私たちの生きる使命が変えられたのです

4月3日
「イエスはまた彼らに言われた、『安かれ。父がわたしをおつかわしになったように、わたしもまたあなたがたをつかわす』」。ヨハネ20:21

 よみがえられた日の夕方、弟子たちの集まっている所に現れて最初に言われたのがこの言葉です。私たちをこの世から取り分けて、この世に遣わすと言うのです。これまでと何一つ違いはありませんが、私たちの生きる使命が変えられたのです。遣わして下さる主のために生きるのです。主が父なる神に従われたように。(KE)

今日の通読箇所

列王記 下 22章

ペテロの第一の手紙 2章

キリストにより新しい命に生かされます

4月2日
「アダムにあってすべての人が死んでいるのと同じように、キリストにあってすべての人が生かされるのである」。第一コリント15:22

 アダムとエバの犯した罪の性質を受けて罪と咎とによって死んだものでした。ところが、第二のアダムと言うべきキリストの死に合わせられることによって、罪は取り除かれ、キリストの甦りによって、新しい命に生かされるのです。この命は神の力です。私たちを押しつぶそうとする不安、恐れ、怒り、失望、高慢などの闇を取り除くものです。(KE)

今日の通読箇所

列王記 下 21章

ペテロの第一の手紙 1章

主が共に歩いても認めることができません

4月1日
「しかし、彼らの目がさえぎられて、イエスを認めることができなかった」。ルカ24:16

主が甦られた日、二人の弟子がエマオへ向かっていました。そこに主が近づいて彼らと共に歩いて行かれたのです。しかし、彼らには主を認めることができません。見れども見ず。しばしば経験することです。今も主はあなたと共におられるのです。しかし、それが見えないのはあなたの目がこの世の様々な知識や常識にさえぎられているからではないでしょうか。(KE)

今日の通読箇所

列王記 下 20章

ヤコブの手紙5章

新しい命の道を開いてくださいました

3月31日
「もうここにはおられない。かねて言われたとおりに、よみがえられたのである」。マタイ28:6

 今日は主のご復活を記念するイースターです。主の御業を覚えて感謝したいと思います。主は私達罪人の身代りとなって十字架に裁かれてくださいました。そのご犠牲の故に私たちの罪は消されたのです。そればかりか、死を打ち破って、新しい命に生きる道を開いてくださいました。墓からよみがえった主は、今あなたのうちに宿っておられます。(KE)

今日の通読箇所

列王記 下 19章

ヤコブの手紙4章

あなたも完全な赦しを受けているのです

3月30日
「すると、イエスはそのぶどう酒を受けて、『すべてが終わった』と言われ、首をたれて息をひきとられた」。ヨハネ19:30

 十字架上で絶命する最後の言葉。「すべてが終わった」、すなわち救いの御業が完成したとの宣言です。もはや何ものにても主の御業を損なうことができません。この言葉と共に、あなたも罪の完全な赦しを受けているのです。例え、どんなにサタンがあなたを攻めても、主の赦しの宣言にまさることがないからです。(KE)

今日の通読箇所

列王記 下 18章

ヤコブの手紙3章

“かわく”とは御国へのあこがれです

3月29日
「そののち、イエスは今や万事が終ったことを知って、『わたしは、かわく』と言われた」。ヨハネ19:28a

 主が言われる「かわく」とはどういう事でしょうか。それは御国へのあこがれにほかなりません。喉のかわきもありましょう。そればかりか、何よりも父なる神様の使命を果たし終えて、父なる神様の慰めと労いを楽しみにする姿があります。願わくば、私たちもこの世での務めを負えて、主の安息に入れていただくことを渇望しています。主の日が間近なれば。(KE)

今日の通読箇所

列王記 下 17章

ヤコブの手紙2章

人を愛する主の御思いに倣いませんか

3月28日
「イエスは、その母と愛弟子とがそばに立っているのをごらんになって、母にいわれた、『婦人よ、ごらんなさい。これはあなたの子です』」。ヨハネ19:26

 この世にあって、イエス様は大工ヨセフ、マリヤの息子です。天にある身でありながら、この世にあっては、両親に仕える息子としての使命を果たします。残されるマリアを愛弟子のヨハネに委ねる優しい気遣い。この状況の中ですら人を愛してやまない主の御思いに倣おうではありませんか。(KE)

今日の通読箇所

列王記 下 16章

ヤコブの手紙1章

イエス様は神様に徹底して従われました

3月27日
「そして三時に、イエスは大声で『エロイ、エロイ、ラマ、サバクタニ』と叫ばれた。それは『わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか』という意味である」。マルコ15:34

 主は徹底して父なる神様に従われました。しかし、罪人であるとされた主は、それまでどんなときにも父なる神様と霊による交わりがありましたが、この時、父なる神様はわが子を全き罪人として、交わりを断たれました。主にとって、これはどんな事にもまして、絶望的事態です。また一方、父なる神様の痛み、苦しみもいかばかりであったでしょうか。推し量ることができません。(KE)

今日の通読箇所

列王記 下 15章

へブル人への手紙13章

イエス様は父なる神様の願いに応えました

3月26日
「そのとき、イエスは声高く叫んで言われた、『父よ、わたしの霊をみ手にゆだねます』」。ルカ23:46a

 イエス様は父なる神様の願いに応えて、この世に来てくださいました。地上に在りし日々、父なる神様の御心に徹底して従われました。十字架の死に至るまで従順に。父なる神様への絶対的平安があります。私たちも主に倣って、心から神様に全霊をゆだねる者となりましょう。(KE)

今日の通読箇所

列王記 下 14章

へブル人への手紙12章

罪が赦される喜びがパラダイスなのです

3月25日
「イエスは言われた、『よく言っておくが、あなたはきょう、わたしと一緒にパラダイスにいるであろう』」。ルカ 23:43

 罪なき主は犯罪者と一緒にされ、しかもその真中に置かれました。一人の犯罪者は主を罵りますが、もう一人は主の御前に悔い改め、主の執り成しを願いました。罪がゆるされる喜び、そこはまさにパラダイスそのものです。たとえ十字架上であろうと。あなたは罪の赦しを得て、パラダイスでしょうか。(KE)

今日の通読箇所

列王記 下 13章

へブル人への手紙11章