10月19日
「女がその乳のみ子を忘れて、その腹の子を、あわれまないようなことがあろうか。たとい彼らが忘れるようなことがあっても、わたしは、あなたを忘れることはない」。イザヤ49:15
私たちは無責任ですから、都合の悪いことはすぐに忘れます。しかし、神様はそうではありません。あなたがどんな状態にあろうと、忘れることなく、憐れんで、あなたの祈りに応えてくださいます。確信をもって、主を求めてください。(KE)
今日の通読箇所
10月19日
「女がその乳のみ子を忘れて、その腹の子を、あわれまないようなことがあろうか。たとい彼らが忘れるようなことがあっても、わたしは、あなたを忘れることはない」。イザヤ49:15
私たちは無責任ですから、都合の悪いことはすぐに忘れます。しかし、神様はそうではありません。あなたがどんな状態にあろうと、忘れることなく、憐れんで、あなたの祈りに応えてくださいます。確信をもって、主を求めてください。(KE)
今日の通読箇所
10月18日
「ましてわたしは十二万あまりの、右左をわきまえない人々と、あまたの家畜とのいるこの大きな町ニネベを、惜しまないでいられようか」。ヨナ4:11
ヨナは神様の憐み深いこと、慈しみ豊かであることをよく知っていました。しかし神様は、ヨナが考えるよりも遥かに大きな情熱をもって、ニネベの人々を愛し、惜しんでおられました。私達もニネベの人々同様、この神様の熱心な愛があったればこそ、救いにあずかることができたのです。(MK)
今日の通読箇所
10月17日
「なぜなら、わたしはあなたが恵み深い神、あわれみあり、怒ることおそく、いつくしみ豊かで、災を思いかえされることを、知っていたからです」。ヨナ4:2c
神様の命令に背き、ニネベではなくタルシシに向かった預言者ヨナ。しかしそれは、どんな人々をも救おうとする神様の愛情深さを、彼が圧倒的に信じるが故でした。逃げたことばかりが印象に残りやすいヨナですが、これ程までに曇りなく、主の愛を信じているか、と問われる箇所です。(MK)
今日の通読箇所
10月16日
「そこで人々は大いに主を恐れ、犠牲を主にささげて、誓願を立てた。」。ヨナ1:16
預言者ヨナは神様から、ニネベの街に行くよう命じられますが、反発して逆方向へ向かいました。神様はヨナが乗った船を、嵐に遭わせます。同じ船に乗っていた水夫達は、嵐を意のままになさる神様を畏れ、信じる者へと変えられました。ヨナの背信行為からでも、救われる人を起こされる神様の業には、一つの無駄もありません。(MK)
今日の通読箇所
10月15日
「わたしたちに、キリスト・イエスによって神の子たる身分を授けるようにと、御旨のよしとするところに従い、愛のうちにあらかじめ定めて下さったのである」。エペソ1:5
神様のなさることは、広大無辺、永遠にまでおよぶものです。微小な私たちを救おうと、はるか昔からご計画しておられたのです。人は自分が事の始まりであるかのように思っていますが、決してそうではありません。しかも、その業は、愛によるのです。救いの尊さをしっかりかみしめてください。(KE)
今日の通読箇所
10月14日
「あなたがたはみな、キリスト・イエスにある信仰によって、神の子なのである」。ガラテヤ3:26
イエス様の救いは徹底的です。生活の部分部分を手直しする程度ではありません。私たちを根こそぎ変えてしまうことです。この救いを受けるには、キリストの死がまさにまぎれもなく自分のことと信じて、よみがえりの主と共に生きることを始めるのです。やがて、名実ともに神の子であると、主は証してくださいます。(KE)
今日の通読箇所
10月13日
「それだから、キリストの力がわたしに宿るように、むしろ、喜んで自分の弱さを誇ろう」。第二コリント12:9b
神様の恵みは人の力の及ばないところにあらわされます。自分は強い、有能だ、と思う人には神様の力は要らないからです。「弱さを誇る」とは矛盾した話ですが、神様の力を味方とするなら、鬼に金棒、自分に力がなくても、大丈夫です。あなたが弱さを覚える時、主に力の発動を求めようではありませんか。(KE)
今日の通読箇所
10月12日
「だれでもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者である」。第二コリント5:17a
人は誰しも人生に一度や二度、生まれ変わって新しくなりたいと思う時があります。しかし、今の自分が死んで生き返ったとしても、新しくなることはできません。今の自分をコピーするだけですから。ただ、キリストの霊(聖霊)によって生きる時、その人は新しい人となることができます。あなたもキリストの霊によって新しく造り変えられませんか。(KE)
今日の通読箇所
10月11日
「わたしを強くして下さるかたによって、何事でもすることができる」。ピリピ4:13
何事でもすることができる、とは頼もしい言葉です。しかしこれは私達が、突然スーパーマンのような無敵の力を手に入れたり、全てを見通す明晰な頭脳が得られる、ということではありません。どんな境遇にあっても、感謝し、喜ぶことが出来る力が与えられる幸いを語っているのです。状況に左右されない強さ、これこそ主が与えて下さる平安です。(MK)
今日の通読箇所
10月10日
「そして、あなたがたのうちに良いわざを始められたかたが、キリスト・イエスの日までにそれを完成して下さるにちがいないと、確信している」。ピリピ1:6
秋の夜長、自分自身の人生を振り返ってみると、それぞれの年代の出来事と共に、その時の感情が甦り郷愁を覚えます。過ぎし日の出来事には悲喜交々ありましたが、全てを主が握り、良き業へと導いて下さいました。その業を完成させて下さるお方に、尚一層期待して参りましょう。(MK)
今日の通読箇所