みこころを行わなければ使命を果たしえません

4月29日
「わたしが天から下ってきたのは、自分のこころのままを行うためではなく、わたしをつかわされたかたのみこころを行うためである」。ヨハネ6:38

イエス様は神の位に居られた方ですが、父なる神様の御心によって、この世に下ってこられました。十字架の死に至るまで、遣わされた方のみこころに徹底して歩んだ生涯でした。私達も今はイエス様によってこの世に派遣されたのです。ですから、当然、主のごとくつかわされた方のみこころを行わなければ使命を果たしえません。(KE)

人には隠せても神様には隠しようがありません

4月28日
「すると、隠れた事を見ておられるあなたの父は、報いてくださるであろう」。マタイ6:6b

神様は人の目に見えるものではありません。だから、多くの人々は、神様などは存在しないと言います。しかし、もし神様が人の目に見えるようなら、いささか頼りない気がします。見えないゆえに神様です。しかも、報いてくださるのです。それは生きて働いてくださる方だということです。神様は私たちの「隠れた事」を見ておられるのです。たとい人には隠せても神様には隠しようがありません。(KE)

悩んだ末、エステルは決断します

4月27日
「わたしがもし死なねばならないのなら、死にます」。エステル4:16b

イスラエルの民は主に背いた結果、多くの人々がバビロンへ捕囚として移されました。その中から、エステルは王妃として召されました。しかし、ユダヤ人が迫害を受け、民族滅亡の危機に瀕したのです。王妃エステルに王様に嘆願するよう求めます。しかし、たとえ王妃たりとも王の招きがなければ会うことができず、死罪になる定めでした。悩んだ末、エステルは決断します。「死にます」と。あなたの覚悟はいかに。(KE)

神様は、その心を自在に操ることが出来ます

4月26日
「王の心は、主の手のうちにあって、水の流れのようだ、主はみこころのままにこれを導かれる」。箴言21:1

最近はあまりいないようですが、昔の王様は専制君主であって、横暴に振る舞う暴君だと恐れられたものです。どんなことも、思い通りにしようとします。他人の意見や忠告を聞くような人ではありません。しかし、どんなに頑迷固陋な人であっても、神様が握られると、ホースで水を意のままに動かすように、その心を自在に操ることが出来ます。(KE)

私たちは主のみ手に明日は握られていると知っています

4月25日
「あすのことを誇ってはならない、一日のうちに何がおこるかを知ることができないからだ」。箴言27:1

親鸞聖人は「明日ありと 思う心の あだ桜 夜半に嵐の吹かぬものかは」と詠いました。いずれにしても、明日のことは誰にも分らないということですね。しかし、私たちは主のみ手に明日は握られていると知っています。しかも、神様は私たちを愛してやまない方ですから、最善の道を備えておられると信じます。とはいえ、私達が生きるのは今のときしかありません。明日のことを忘れ、今日を十分に楽しんで生きてください。(KE)

なぜなら、神様があなたの人生に介入しておられるからです

4月24日
「主よ、あなたはみわざをもってわたしを楽しませられました。わたしはあなたのみ手のわざを喜び歌います」。詩篇92:4

私たちは生まれたときから、自分の人生は自分で作るものだと思っているのではないでしょうか。自分が考えたように、期待したように物事が進むこと願うところがあります。しかし、現実はそのように行きません。なぜなら、神様があなたの人生に介入しておられるからです。神様に造られてこの世に生まれ、この世にある日々を造り、持ち運んで、今に至ったのです。神様の目的は私たちを喜ばせ、楽しませるためです。大いに喜び、感謝しましょう。(KE)

聖書の言葉こそが私達の歩みを導いてくれます

4月23日
「あなたのみ言葉はわが足のともしび、わが道の光です」。詩篇119:105

私達の生活は次々と革新的な便利さ、快適さを受けて、明るい未来を期待させますが、現実の世相を見ると、どこにも慰めや望みとなるものはありません。古来から言われているように、「一寸先は闇」です。否、足元すら見えない漆黒の闇の中を手探りで進んでいるようです。このような暗やみの中で、何を頼りに生きればいいのでしょうか。その回答がこのみ言葉です。聖書の言葉こそが私達の道を照らし、歩みを導いてくれます。
(KE)

私達もアブラハムと同じく信仰の完成に向かって進んでいます

4月22日
「彼はこの神、すなわち、死人を生かし、無から有を呼び出される神を信じたのである」。ローマ4:17b

アブラハムの信仰について語られた一節です。信仰の父と呼ばれるアブラハムも、最初からそうだったのではありません。いろんな失敗や間違いを犯しながら、主の忍耐の故に憐れみを受けつつ、ついには愛するイサクを捧げる者となります。今、私達も彼と同じく信仰の完成に向かって進んでいます。失望しないで、全能の神様を信じる揺るがない信仰に立ち得るよう、耐え忍びましょう。(KE)

彼らは祈りと讃美によって力を得たのです

4月21日
「真夜中ごろ、パウロとシラスとは、神に祈り、さんびを歌いつづけたが、囚人たちは耳をすまして聞きいっていた」。使徒16:25

パウロとシラスは初めてピリピの町にきました。そこで伝道して救われる人も与えられましたが、占いをする女奴隷に付きまとわれ、争いごとに巻き込まれて、牢に入れられました。初めての地で、理不尽にも囚われの身となり、不安のなかに置かれたことでしょう。しかし、その中で彼らは祈りと讃美によって力を得たのです。今日、あなたが恐れに捕らわれていますか、不安の中にいますか。だったら、祈りましょう。賛美しましょう。(KE)

私たちは何をもって神様に隠すことができるでしょうか

4月20日
「主よ、あなたはわたしを探り、わたしを知りつくされました」。詩篇139:1

神様はあなたのことをすべて余すところなく知っておられると言われます。この言葉に続いて、「あなたはわがすわるのも、立つをも知り、遠くからわが思いをわきまえられます」と言われます。私たちは何をもって神様に隠すことができるでしょうか。あなたの過去も、今も、将来も、ことごとく知りつくしておられるのです。こうなったらお手上げです。潔く主の手にゆだねようではありませんか。(KE)