ただノアだけは神様を畏れて、主の恵みを得たのです

11月29日
「そこで主は彼のうしろの戸を閉ざされた」。創世記7:16b

ノアの時代、世は悪がはびこり、暴虐が満ちていました。ただノアだけは神様を畏れて、主の恵みを得たのです。箱舟が完成し、すべてのものが入り終わったとき、神様が箱舟の扉を閉ざされました。神様以外に戸を開くことができません。実に厳粛な事態です。救いの扉が閉ざされる時がいつであるか誰も分かりません。今、十字架の救いの扉が開かれています。あなたも救いの舟に飛び込んでください。(KE)

今日の通読箇所

ヨシュア記22章

使徒行伝9章

神が彼を取られて「いなくなった」のです

11月28日
「エノクは神とともに歩み、神が彼を取られたので、いなくなった」。創世記5:24

エノクがどのような人生を生きたのか、具体的な事はなにもわかりません。しかし、彼の生涯は祝福に満ちたものであったと思います。なぜなら、彼は神とともに歩み、神が彼を取られて「いなくなった」のです。神様の御手が常に彼と共にあり、彼を導き、御許へ引き上げられたのですから。この世のことに煩わされず、神と共に歩む一日を生きようではありませんか。(KE)

今日の通読箇所

ヨシュア記21章

使徒行伝8章

皮の着物は、人類の救いの約束の証です

11月27日
「主なる神は人とその妻とのために皮の着物を造って、彼らに着せられた」。創世記3:21

罪を犯した結果、エデンの園に居られなくなり、追放されますが、神様は慈しみに富み給う方。裸であった彼らに「皮の着物」を着せてくれました。これはまた人類の救いの約束の証です。やがて時が満ちて、神の子羊、キリストを世に送り、罪を取り除き、キリストを着る者としてくださいました。今日もキリストを身にまとって、生きる者となってください。(KE)

今日の通読箇所

ヨシュア記20章

使徒行伝7章

私たちも神様の作品のひとつで、ともに喜ぶべきです

11月26日
「神が造ったすべての物を見られたところ、それは、はなはだ良かった」。創世記1:31a

神様は神の霊に覆われた無のところに、言葉をもって森羅万象を創造されました。最後に人を造られ、創造の業が終わったのです。そのとき、神様はご自分の作品に大満足されました。私たちもその作品のひとつです。造り主とともに喜ぶべきですが、自分や周囲の人や境遇に満足できないのはなぜでしょうか。あらためて、主の創造の結果としての自分を感謝して受けようではありませんか。(KE)

今日の通読箇所

ヨシュア記19章

使徒行伝6章

私たちを造られた方は最後まで持ち運んでくださいます

11月25日
「わたしはあなたがたの年老いるまで変らず、白髪となるまで、あなたがたを持ち運ぶ。わたしは造ったゆえ、必ず負い、持ち運び、かつ救う」。イザヤ46:4

私たちをこの世に生きる者としたのは、人の計画によるのではなく、神様が造り、生かしておられるのです。神様はご自分の製造者責任を認めて居られます。私たちを造られた方は責任を持って最後まで持ち運んでくださるとのこと、何と感謝なことでしょう。始められた方は終わらせる時をも備えてくださいます。導かれるままに、この方のなさることに委ねることが幸いです。(KE)

今日の通読箇所

ヨシュア記18章

使徒行伝5章

人は神様を召使のごとく思ってしまいます

11月24日
「わが思いは、あなたがたの思いとは異なり、わが道は、あなたがたの道とは異なっていると主は言われる」。イザヤ55:8

神様は創造者、私たちは被造物、造られたものです。両者は全く違う者であることを十分知っているつもりです。しかし、気が付かないうちに人は神様を自分と同列、否、召使のごとく思ってしまいます。今も私たちの人生を創造される神様があなたに何をしようとされるのか、到底はかり知ることができません。主のなさることに一切委ねるのが幸いです。(KE)

今日の通読箇所

ヨシュア記17章

使徒行伝4章

思いつく計画がすべて実行されることにはならないのです

11月23日
「人の心には多くの計画がある、しかしただ主の、み旨だけが堅く立つ」。箴言19:21

人の心は底なしの沼のようです。絶え間なく、次から次へと様々な思いが現れてはまた消えていきます。思いつく計画がすべて実行されるとなると、とんでもない事態になるでしょう。ところが、不思議なことにそうはならないのです。あなたの心を握っておられるのは神様です。思いつく様々な計画案から選んで実現させてくださるのは神様だからです。(KE)

今日の通読箇所

ヨシュア記16章

使徒行伝3章

自らを省みる事こそ、まずなすべきことです

11月22日
「人は自分の愚かさによって道につまずき、かえって心のうちに主をうらむ」。箴言19:3

人は転んだり、失敗したりすると、自分の仕業を棚に上げ、他者に責任を負わせようとします。ましてや、神様を恨むなどとは言語道断、天に向かって唾を飛ばすようなものです。どんな場合でも、自らを省みる事こそ、まずなすべきことです。自らの非を認め、悔い改めて主に助けを乞うならば幸いな結果が得られます。(KE)

今日の通読箇所

ヨシュア記15章

使徒行伝2章

神様に信頼するなら、決して失望することがありません

11月21日
「わたしは主を待ち望みます、わが魂は待ち望みます。そのみ言葉によって、わたしは望みをいだきます」。詩篇130:5

人は常に望みを持たないと生きることができません。そのため、人はどんなに小さなことであっても、それに期待し、その成り行きに望みをかけますが、失望に終わります。神様に期待し、その約束の言葉に信頼するなら、決して失望することがありません。相手は出来ない事のない全能の神です。(KE)

今日の通読箇所

ヨシュア記14章

使徒行伝1章

道筋を照らしてくれたら、心安らかであろうと思います

11月20日
「あなたのみ言葉はわが足のともしび、わが道の光です」。詩篇119:105

不慣れな場所で、夜歩くとき、行く道筋を照らしてくれるものがなければ、不安です。同様に、人生行路を行くにも、最終目的地に着くまでの道筋を照らして教えてくれるものがあれば、どんなにか心安らかであろうと思います。聖書のみ言葉は「ともしび」「光」となって道を照らして、目的の地へ導いてくれます。(KE)

今日の通読箇所

ヨシュア記13章

ヨハネによる福音書21章