9月20日
「主は言われる、人は、ひそかな所に身を隠して、わたしに見られないようにすることができようか」。エレミヤ23:24a
私たちは神様を見ることが出来ません。しかし、神様は私たちの一挙手一投足すべてを見ておられます。早くそのことに気づいて、神様の前に自分をさらけ出してください。今更、隠し立てはできないのです。また、自分が納得できないものであっても、神様はそのすべてを知っておられるのです。今日も備えらえた主の業を全うしようではありませんか。(KE)
今日の通読箇所
9月20日
「主は言われる、人は、ひそかな所に身を隠して、わたしに見られないようにすることができようか」。エレミヤ23:24a
私たちは神様を見ることが出来ません。しかし、神様は私たちの一挙手一投足すべてを見ておられます。早くそのことに気づいて、神様の前に自分をさらけ出してください。今更、隠し立てはできないのです。また、自分が納得できないものであっても、神様はそのすべてを知っておられるのです。今日も備えらえた主の業を全うしようではありませんか。(KE)
今日の通読箇所
9月19日
「心はよろずの物よりも偽るもので、はなはだしく悪に染まっている」。エレミヤ17:9a
イエス様は人の悪、怒り、妬み、我利我欲、高慢、等々はその人の心から出てくると言われます。自分を振り返ってみると、まさにその通りだと思います。しかし、自分の心であっても、自分ではどうにもできないのです。だから、イエス様が私たちの腐敗に満ちた心に入って根こそぎ清めて下さったのです。主の御手にあなたの心を明け渡しましょう。(KE)
今日の通読箇所
9月18日
「わたしは常に主をわたしの前に置く。主がわたしの右にいますゆえ、わたしは動かされることはない」。詩篇16:8
私たちの心には、常にいろいろな思いが流れていきます。恐れや不安、心配や期待、怒りや落胆、まるで天気のように目まぐるしく変わります。
そのため、心が疲れます。あなたがため息をついている時、心の中心で何を思っているのでしょうか。そこにイエス様はおられますか。ダビデはイエス様を常に自分の前に置くと宣言します。私たちにとってもそれが最も幸いなことです。(KE)
今日の通読箇所
9月17日
「すべての道で主を認めよ、そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる」。箴言3:6
日々の生活は自分の知恵や力によって造り出されるものだと思っています。その結果、思い通りに行けば成功、思いがけない事態になれば失敗となります。しかし、あなたに命を与え、生かしてくださるのは神様であって、自分ではありません。道を造られるのは神様であることをしっかり認めようではありませんか。(KE)
今日の通読箇所
9月16日
「そして、彼がすべての人のために死んだのは、生きている者がもはや自分のためにではなく、自分のために死んでよみがえったかたのために、生きるためである」。第二コリント5:15
イエス様の救いは生きる目的が変わることです。主は私たちの罪の故に死んでくださったのです。それは死ぬべき私たちが主のために生きる者となるためです。今日も主のために生かされていることを覚えておいてください。(KE)
今日の通読箇所
9月15日
「母は僕たちに言った、『このかたが、あなたがたに言いつけることは、なんでもして下さい』」ヨハネ2:5
婚宴の席でぶどう酒がなくなります。その時、マリヤさんが指示したのは、どんなことでもイエス様の言われるようにしてくれと。しばらくして、主は僕に水を汲めと命じ、さらにその水を料理人のところへ持って行かせます。その水がぶどう酒になっていたのです。イエス様の言葉に無条件で従う時、奇跡が起こります。(KE)
今日の通読箇所
9月14日
「すると、女は答えて言った、『主よ、お言葉どおりです。でも、食卓の下にいる小犬も、子供たちのパンくずは、いただきます』」。マルコ7:28
異邦人である女がイエス様に娘の癒しを願ってきました。しかし、主は厳しく断りますが、母親はこの時を逃しては救われる道がないと、犬呼ばわりされてもなお執拗に迫ってきます。この気迫に圧倒された主は、彼女の願いに答えてくださいました。彼女に負けないよう主を求めようではありませんか。(KE)
今日の通読箇所
9月13日
「日々にわれらの荷を負われる主はほむべきかな。神はわれらの救である」。詩篇68:19
わたしたちは裸で生まれ、また裸でこの世を去っていきます。一緒に行こうと言う人はいません。孤独です。しかし、幸いなことにイエス様が人生の伴走者となってくださったのです。しかも主は、わたしたちの罪の重荷を負うてくださいます。主は今日も十字架を担って、あなたと共に歩いておられます。(KE)
今日の通読箇所
9月12日
「人のよしあしをいう者の言葉はおいしい食物のようで、腹の奥にしみこむ」。箴言18:8
人が二人また三人よれば、必ず人のうわさ話に花が咲きます。殊に、人を批判してあしざまに語るときの快感は誰しもが経験するところでしょう。しかし、その時こそ危険なときです。サタン(悪魔)が盛んに働くときだからです。語る者も聞く者も、その心が喜びを失い、暗く力がなくなります。聞くにも、語るにも、ご用心あれ。(KE)
今日の通読箇所
9月11日
「王の心は、主の手にうちにあって、水の流れのようだ、主はみこころのままにこれを導かれる」。箴言21:1
人の心を動かすことは至難の業です。ましてや専制君主であって、自己本位の塊のような王様の心を動かすなど、到底不可能です。しかし、神様には出来ないことはありません。王様の心すら、まるで水のように自在に操ることが出来ます。自分の心すらままならず、ましてや人の心を動かすことも出来ませんが、神様に願うなら、どんなにでも変わります。(KE)
今日の通読箇所