主に出会うのは、生活と仕事の場です

7月13日

「そのとき、イエスは彼らに言われた、『恐れることはない。行って兄弟たちに、ガリラヤに行け、そこでわたしに会えるであろう、と告げなさい』」。マタイ28:10

 イエス様はよみがえられたとき、数人の弟子たちに会いました。そのとき、「ガリラヤに行け」と、そこで主に会うことが出来ると言われます。ガリラヤは弟子たちが主にお会いした最初の場所、彼らの出発点です。復活の主にお会いできるのは、初めて主に出会ったところ、そこは生活の場であり、雑多な仕事の場であったでしょう。もう一度、初心に帰ろうではありませんか。生ける主に触れるため。(KE)

今日の通読箇所

エステル記 10章

ルカによる福音書21章

神と交われない苦しみを味わったのです

7月12日

「それは『わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか』という意味である」。マタイ27:46b

 イエス様の受難のクライマックスです。これまでは父なる神様との交わりと慰めがありましたから、どんな困難でも苦しみでも耐え忍ぶことができました。しかし、いよいよ受難の最後に受けた父なる神様との交わりの断絶、これが主にとって最大の苦しみでした。罪ある者が神様と交われないこと、その苦しみの実例を主は味わって下さったのです。感謝!(KE) 

今日の通読箇所

エステル記 9章

ルカによる福音書20章

弱さを認め、謙遜になることが大切です

7月11日

「ペテロは『鶏が鳴く前に、三度わたしを知らないと言うであろう』と言われたイエスの言葉を思い出し、外に出て激しく泣いた」。マタイ26:75
 
 ペテロは威勢よく啖呵を切りましたが、人の決心など脆くて何の役にも立ちません。私どもも、しばしばペテロのような失敗を繰り返します。自分が弱いものであること認めて、謙遜になることが大切です。つい人に対していい格好を見せようとするため、失敗します。出来ない事は出来ないと、正直に認めて神様の御手に委ねるほかありません。(KE)

今日の通読箇所

エステル記 8章

ルカによる福音書19章

イエス様の霊が宿ることが真の命です

7月10日

「あなたがたは主を求めよ、そして生きよ」。アモス5:6a

 人の命は肉体が元気である事だけではありません。肉体は衰え失われて行きますが、真の命はあなたのうちにあるものです。それを霊魂と言い換えてもいいでしょう。いずれにしても、甦って、今も生きておられるイエス様の霊に宿っていただくことが真の命です。それはあなたが求めなければ得られません。今日も、主を求めて、生きる者となってください。(KE)

今日の通読箇所

エステル記 7章

ルカによる福音書18章

今日も聖霊は御心を行わせようしています

7月9日

「その後わたしはわが霊をすべての肉なる者に注ぐ」。ヨエル2:28a

 このヨエルの預言は長い時を経て、ペンテコステの出来事となって実現しました。さらに続けて、「その日わたしはまたわが霊をしもべ、はしために注ぐ」とあります。老若男女の別、貴賤の違いを超えて、文字通り、すべての人に、主の霊は注がれています。今日も主の霊はあなたと共にいて、主の御心を行わせようと働いています。心を主に向けてください。(KE)

今日の通読箇所

エステル記 6章

ルカによる福音書17章

神様が与えるもので、人のではないのです

7月8日

「イエスは彼らを見つめて言われた、『人にはできないが、神にはできる。神はなんでもできるからである』」。マルコ10:27

 永遠の生命を求めてきた青年、彼は主が言われることを出来ないと分かって、去っていきます。彼は自分には出来ると自負していました。どんなに有能であっても、人は神様を越えることはできません。ましてや永遠の命は神様が与えて下さるものであって、人の努力や熱心な行いによるものではないからです。人には出来ない事をしっかり自覚することから、事がはじまるのです。(KE)

今日の通読箇所

エステル記 5章

ルカによる福音書16章

曖昧な態度では、神様の力を頂けません

7月7日

「イエスは彼に言われた、『もしできれば、と言うのか。信じる者には、どんな事でもできる』」。マルコ9:23

 病気の子を持つ父親がイエス様のところに癒しを願いました。父親は「できれば」と頼みました。そのとき言われた主の言葉です。主を求めるに、できればよし、できなければ他に、という曖昧な態度では神様の力を表して頂くことが出来ません。この方による他、頼る者はないと心を定めるならば、主は全能の力を発揮してくださいます。(KE)

今日の通読箇所

エステル記 4章

ルカによる福音書15章

信仰に立つには、時を待つことに尽きます

7月6日

「神の御旨を行って約束のものを受けるため、あなたがたに必要なのは、忍耐である」。ヘブル10:38

 慌てる乞食は貰いが少ないと、世間でも言われます。どういうわけか、人はせっかちで、我慢できないようです。信仰に立つにはどんなことも神様の為さることと、その時を待つことに尽きます。神様にお任せしますと言いながら、まだか、まだかと急き立てるのは、神様を信頼できないゆえです。徹底して任せきってしまえば、どんなにか楽になるでしょう。(KE)

今日の通読箇所

エステル記 3章

ルカによる福音書14章

神様は人の心や思いに、報われるのです

7月5日

「主であるわたしは心を探り、思いを試みる。おのおのに、その道にしたがい、その行いの実によって報いをするためである」。エレミヤ17:10

 人は目に見える姿かたちによって、評価し、判断します。しかし、神様は外目には分からない人の心や思いを見ておられ、それについて報われるのです。神様の目をごまかすことは出来ません。しかも、見るだけではなく、必ず報われる方です。他人からどのように見られるかを気にせず、心を見ておられる方がおられることを自覚しておきましょう。(KE)

今日の通読箇所

エステル記 2章

ルカによる福音書13章

砕けた悔いた心には、神様がいるのです

7月4日

「わたしは高く、聖なる所に住み、また心砕けて、へりくだる者と共に住み、へりくだる者の霊をいかし、砕けたる者の心をいかす」。イザヤ57:15

 神様は義なる方、また聖なる方であって、汚れた者、罪人等と交わることは決してありません。ただ一つ、罪人が神様の恵みを受ける道は「心砕け、へりくだる」者となることです。あなたが砕けた悔いた心となるなら、そこに神様がいてくださるのです。頑なで高慢な者とならないで、心低くして謙遜に主を求めようではありませんか。(KE)

今日の通読箇所

エステル記 1章

ルカによる福音書12章