出来る出来ないに関わらず、主の言葉に従う。その時、新しい歩みが始まるのです。(KE)
今日の通読箇所
9月28日
「わたしはまたわが霊をあなたがたのうちに置いて、わが定めに歩ませ、わがおきてを守ってこれを行わせる」。エゼキエル36:27
神様は懇ろな行き届いた方です。人は被造物ですから、造り主なる神様を深く知るすべがありません。ですから、神様はご自分の霊を私たちに注いで、主と一つ思いになる道を備えてくださいました。今はご聖霊が私たちの内に住んでおられて、神様の御心に従わせてくださるのです。主の霊はあなたの内にも宿っておられます。(KE)
今日の通読箇所
9月27日
「あなたがたはわが羊、わが牧場の羊である。わたしはあなたがたの神であると、主なる神は言われる」。エゼキエル34:31
神様と私たちとの関係は羊飼いとその養われる羊たちのようなものです。それをイエス様と私たちの関係に引き継いだのです。しばしばその事を忘れて、自分一人で生きているかのように錯覚しています。主はご自分の牧の羊を決して忘れることも、見捨てることもなさいません。今日も、従順な羊となって、導かれる主に従いましょう。(KE)
今日の通読箇所
9月26日
「あなたは彼らに言え、主なる神は言われる、わたしは生きている。わたしは悪人の死を喜ばない。むしろ悪人が、その道を離れて生きるのを喜ぶ」。エゼキエル33:11a-c
神様のご愛の大きさは測り知ることが出来ません。人を愛して何としても救いたいと願っておられます。悪人に対してすら、その悪しき道を離れることを願い、滅ぼすことを望まれないのです。そのような主のご愛を無にすることなく、どんな時でも、道を改めて主の許に帰ろうではありませんか。(KE)
今日の通読箇所
9月25日
「主の目は義人たちに注がれ、主の耳は彼らの祈にかたむく。しかし主の御顔は、悪を行う者に対して向かう」。第一ペテロ3:12
「義人」とはイエス様の命によって罪なき者とされた者たちです。これは救われた者の最大の恵みです。神様が常に見守り、祈りを聞いてくださるのですから。一方、神様を軽んじ、己を神とする者に対して厳しく裁かれます。今日も十字架の主を見上げつつ、義とされた恵みを感謝して過ごしましょう。(KE)
今日の通読箇所
9月24日
「彼らが死人の中からよみがえるときには、めとったり、とついだりすることはない。彼らは天にいる御使のようなものである」。マルコ12:25
死後の世界、永遠の御国の望みについて語った主の言葉です。この世の使命が終わると、人の肉体は朽ちてなくなりますが、魂は御国に帰ります。そこでは、肉体に代わり、霊の体が与えられ、神様に仕える御使いのようになると、主は語っています。(KE)
今日の通読箇所
9月23日
「あなたがたの間でかしらになりたいと思う者は、すべての人の僕とならねばならない」。マルコ10:44
古くから、人の世にあって立身出世した者が賞賛されたものです。イエス様の弟子たちも例外ではありません。それに対して、イエス様はしもべとなることを勧めました。それはご自分こそ、人の世に降って来られた目的がすべての人の身代りとなり、十字架に命を断たれるためです。まさに完全なしもべとなられたのです。(KE)
今日の通読箇所
9月22日
「しかし、イエスはすぐ彼らに声をかけ、『しっかりするのだ。わたしである。恐れることはない』と言われた」。マルコ6:50b
ガリラヤ湖を渡っているとき、逆風に会い、舟が進まず、弟子たちは難儀していました。夜明けごろ、イエス様は水の上を歩いて彼らに近づいて助けてくださいました。あなたがどんな嵐の中にいようと、主はすぐそばに居られます。主は恐れを取り去り、不安を鎮めて、内なる人を強くしてくださいます。(KE)
今日の通読箇所
9月21日
「あなたがたはキリストのからだであり、ひとりびとりはその肢体である」。第一コリント12:27
私たちは、かつてはキリストに縁がなかった者ですが、イエス様の死によって罪を赦され、ぶどうの木である主に接ぎ木されました。今や体なるキリストと一体です。キリストに連なる私たちはそれぞれ役割があります。丁度、身体に手足、頭、目や口などのように。だから、お互い比べあっても意味がありません。自分の分をしっかり果たせば、それで十分です。(KE)
今日の通読箇所