神様の言葉を日々の生活の中に取り込むことにほかなりません

6月27日
「わたしはみ言葉を与えられて、それを食べました。み言葉は、わたしに喜びとなり、心の楽しみとなりました」。エレミヤ15:16ab

「み言葉」は神様の言葉、すなわち聖書の言葉です。私たちは生きるために、随分多くのものを常に食べ続けています。食べたものが体の中に入り、咀嚼分解され、身体各部の活力になるからです。同様に、神様の言葉も、飾って眺めるのではなく、かみ砕いて自分の日々の生活の中に取り込むことにほかなりません。しかも切れ目なく、食べ続ける時、それは楽しみとなり、喜びでもあります。(KE)

今日の通読箇所

出エジプト4章

テトスへの手紙 3章

聖霊がいなければ神様のことを信じることは出来ません

6月26日
「これは知恵と悟りの霊、深慮と才能の霊、主を知る知識と主を恐れる霊である」。イザヤ11:2b

イエス様が洗礼を受けた時、水から上がるとすぐ聖霊が下ったと言われます。その霊は、ペンテコステ以来、主を信じる私たちにも与えられているのです。この聖霊がいなければ、神様のことや御子イエス様のことも深く知ること、また信じることが出来ません。この御霊は今も私たちに働きかけて神様の御心を悟らせてくださいます。あなたが神様を、またイエス様を信じることが出来るのは、ただ御霊の力によるものです。感謝!!!(KE)

今日の通読箇所

出エジプト3章

テトスへの手紙 2章

そもそも人を頼ることが間違いです

6月25日
「あなたがたは鼻から息の出入りする人に、たよることをやめよ。このような者はなんの価値があろうか」。イザヤ2:22

何か尋常ならぬことが起ると、助けてくれるものはないかとうろたえます。病気の時は医者に、法律的な問題には弁護士を、経済的なことでは銀行などへ駆け込みます。確かに、それによってある程度は解決するでしょうが、それだけで事は終わりません。悩みの根本問題が残ります。時に期待外れに終わると、相手を非難し、無能呼ばわりしますが、そもそも頼ることが間違いです。信頼に足る方は神様だけです。(KE)

今日の通読箇所

出エジプト2章

テトスへの手紙 1章

そのような厳しい方でありながら、愛を与えてくださるのです

6月24日
「神はモーセに言われた、『わたしは自分のあわれもうとする者をあわれみ、いつくしもうとする者を、いつくしむ』」。ローマ9:15

神様は愛に満ちた優しい方だとの印象を抱きますが、だからと言って、軽んずることは出来ません。何といっても、神様は生殺与奪の権限を持ちたもう全能者です。一分一厘もルーズな所のない方。ご自分の御心のままに事を進めることが出来ます。そのような厳しい方でありながら、愛を与えてくださるのです。主の慈しみと恵みが何と尊いことでしょう。(KE)

今日の通読箇所

出エジプト1章

Ⅱテテモテ 4章

事の帰するところはここ以外にありません

6月23日
「しかし主を待ち望む者は新たなる力を得、わしのように翼をはって、のぼることができる」。イザヤ40:31a

「主を待ち望む」と、何度も言われることですが、考えるとやはり事の帰するところはここ以外にありません。万物は神様の御手に握られているわけですから。神様が力を与えてくださらなければ、私たちは何一つ良きことが出来ないのです。今日も、神様が与えてくださる力、知恵、知識等々、を期待して、求めつつ進もうではありませんか。(KE)

今日の通読箇所

創世記50章

Ⅱテテモテ 3章

主に信頼する心を整えることが良い結果につながります

6月22日
「主なる神、イスラエルの聖者はこう言われた、『あなたがたは立ち返って、落ち着いているならば救われ、穏やかにして信頼しているならば力を得る』。しかし、あなたがたはこの事を好まなかった」。イザヤ30:15

人は思いがけない事態に遭遇すると、慌てふためきます。そのため、正しい必要な判断が出来なくて、事態をさらに悪化させる悪循環に陥ります。そうならないために、まず神様を見上げて、主に信頼する心を整えることが良い結果につながります。急いては事を仕損ずると言われるところです。(KE)

今日の通読箇所

創世記49章

Ⅱテテモテ 2章

神様の目線でみるとき、貫かれている道筋が明らかです

6月21日
「『基が取りこわされるなら、正しい者は何をなし得ようか』と」。詩篇11:3

何事を成すにも、正しい基準がなければ、事の良しあしを判断できません。無秩序に見えるこの世も、神様の目線(み言葉)でみるとき、首尾一貫、貫かれている道筋が明らかです。それがなければ、この世は混沌(カオス)の極みです。どんなに理不尽に見えようとも、義なる基がある限り、決して失望することはありません。(KE)

今日の通読箇所

創世記48章

Ⅱテテモテ 1章

サウル王は民衆の声に従った結果、王の位から退けられました

6月20日
「主に問うことをしなかった。それで主は彼を殺し、その国を移してエッサイの子ダビデに与えられた」。歴代上10:14

イスラエル王国の初代サウル王は神様の言葉に従うよりも、民衆の声に従った結果、王の位から退けられました。しかし、即座に追放されたのではありません。主はなお悔い改めの時を待っておられたのだと思います。しかし、ペリシテ人との戦いにあって、主に対して犯した罪のために戦死します。これは神様の裁きです。主の言葉を聞くとき、即座に従う者となってください。(KE)

今日の通読箇所

創世記47章

Ⅰテテモテ 6章

その時、神様が彼女に声をかけ、懇ろに慰め励まします

6月19日
「そこでハガルは自分に語られた主の名を呼んで、『あなたはエル・ロイです』と言った。創世記16:13a

女主人サライに苦しめられたハガルは、死に場を求めて荒野に逃げ出します。その時、神様が彼女に声をかけ、懇ろに慰め励まします。彼女はどんなに嬉しかったことでしょう。「エル・ロイ」とは「見たもう神」という意味。どんなに苦しくてもそれを知って下さる方がおられるのは大きな力です。試練の中にあるときも、あなたを見ておられ、報いてくださるのです。(KE)

今日の通読箇所

創世記46章

Ⅰテテモテ 5章

まさに信仰の戦いとは祈りの勝負です

6月18日
「モーセが手を上げているとイスラエルは勝ち、手を下げるとアマレクが勝った」。出エジプト17:11

カナンの地を目指して、荒野を旅するイスラエルに、アマレク人が戦いを仕掛けてきます。モーセはホル山に登り、祈り続けます。起立して両腕を天につきあげて祈るのが、当時の祈りです。しかし、腕が疲れて下がると敵が勝ち、彼が祈るとイスラエルが勝ちます。アマレクは神を畏れないこの世の勢力、肉の力の象徴です。まさに信仰の戦いとは祈りの勝負です。内に働く罪の力に勝つには祈り続けることです。(KE)
6月18日

今日の通読箇所

創世記45章

Ⅰテテモテ 4章