まさに信仰の戦いとは祈りの勝負です

6月18日
「モーセが手を上げているとイスラエルは勝ち、手を下げるとアマレクが勝った」。出エジプト17:11

カナンの地を目指して、荒野を旅するイスラエルに、アマレク人が戦いを仕掛けてきます。モーセはホル山に登り、祈り続けます。起立して両腕を天につきあげて祈るのが、当時の祈りです。しかし、腕が疲れて下がると敵が勝ち、彼が祈るとイスラエルが勝ちます。アマレクは神を畏れないこの世の勢力、肉の力の象徴です。まさに信仰の戦いとは祈りの勝負です。内に働く罪の力に勝つには祈り続けることです。(KE)
6月18日

今日の通読箇所

創世記45章

Ⅰテテモテ 4章

私たちに与えられている時は「今」しかありません

6月17日
「見よ、今は恵みの時、見よ、今は救の日である」。第二コリント6:2

人は今と言う時に満足できない者です。昔はよかったとか、明日は良くなるだろうと思って、「今」を無駄にしているのではないでしょうか。私たちに与えられている時は「今」しかありません。あなたが今どんな状況にあろうと、まさに「今」こそ恵みのとき、また神様の救いを受けることが出来るときです。今日も、主はあなたを恵み、救おうと備えておられます。どのような事におかれようと、今を生きてください。その時、主にお会いできます。(KE)

今日の通読箇所

創世記44章

Ⅰテテモテ 3章

神様は私たちを感謝があふれる者にしたいのです

6月16日
「すべてのことは、あなたがたの益であって、恵みがますます多くの人に増し加わるにつれ、感謝が満ちあふれて、神の栄光となるのである」。第二コリント4:15

私たちの日々の営みは神様のなさることです。だから、失敗だとか、無駄なことは一切なく、すべてが私たちの益となるもの、恵みばかりです。神様は私たちに喜びを与え、感謝があふれる者にしたいのです。自分の物差しと量りを捨てて、主の御手に自分をまかせてみてはどうでしょう。すべての事が感謝にかわります。(KE)

今日の通読箇所

創世記43章

Ⅰテテモテ 2章

私たちは神様のものなのです

6月15日
「するとイエスは彼らに言われた、『それなら、カイザルのものはカイザルに、神のものは神に返しなさい』」。ルカ20:25

イエス様にパリサイ人や律法学者がローマ皇帝カエサルに税を納めてよいかどうかと尋ねました。主は当時の貨幣に刻印された皇帝の肖像を見せて、この貨幣は誰のものかと問われたのです。同様に、人はすべて「神のかたち」に造られたもの。神様の刻印が記されています。私たちは神様のものなのです。あなたは神様のものとなっていますか。(KE)

今日の通読箇所

創世記42章

Ⅰテテモテ 1章

主は彼の心に入ってくださったのです

6月14日
「きょう、あなたの家に泊まることにしているから」。ルカ19:5

イエス様がエリコの町に来られた時、突然、取税人のザアカイの家に泊まることにしました。取税人だった彼は不正なことをして町中の人々から嫌われていました。イエス様が悪人の家に泊まったと、多くの人々は失望しました。しかし、その晩、彼は主の前に出て、自分の罪を認め、すべての償いをすると決断しました。主は彼の家ではなく、彼の心に入ってくださったのです。甦った主は今どこにおられるのでしょうか。(KE)

今日の通読箇所

創世記41章

Ⅱテサロニケ 3章

人が何者かを恐れる時、その者の奴隷です

6月13日
「あなたがたは再び恐れをいだかせる奴隷の霊を受けたのではなく、子たる身分を授ける霊を受けたのである」。ローマ8:15a

奴隷など、現代社会にはありえないと思いがちですが、必ずしもそうではありません。確かに、自由を奪い強制力で使役する姿は見られませんが、人が何者かを恐れる時、その者の奴隷です。奴隷の特徴は恐怖をもって縛られる状態です。あなたが病気を恐れるなら、病気の奴隷です。イエス様はそのような奴隷の支配から解放してくださったのです。そればかりか、神様の本質である聖霊を私たちに与えて、神の家族にしてくださったのです。(KE)

今日の通読箇所

創世記40章

Ⅱテサロニケ 2章

イエス様は父なる神様の御心に従い抜かれたのです

6月12日
「あなたがたの間でかしらになりたいと思う者は、僕(しもべ)とならねばならない」。マタイ20:27

イエス様は神様の御子でした。本来、滅びゆく人間に関わる必要のない方です。神の位に居られた主は、父なる神様の御心に従ってしもべとなり、この人の世に下ってこられたのです。その目的は人間の罪を引き受けて、身代わりとなり、十字架に命を絶たれるためでした。イエス様は徹底して父なる神様の僕となりきって、父なる神様の御心に従い抜かれたのです。そのように、私たちにも神様の「しもべ」となることを願っておられます。(KE)

今日の通読箇所

創世記39章

Ⅱテサロニケ 1章

塩は地味な存在ですが、無くてはならないものです

6月11日
「あなたがたは、地の塩である。もし塩のききめがなくなったら、何によってその味が取りもどされようか」。マタイ5:13ab

「塩」は地味な存在ですが、無くてはならないものです。料理の味付けに塩がなければ素材の味を引き出すことが出来ません。わずかな量の塩ですが、甘いものを作るにも欠かせません。また、塩は防腐・殺菌効果があって、保存食などに不可欠です。そればかりか、貴重なミネラルが含まれているので健康にも必要です。神様は私たちを「世の塩」としてこの世に遣わしておられます。(KE)

神様は私たちの天にいますお父さんです

6月10日
「どうして、御子のみならず万物をも賜わらないことがあろうか」。ローマ8:32b

神様は祈ることを求めておられます。しかし、祈りつつも、この祈りに応えてくださるだろうかと疑います。神様は私たちの天にいますお父さんです。この方は天も地も、そのすべてを持ちたもう方。そればかりか、私たちを愛するゆえに、罪をゆるすため、ご自身の御子を犠牲にされたのです。だったら、私たちの祈りに応えられないことはありません。(KE)

主は「なぜこわがるのか」と言われます

6月9日
「するとイエスは彼らに言われた、『なぜこわがるのか、信仰の薄い者たちよ』」。マタイ8:26a

弟子たちはイエス様とガリラヤ湖を舟で渡っていました。そのとき、突然、天候が変わり、激しい暴風が吹きつけ、波にのまれそうになりました。同船していたイエス様は嵐の中でも悠然と眠っておられるのです。慌てふためく弟子たちはイエス様を呼び起こします。主は「なぜこわがるのか」と言われます。今日、あなたの人生に嵐が吹き荒れているなら、共におられるイエス様をしっかり信じましょう。主は嵐を鎮めて平安を与えてくださいます。(KE)