5月9日
「すると突然、海上に激しい暴風が起って、舟は波にのまれそうになった。ところが、イエスは眠っておられた」。マタイ8:24
弟子たちはイエス様と一緒にガリラヤ湖を舟で渡っていました。そのとき、突然暴風が吹き、波にのまれそうになった。弟子たちはうろたえ、恐れています。しかし、イエス様は眠っている。なんと大きな違いでしょうか。平穏無事と思える日常に、突然嵐のごとき問題が起って平常心を失う時こそ、イエス様を見てください。主はあなたと共におられるのです。(KE)
5月9日
「すると突然、海上に激しい暴風が起って、舟は波にのまれそうになった。ところが、イエスは眠っておられた」。マタイ8:24
弟子たちはイエス様と一緒にガリラヤ湖を舟で渡っていました。そのとき、突然暴風が吹き、波にのまれそうになった。弟子たちはうろたえ、恐れています。しかし、イエス様は眠っている。なんと大きな違いでしょうか。平穏無事と思える日常に、突然嵐のごとき問題が起って平常心を失う時こそ、イエス様を見てください。主はあなたと共におられるのです。(KE)
5月8日
「あなたがたのうちで、自分の子がパンを求めるのに、石を与える者があろうか」。マタイ7:9
日本人の多くは、神様は怖い方で、下手なことをすると天罰が下され、ひどい目に遭わせられると恐れます。しかし、聖書を通して語られる神様は決して怖い、恐ろしい方ではありません。それどころか、私達を愛してやまないお方です。「天にいますあなたがたの父はなおさら、求めてくる者に良いものを下さらないことがあろうか」と言われます。そんなにまで愛して下さる神様はあなたの天の父です。信じて祈ってください。(KE)
5月7日
「あなたは祈る時、自分のへやにはいり、戸を閉じて、隠れた所においでになるあなたの父に祈りなさい」。マタイ6:6
真の神様はご自分を隠しておられます。人は目で見て、確かめようとしますが、神様についてはそれができません。その結果、信じられないと言います。しかし、見えないものを信じるあなただけに神様は応答してくださるのです。隠れた事を見ておられる神様は集団ではなく、あなた一人の祈りに報いてくださいます。(KE)
5月6日
「わたしの神は、ご自身の栄光の富の中から、あなたがたのいっさいの必要を、キリスト・イエスにあって満たして下さるであろう」。ピリピ4:19
温暖化のせいで思いがけない干ばつや、豪雨災害、熱波や寒波の影響などで、作物が不作となり、漁獲量も魚の種類も変化して、これまでの経験が役立たない事態が続いています。そのようなニュースを見聞きするたび、先行き不安が募りますが、生殺与奪の権は万物の創造者である神様です。人の生きる死ぬは神様次第。しかし、神様は今日も命を与え、糧を与えて、住む場所を設け、必要を満たして生かし下さいます。(KE)
5月5日
「何事も思い煩ってはならない。ただ、事ごとに、感謝をもって祈と願いとをささげ、あなたがたの求めるところを神に申し上げるがよい」。ピリピ4:6
思い煩いを好む人はいません。心に満ちてくる思い煩いが溜まりすぎると、心身ともにやんでしまいます。だからと言って、無理矢理に思い煩う心を抑え込んでも解決しません。とにかく積みあがっていく思い煩いを吐き出さなければパンクしますから、神様はご自分に打ち明けなさいと勧めてくださいます。確かに、これほど安心なところはありません。そればかりか、神の平安が守ってくださると言われます。心を空っぽに、軽くしましょう。(KE)
「しかし、まだ罪人であった時、わたしたちのためにキリストが死んで下さったことによって、神はわたしたちに対する愛を示されたのである」。ローマ5:8
人が愛を感じる時はどんな時でしょうか。高価な指輪を差し出し、プロポーズする時でしょうか。また、なにかの記念日に、さりげなく花束やケーキでも贈られるときでしょうか。もし、そのような行為が愛の証と言うなら、その愛は誠に軽い、安物の飾りのようなものと言うほかありません。神様の愛は罪人の身代りとなって命を犠牲にするほどの愛です。神様は命を懸けてあなたを愛しておられるのです。(KE)
5月3日
「彼らは自ら知者と称しながら、愚かになり、不朽の神の栄光を変えて、朽ちる人間や鳥や獣や這うものの像に似せたのである」。ローマ1:22-23
人は万物の霊長と言いながら、様々なものを神仏として拝まなければすまない性質を持っています。科学の粋を集めた人工衛星を打ち上げるにも、関係者が神仏を拝む光景を目にします。人の奥底に万物を造り、つかさどる真の神様を求める渇きがあるからです。しかし、人は愚かになって、神様でないもので渇きを止めようとしますが、それでは終わりません。あなたが感じる空虚さ、不安を取り除くには真の神様による他ありません。(KE)
5月2日
「わたしたちは神の作品であって、良い行いをするように、キリスト・イエスにあって造られたのである」。エペソ2:10a
そもそも事の始まりにあたって、人は神様のカタチ、性質に似たものとして造られたのです。しかし、神様に対して罪を犯した結果、サタンに支配されることとなりました。そのため、感謝なく、喜びも、平安もなく、怒り、不安と恐れ、失望の中で生ける屍となったのです。そのような私たちを憐れんで、御子を世につかわし、サタンの力を撃ち壊し、御子の支配に置いて、神の作品として再創造しておられるのです。(KE)
5月1日
「主がヨセフ共におられたからである。」創世記39:23
兄弟の妬みによってエジプトに奴隷として売られたヨセフは、主人ポテパルの家で祝福された日々でしたが、不当な嫌疑によって獄に捕らわれました。しかし、その所でも、主が共におられて、すべての業を祝福してくださったのです。ヨセフの最も幸いなことは、どんな境遇に置かれようと、共におられる主に仕えていたからです。今日の一日も、ヨセフのように主と共に生きてください。(KE)
4月30日
「ヤコブは眠りからさめて言った、『まことに主がこの所におられるのに、わたしは知らなかった』」。創世記28:16
弟ヤコブは家族に別れて一人で見ず知らずの遠い親戚のところへ旅立っていきます。荒野を旅して、一夜野宿します。その時、神様は彼を励まし、将来、この地に帰ることを約束して下さったのです。孤独だと思ったのですが、実は神様が共におられることを知ったのです。その時の喜び、平安と望みはどんなに大きなものだったでしょうか。ヤコブと共におられた神様は、今日もあなたの家庭に、学校に、職場に、常におられることを信じてください。(KE)