7月7日
「だから、あすのことを思いわずらうな。あすのことは、あす自身が思いわずらうであろう」。マタイ6:34ab
イエス様は事あるごとに「思いわずらうな」と繰り返し語っておられます。なぜなら、思い煩っているとき、その煩いには神様に対する思いが抜けているからです。万物を支配し、供給しておられる神様を信頼すれば、おのずから思いわずらいは消えていきます。親に養育されている子供が、明日のことを心配しているとしたら、親は悲しいのでは?(KE)
今日の通読箇所
7月7日
「だから、あすのことを思いわずらうな。あすのことは、あす自身が思いわずらうであろう」。マタイ6:34ab
イエス様は事あるごとに「思いわずらうな」と繰り返し語っておられます。なぜなら、思い煩っているとき、その煩いには神様に対する思いが抜けているからです。万物を支配し、供給しておられる神様を信頼すれば、おのずから思いわずらいは消えていきます。親に養育されている子供が、明日のことを心配しているとしたら、親は悲しいのでは?(KE)
今日の通読箇所
7月6日
「人は外の顔かたちを見、主は心を見る」。サムエル上16:7d
神様の評価は見た目によるのではありません。人は逆に外側のことしかわかりません。ですから、外面を飾る事ばかりに力がはいりますが、外なるものは崩れ、壊れてしまいます。私たちが力を尽くすべきことは、自らの心の姿です。心が主に喜ばれる姿形になっているか、朝ごとに点検したいものです。主はあなたの心を見ておられるのです。(KE)
今日の通読箇所
7月5日
「わたしを尊ぶ者を、わたしは尊び、わたしを卑しめる者は、軽んぜられるであろう」。サムエル上2:30c
高齢になった祭司エリにはわがままな息子が二人いました。彼らは神様を恐れず、欲心のままに振る舞い、神殿に集う人々からも疎まれていました。その原因は父エリが彼らを叱らず、したい放題にさせて、神様をも畏れない者となったのです。結局、神様は彼らを戦場で命を絶たれました。神様のさばきは厳粛です。善には善を、悪には悪を報われます。(KE)
今日の通読箇所
7月4日
「こうして、その女は去って食事し、その顔は、もはや悲しげでなくなった」。サムエル上1:18
エルカナには二人の妻がいましたが、そのひとり、ハンナには子がいませんでした。そのことで彼女は深く悩み、神殿にて心を注ぎだして祈っていました。その時の祭司エリは不審に思い、事情を尋ねます。ハンナはエリにすべてを打ち明け、祈ってもらいます。そこで確信を得たハンナはもはや悲しむことなく、平安な心を得ます。これこそ祈って信じる恵みです。結果がどうであれ、まず神様に堅く信頼する心を整えましょう。(KE)
今日の通読箇所
7月3日
「すると主の軍勢の将はヨシュアに言った、『あなたの足のくつを脱ぎなさい。あなたが立っている所は聖なる所である』」。ヨシュア5:15
ヨシュアはエリコの町を攻略するにあたって、思案しているとき、屈強な戦士が近づいてきます。彼は神様から遣わされた神の軍勢を指揮する将としてきたのです。彼が命じる最初のことは「足からくつを脱げ」です。それは無条件でしもべとなり、神様の指示に従うことです。今も主は私たちに命じます。「足のくつを脱げ」と。自分の思いや考えに固執する限り、神様は力を振るわれません。今日も、主のしもべとなりきって、勝利を味わってください。(KE)
今日の通読箇所
7月2日
「岩の裂け目、がけの隠れ場におるわがはとよ、あなたの顔を見せなさい。あなたの声を聞かせなさい」。雅歌2:14ab
「雅歌」は愛の交わりを詠った書です。そこで言及されている愛する者たちの姿はイエス様と私たちの愛による関係を示唆しています。イエス様は私たちを愛するゆえに、ご自身の命を捨てて滅びから救い出して下さったのです。それゆえに、私たちを切に求めておられます。岩陰に隠れている小心な鳩、あなたに呼びかけておられます。(KE)
今日の通読箇所
7月1日
「だから、目をさましていなさい。いつの日にあなたがたの主がこられるか、あなたがたには、わからないからである」。マタイ24:42
聖書は一貫して世の終り、終末の時が来ることを予言しています。もちろん、それがいつ何時であるか、これはわかりませんが、そのときイエス様が天から下ってこられると言われます。日本では大地震に備えて様々な手立てが講じられます。地震も怖いですが、それ以上に終末を迎えることは重大です。そのための備えとは唯一つ。イエス様にお会いする時、喜ばれるように生活すること。これだけです。常に、蘇った主と共に歩むことです。(KE)
今日の通読箇所
6月30日
「イエスを裏切ったユダが答えて言った、『先生、まさか、わたしではないでしょう』。イエスは言われた、『いや、あなただ』」。マタイ26:25
最後の晩餐の席での出来事です。イエス様はこの後十字架に命を絶たれることになります。この重大なとき、自分を裏切る者がいると言われ、弟子たちは誰のことだろうと疑心暗鬼に陥ります。そのとき、ユダ本人に極めて明確に「あなただ」と指摘しますが、当人はなんの痛痒も感じません。まことに不幸です。今日、あなたの心に主が指さされることがあるなら、速やかに悔い改めて、主との関係をしっかり整えましょう。(KE)
今日の通読箇所
6月29日
「あなたはこの民に言いなさい、『主はこう仰せられる、見よ、わたしは命の道と死の道とをあなたがたの前に置く』」。エレミヤ21:8
人生は選択と決断の連続です。その際、何を基準に判断すべきでしょうか。人の心には様々な思いがあって、なかなかこれだと決断できずに、結局成り行き任せに終わります。神様が与えてくださる道は勿論「命の道」です。それは貧相で、魅力もない、避けたいものでしょう。しかし、神様の導きを信じて踏み出す時、その道を命のあふれる道としてくださいます。(KE)
今日の通読箇所