神は造られた物に収まる方ではありません

6月12日

「この世界と、その中にある万物とを造った神は、天地の主であるのだから、手で造った宮などにはお住みにならない」。使徒17:24

 パウロがアテネに初めて行ったとき、偶像の多さに驚きました。その時、集まった人々に神様がどんな方であるかを語ったのです。多くの宗教は必ずそれぞれの祭神を祀る祠や神社仏閣を設営して、まるでそこに住んでいるかのように祭祀を行います。神様は人の手で造られた入れ物に収まるような方ではありません。想像を超えた大きな神様の御手を信じましょう。(KE)

今日の通読箇所

エズラ記 2章

マルコによる福音書6章

イエス様は祈り、神様の御心を求めました

6月11日

「わが父よ、この杯を飲むほかに道がないのでしたら、どうか、みこころが行われますように」。マタイ26:42

 十字架に掛かられる直前、主は父なる神様に祈ります。繰り返し祈りつつ、主は神様の御心を求めました。人となり給うた神なる主ですが、私たちと同じように不安と恐れに襲われます。しかし、最後には神様の御手に自分を明け渡しました。受けがたい事態、望まない事に出会う時、御心を求めて、主の御心を確信するまで祈りましょう。(KE)

今日の通読箇所

エズラ記 1章

マルコによる福音書5章

主よと手を伸ばそうではありませんか

6月10日

「イエスはすぐに手を伸ばし、彼をつかまえて言われた、『信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか』」。マタイ14:31

 弟子たちがガリラヤ湖で逆風に悩まされ、進めずにいたとき、波の上を歩いて近づく主に驚きました。ペテロは主のもとに行こうと水の上に出た時、「風を見て恐ろしくなり」溺れかけたのです。その時、主は手を伸べて、引き上げてくれました。今も、目に見える様々なことに恐れて、沈みそうになる時、「主よ、お助け下さい」と手を伸ばそうではありませんか。主はあなたのそばに居られます。(KE)

今日の通読箇所

歴代志 下 36章

マルコによる福音書4章

あなたはイエス様を誰だと答えますか

6月9日

「シモン・ペテロが答えて言った、『あなたこそ、生ける神の子キリストです』」。マタイ16:16

 弟子たちに「あなたがたはわたしを誰と言うか」と問われた時、ペテロが答えた言葉です。この問いは常に私たちにも向けられています。あなたはイエス様を誰だと答えるでしょうか。ペテロのように、主こそ「救い主」、「神」であると信じるなら、どんなに幸いでしょうか。主は神が人となって下さったのです。イエス様を信じることが神を信じることです。(KE)

今日の通読箇所

歴代志 下 35章

マルコによる福音書3章

御声を聞こうとすれば、確信が得られます

6月8日

「あなたがたのうちに働きかけて、その願いを起させ、かつ実現に至らせるのは神であって、それは神のよしとされるところだからである」。ピリピ2:13

 神の霊、聖霊は常に私たちと共にいまして、主の御心をなさせんと、常に干渉しておられます。人の心には様々な思いが渦巻いていますが、その中から聖霊はあなたに語りかけておられます。心を鎮めて、主の御声を聞こうとするならば、これが主の御心であると、確信が得られます。それはほんの一瞬のことですから、聞き逃さないように。(KE)

今日の通読箇所

歴代志 下 34章

マルコによる福音書2章

神様があなたを選び、救いへ入れたのです

6月7日
「そして、あなたがたのうちに良いわざを始められたかたが、キリスト・イエスの日までにそれを完成して下さるにちがいないと、確信している」。ピリピ1:6

 救いに与かって喜んだのも束の間で、現実の自分を見ると、どこに救いの証しがあるだろうかと、疑い、失望します。しかし、私たちが救われたのは自分の熱心な努力や行いによるものではありません。神様が一方的にあなたを選び、救いへ引き入れてくださったのです。見える自分がどんなであれ、必ず救いの完成に至らせてくださいます。(KE)

今日の通読箇所

歴代志 下 33章

マルコによる福音書1章

信仰と言う盾で敵を塞がなければ負ます

6月6日
「その上に、信仰のたてを手に取りなさい。それをもって、悪しき者の放つ火の矢を消すことができるであろう」エペソ6:16

 信仰者にとって、この世はまさに戦場です。守る武器がなければやられてしまいます。盾は体の中心、胸を守るものです。その戦いは、人の強欲、冷酷非道、憎悪や妬み、復讐など、様々な敵が攻めてきます。それに打ち勝つには、信仰と言う盾で敵を塞がなければ負けてしまいます。今日も戦いの場へ出て行きます。主がおられると信じる信仰の盾をにぎって。(KE)

今日の通読箇所

歴代志 下 32章

マタイによる福音書28章

全能の神様に求めないことは大損害です

6月5日
「天にいますあなたがたの父はなおさら、求めてくる者に良いものを下さらないことがあろうか」。マタイ7:11

 限りある人の親でも、愛するわが子が求めるものを何とか与えようとします。まして天に居ます私たちの父なる神様は、どんなことをしてでも与えることができる方です。しかも、天地の造り主、全能の神様です。しかも、天も地もすべて我が物と言われます。だったら、この方に求めないことは大損害です。あなたも幼子になりきって、父に求めましょう。(KE)

今日の通読箇所

歴代志 下 31章

マタイによる福音書27章

全ての業が、神による事を認める祈りです

6月4日
「わたしたちの日ごとの食物を、きょうもお与えください」。マタイ6:11

 日々、食を欠かすことなく、生活していながら、この祈りは要らないように思われます。しかしこれはただ単に食べる事だけでなく、日常生活のすべてのわざが、人の力によるのではなく、神様によって供給されていることを確認する祈りです。「日ごとの食物」という言葉によって、毎日の生活を主に与えられたものとして感謝する。今日も主はあなたに知恵と力を与えて、収穫の場へと派遣してくださいます。(KE)

今日の通読箇所

歴代志 下 30章

マタイによる福音書26章

それほどに神様の裁きは峻厳なものです

6月3日
「もしあなたの右の手が罪を犯させるなら、それを切って捨てなさい」。マタイ5:30a

 厳しい言葉ですが、さらに続けて五体満足で地獄に行くより益であるとあります。それほどに神様の裁きは峻厳なものです。その方が私たちを愛するゆえにひとり子を世に遣わし、あなたの罪を犯した右手となって命を絶たれてくださいました。その結果、あなたを神の子と呼んでくださいます。(KE)

今日の通読箇所

歴代志 下 29章

マタイによる福音書25章