背後に神様の御手があったのです

5月23日
「ペテロはついて出て行った。彼には御使のしわざが現実のこととは考えられず、ただ幻を見ているように思われた」。使徒12:9

 ペテロは捕らえられて獄屋の奥深くに閉じ込められました。厳重な警戒がされた中、彼を助けるものがいました。聖書はそれを「御使のしわざ」と語っています。恐らく、彼を救おうとする人々がいたのでしょうが、その背後に神様の御手があったのです。そこに霊が働きます。人のわざではなく、主のなさる事と信じる。今日、あなたに主が遣わされる御使いはどなたでしょう。(KE)

今日の通読箇所

歴代志 下 18章

マタイによる福音書14章

神様をまことに小さなものとしています

5月22日
「イスラエルの神、救主よ、まことに、あなたはご自分を隠しておられる神である」。イザヤ45:15

 神様は目に見えず、声も聞こえません。それゆえ、主の存在を信じるほかありません。もし、見たり聞いたりできるならば、そのことに捉われて、神様をまことに小さなものとしてしまいます。人の五感を通して理解し尽くせるような神様であれば、信頼するに足りません。私たちには見えず聞こえずですが、神様はあなたを今日も見守って導かれます。(KE)

今日の通読箇所

歴代志 下 17章

マタイによる福音書13章

人は自分の力を誇示する者となりました

5月21日
「すべてわが名をもってとなえられる者をこさせよ。わたしは彼らをわが栄光のために創造し、これを造り、これを仕立てた」。イザヤ43:7

 神様が私たちを創造されたのは、わたしたちが満足するためではありません。神様はご自分の栄光のため、その偉大さを表そうと造られたのです。しかし、すべての人は神様の栄光を奪い取って、自分を誇り、自分の力を誇示する者となりました。それは神様への反逆の大罪です。神様を畏れて、主に栄光をお返しし、あなたの生き様を通して神様を証してください。(KE)

今日の通読箇所

歴代志 下 16章

マタイによる福音書12章

命が溢れる沃野に変えることができます

5月20日
「わたしは、かわいた地に水を注ぎ、干からびた地に流れをそそぎ、わが霊をあなたの子らにそそぎ、わが恵みをあなたの子孫に与えるからである」。イザヤ44:3

 神様の為さることをすべて推し量ることはできません。神様は人の計画や思いをはるかに超えた事をなさるからです。しかも神様は荒涼とした不毛の地である私たちの心を、命が溢れる沃野に変えることができます。神様の霊が宿るからです。(KE)

今日の通読箇所

歴代志 下 15章

マタイによる福音書11章

人を裁くのは神様です

5月19日
「人をさばくな。自分がさばかれないためである」マタイ7:1

 世間でも、“天に向かってツバキをはく”と言います。他人を非難したり、裁いたりすると、同じように仕返しをうけることです。自業自得とも言われますが、聖書の言葉はすべてのものを支配し、報われる神のいますことを語っています。どんなに身近な人だろうと、その人を裁くのは神様です。(KE)

今日の通読箇所

歴代志 下 14章

マタイによる福音書10章

大きな失敗から救われることもあります

5月18日
「わたしたちを試みに会わせないで、悪しき者からお救いください」。マタイ6:13

 「主の祈り」の一節です。人生には大なり小なり試練があります。確かに試練は嫌なものです。なければどんなに楽だろうかと思いますが、それによって大きな失敗から救われることもあります。決して無駄な事ではありませんが、試練なく正しい道に歩めることは感謝なことです。そのために日々祈りつつ歩もうではありませんか。(KE)

今日の通読箇所

歴代志 下 13章

マタイによる福音書9章

試錬は神様の恵みの時だからです

5月17日
「あなたがたを耐えられないような試錬に会わせることはないばかりか、試錬と同時に、それに耐えられるように、のがれる道も備えて下さるのである」。第一コリント10:13c

 人間生きる限り、試錬を逃れることはできません。それは神様の恵みの時だからです。試錬によって鍛えられ、豊かな義の実を結ぶことができます。しかし、私たちは弱いものですから、試錬に負けてしまいます。そうならないよう、主は逃れる道も備えておられます。主の懇ろな行き届いた扱いに委ねてください。(KE)

今日の通読箇所

歴代志 下 12章

マタイによる福音書8章

イエス様の十字架はすべての人のためです

5月16日
「この弱い兄弟のためにも、キリストは死なれたのである」。第一コリント8:11b

 イエス様が十字架に掛けられ、苦しみを受け、命を絶たれました。それは人類すべての人々のためです。否、あなたのためです。まずは罪の塊のような自分が、罪を赦され、救われたのならば、十字架の救いの及ばない人はいません。あなたが受け入れがたい人のためにも主が死なれたのです。だったら、誰をも拒む理由はありません。(KE)

今日の通読箇所

歴代志 下 11章

マタイによる福音書7章

人の世は不公平だけでは終わりません

5月15日
「主は人おのおのにその義と真実とに従って報いられます」。サムエル上26:23a

 人の世は理不尽な事、不公平・不公正などがまかり通っています。しかし、事は決してそれだけでは終わりません。神様は義と真実とを貫かれる方です。やがて万物を裁かれる時が必ず来ます。神様の報いは主を畏れる者には祝福ですが、敵対する者には永遠の滅びです。今しばらく、忍耐して主の時を待ちましょう。(KE)

今日の通読箇所

歴代志 下 10章

マタイによる福音書6章

事態は主が進めておられることです

5月14日
「しかしダビデはアビシャイに言った『彼を殺してはならない。主が油を注がれた者に向かって、手をのべ、罪を得ない者があろうか』」。サムエル上26:9

 逃避行を続けるダビデが偶然隠れた洞窟に、偶然サウル王が休息するために来ました。ダビデの仲間は王を殺害するよう進言します。この時、ダビデが答えた言葉です。神様を畏れ尊ぶとはまさにこのようなことです。神様の為さるわざに人が手を触れることはできません。あなたが受けている事態は主が進めておられることです。黙して、主の時を待ってください。(KE)

今日の通読箇所

歴代志 下 9章

マタイによる福音書5章