その目的は神様の栄光のために仕立てることです

7月17日
「わたしは光をつくり、また暗きを創造し、繁栄をつくり、またわざわいを創造する」。イザヤ45:7a

神様によらないものは何一つありません。有形無形、善悪を問わず、すべてが神様の目的のために用いられている道具です。私たちの生涯に出会う様々な出来事も、神様のなさるわざであって、人の知恵や力の及ぶところではない。その目的は神様の栄光のために仕立てることです。私たちの生涯を万華鏡のごとく、多彩な色と形で満たしておられるのです。(KE)

今日の通読箇所

出エジプト24章

ペテロの第一の手紙 1章

あなたにとって、なにが頼みとなるものでしょうか

7月16日
「王はその軍勢の多きによって救を得ない。勇士はその力の大いなるによって助けを得ない」。詩篇33:16

国を守るために王が頼むところは軍の力、それは兵士の数であったり、軍馬や素朴な戦闘車の数でした。そのため、敵より一層多くの軍勢を得ることが勝利だと思われたのです。しかし、万物を支配なさる神様は、王を立て、国を亡ぼす力ある方です。頼みとする軍勢など無に等しいものです。あなたにとって、なにが頼みとなるものでしょうか。(KE)

今日の通読箇所

出エジプト23章

ヤコブの手紙 5章

さばくに大路を備えるには神様のわざを期待することです

7月15日
「呼ばわる者の声がする、『荒野に主の道を備え、さばくに、われわれの神のために、大路をまっすぐにせよ』」。イザヤ40:3

「荒野」「さばく」と言われても想像できませんが、不毛の大地、人も住まない地とは思います。しかし、そのようなところに大路を備えよとのこと。なぜなら、そこが多くの人の集う所となるからです。その必須条件は神様のわざを期待することです。主がされるなら、荒野もさばくも、多くの人々が喜び集うところとなります。神様に対する姿勢をしっかり整えるなら、あなたの心の不毛の地も緑あふれる沃野となります。(KE)

今日の通読箇所

出エジプト22章

ヤコブの手紙 4章

苦しみによって自分を低くすることが出来たからです

7月14日
「苦しみにあったことは、わたしに良い事です。これによってわたしはあなたのおきてを学ぶことができました」。詩篇119:71

誰でも苦しみに会いたくないと願います。しかし、この詩篇の記者はむしろそれを喜ぶと言うのです。なぜなら、それによって神様の御手に自分を低くすることが出来たからです。「おきて」とは神様の御心のことです。私たちも苦しみに会うことがありますが、それを避けようとせず、神様と深く交わる機会にしたいものです。(KE)

今日の通読箇所

出エジプト21章

ヤコブの手紙 3章

主は言われます、「ゆだねよ」と

7月13日
「あなたの荷を主にゆだねよ。主はあなたをささえられる。主は正しい人の動かされるのを決してゆるされない」。詩篇55:22

家康でしたか、人の一生は重き荷を負うて遠き道をゆくがごとしと言ったそうですが、残念ながらその荷を下ろすことが出来なかったのでしょう。主は言われます、「ゆだねよ」と。人が重荷を負い続けることは神様のみこころではないからです。あなたが望むことなら負い続けるのもいいでしょうが、身軽になるとどんなに楽になる事か、人生が変わります。(KE)
7月13日

今日の通読箇所

出エジプト20章

ヤコブの手紙 2章

人生は偶然ではなく、明確な意思によって成立っているのです

7月12日
「主は言われる、わたしがあなたがたに対していだいている計画はわたしが知っている」。エレミヤ29:11a

誰一人として、この世に自分の意志と努力で生まれ出て、今に至るまで生きることを努めてきた人はいません。「はからずも」「思いがけない」出会いや失敗を積み重ねながら、今に至っているのが現実です。しかし、人生は偶然の産物ではなく、明確な意思によって成っているのです。それは目には見えない神様が備えられたものです。これからの人生も同じです。(KE)

今日の通読箇所

出エジプト19章

ヤコブの手紙 1章

過ちやすい自分であると認めると成長することが出来ます

7月11日
「なぜ、兄弟の目にあるちりを見ながら、自分の目にある梁を認めないのか」。ルカ6:41

自分のことには寛容で、何ひとつ間違いない者と自認しています。そればかりか、他人の小さな失敗を厳しく咎めやすいものです。同じ過ちをしやすい自分であると認めることによって、お互いに成長することが出来ます。第三者の目で自分の言動を点検する心を持ちたいものです。(KE)

今日の通読箇所

出エジプト18章

へブル人への手紙 13章

この世にある限り、試練は絶えません

7月10日
「荒野を四十日のあいだ御霊にひきまわされて、悪魔の試みにあわれた」。ルカ4:2a

イエス様は洗礼を受けたのち、荒野へ導かれ、試みに会いました。それはイエス様の信仰をより一層確かなものとすることであり、また私たちの模範となるためです。試練のない人生を願いますが、それだけではひ弱になります。この世にある限り、試練は絶えません。しかし、それによってキリストの姿にまで成長するのです。(KE)

今日の通読箇所

出エジプト17章

へブル人への手紙 12章

あなたが信じるところに従って「聞き流す」ことです

7月9日
「イエスはその話している言葉を聞き流して、会堂司に言われた、『恐れることはない。ただ信じなさい』」。マルコ5:36

会堂司の娘が瀕死の状態でした。イエス様は会堂司の家に出かけますが、その時、すでに亡くなっていました。人々は悲しみ、イエス様の祈りも無駄だとつぶやいている。しかし、主は「聞き流して」と言われています。周囲の人の声、自分のうちに聞こえる声など、様々な声が惑わせます。しかし、大切なのはあなたが信じるところに従って「聞き流す」ことです。(KE)

今日の通読箇所

出エジプト16章

へブル人への手紙 11章

わたしはできないと認めることは神様のなさったことです

7月8日
「イエスは彼らを見つめて言われた、『人にはできないが、神にはできる。神はなんでもできるからである』」。マルコ10:27

人はなんでも自分でしなければ納得できません。しかし、残念なことに人は無能無力なものです。できるつもりでも、出来ないことが多くて、苛立ったり、失望したり、なんとも情けない姿をさらしています。主は言われます、「人にはできない」と。「わたしはできない」と認める。あなたにできることがあれば、それは神様のなさったことです。感謝以外にありません。(KE)

今日の通読箇所

出エジプト15章

へブル人への手紙 10章