イエス様を生き返して、私たちと共に生かしておられます

9月30日
「彼はこの神、すなわち、死人を生かし、無から有を呼び出される神を信じたのである」。ローマ4:17b

これはアブラハムの信仰について語ったものですが、それはまた私たちの信じるところでもあります。イエス様は私たちの罪を償うために十字架に命を捨てました。しかし、死人を生かす神様は彼を陰府から生き返して私たちと共に生かしておられます。あなたがどんなに汚れ果てた者であろうと、神様を信じ続けるならば、新しい命に生かしてくださいます。(KE)

今日の通読箇所

民数記32章

マルコによる福音書10章

信仰に立つには御言葉だけを信じる心を持ち続けることです

9月29日
「イエスはその話している言葉を聞き流して、会堂司に言われた、『恐れることはない。ただ信じなさい』」。マルコ5:36

イエス様が会堂司の家に着いたとき、娘は死んでいました。周囲の人々が語る言葉を主は聞き流して娘の部屋に入り、祈った結果、生き返ったのです。信仰に立つには御言葉だけを握って信じる心を持ち続けることです。雑音はシャットアウト、殊に人の言葉は聞き流すことです。今日もあなたの主を信じる心を惑わされず持ち続けてください。(KE)

今日の通読箇所

民数記31章

マルコによる福音書9章

突然の大嵐に、イエス様は悠然と寝ておられたのです

9月28日
「そこで弟子たちはみそばに寄ってきてイエスを起し、『主よ、お助けください。わたしたちは死にそうです』と言った」。マタイ8:25

ガリラヤ湖で突然の大嵐に見舞われた弟子たち。大慌てで主を起します。イエス様は悠然と寝ておられたのです。大嵐だろうと、奇病の流行りであろうと、どんなことも父なる神様の御手に握られているのです。弟子たちの声で目を覚ました主は、風と海をお叱りになったとあります。万物を創造し、それらを自在に支配する父なる神様と主は一体です。あなたも生死を含めて一切を神様の支配に委ねませんか。(KE)

今日の通読箇所

民数記30章

マルコによる福音書8章

わが義を通した結果が今見る世間の姿です

9月27日
「まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう」。マタイ6:33

神様が私たちに求められるのは、犠牲や献身、捧げものではありません。「神の国」とは神様が支配されるところ、「神の義」とは神様の裁きです。人はすべて「俺」の国に住み、「わが義」を通そうとします。その結果は今見る世間の姿です。あなたの日々の生活の中で主の支配と裁きに委ねることがどれだけあるでしょうか。(KE)

今日の通読箇所

民数記29章

マルコによる福音書7章

悩みに会う時、熱心に祈りますが、一方通行になりがちです

9月26日
「耳を傾け、わたしにきて聞け。そうすれば、あなたがたは生きることができる」。イザヤ55:3ab

交わりは会話から始まります。会話は言葉のキャッチボールです。語ることと聞くこと、言葉のやり取りが大切です。神様との交わりも祈りによって行われますが、しばしば神様との会話が成り立っていないように思われます。悩みに会う時、熱心に祈りますが、一方通行になりがちです。相手(神様)の言葉を聞こうとしない。そのため命が届かないのではないでしょうか。(KE)

今日の通読箇所

民数記28章

マルコによる福音書6章

人は自尊心を失うと命が消えます

9月25日
「あなたはわが目に尊く、重んぜられるもの、わたしはあなたを愛するがゆえに、あなたの代りに人を与え、あなたの命の代りに民を与える」。イザヤ43:4

神様からのラブレターです。これほどまでに愛し慕ってくれる人はどこにいるでしょうか。人は自分が大切な、必要とされた者と確信できず、自尊心を失うと命が消えます。神様はあなたのためにどんな犠牲をも惜しまないと言われます。たとえ、父母があなたを捨てることがあっても、神様はあなたを決して見捨てないと。この方にしっかり目を留めてください。(KE)

今日の通読箇所

民数記27章

マルコによる福音書5章

ダビデは神様に対して、わたしの神と告白しています

9月24日
「神よ、あなたはわたしの神、わたしは切にあなたをたずね求め、わが魂はあなたをかわき望む」。詩篇63:1a

神様はあまりに大きくて、実感することができずに、漠然とした存在になってしまいます。ダビデは神様に対して、「わたしたちの神」と言わずに、「わたしの神」と告白しています。すべての人にとっての神様であろうと、それよりももっと身近な存在として我がものにしたのです。だからこそ、遠慮なく、厚かましく求めるのです。神様との距離をかぎりなくゼロにしましょう。(KE)

今日の通読箇所

民数記26章

マルコによる福音書4章

明日、何が起ろうと受けて立つ覚悟が求められます

9月23日
「われらにおのが日を数えることを教えて、知恵の心を得させてください」。詩篇90:12

最近の世相を見ると、いよいよ世の終りが迫っているように感じます。戦争や騒乱、自然災害の頻発、地震や豪雨災害等々、いつ我が身に降りかかってくるかと思わされるほど、連日報道されます。いずれにしても、明日、何が起ろうと受けて立つ覚悟が求められます。明日、あなたの命が取られるとしても大丈夫ですか?(KE)

今日の通読箇所

民数記25章

マルコによる福音書3章

後世に名を残す事業も、またやがて朽ちていくものです

9月22日
「わが身とわが心とは衰える。しかし神はとこしえにわが心の力、わが嗣業である」。詩篇73:26

私達、人は限りある存在です。生まれ出て、死に至るまで、人の一生など瞬く間に過ぎ去ってしまいます。衰え、朽ちていくだけの存在だとしたら、何のための人生でしょうか。この世にあって、後世に名を残す事業をしようとも、これまたやがて朽ちていくものです。人生を意義あるものとするには、神様の御心に生きること以外にありません。(KE)

今日の通読箇所

民数記24章

マルコによる福音書2章

事を導かれるのは神様ご自身です

9月21日
「主が命じられたのでなければ、だれが命じて、その事の成ったことがあるか」。哀歌3:37

どんなことでも、まず始まりがあります。人は自分が事の始めだと考えますが、人の心に願いを与え、事を導かれるのは神様ご自身です。この言葉に続いて、「災いもさいわいも、いと高き者の口から出るではないか」と言われます。言うならば、全責任が神様にあると言うことです。(KE)

今日の通読箇所

民数記23章

マルコによる福音書1章