10月15日
「わたしたちに、キリスト・イエスによって神の子たる身分を授けるようにと、御旨のよしとするところに従い、愛のうちにあらかじめ定めて下さったのである」。エペソ1:5
神様のなさることは、広大無辺、永遠にまでおよぶものです。微小な私たちを救おうと、はるか昔からご計画しておられたのです。人は自分が事の始まりであるかのように思っていますが、決してそうではありません。しかも、その業は、愛によるのです。救いの尊さをしっかりかみしめてください。(KE)
今日の通読箇所
10月15日
「わたしたちに、キリスト・イエスによって神の子たる身分を授けるようにと、御旨のよしとするところに従い、愛のうちにあらかじめ定めて下さったのである」。エペソ1:5
神様のなさることは、広大無辺、永遠にまでおよぶものです。微小な私たちを救おうと、はるか昔からご計画しておられたのです。人は自分が事の始まりであるかのように思っていますが、決してそうではありません。しかも、その業は、愛によるのです。救いの尊さをしっかりかみしめてください。(KE)
今日の通読箇所
10月14日
「あなたがたはみな、キリスト・イエスにある信仰によって、神の子なのである」。ガラテヤ3:26
イエス様の救いは徹底的です。生活の部分部分を手直しする程度ではありません。私たちを根こそぎ変えてしまうことです。この救いを受けるには、キリストの死がまさにまぎれもなく自分のことと信じて、よみがえりの主と共に生きることを始めるのです。やがて、名実ともに神の子であると、主は証してくださいます。(KE)
今日の通読箇所
10月13日
「それだから、キリストの力がわたしに宿るように、むしろ、喜んで自分の弱さを誇ろう」。第二コリント12:9b
神様の恵みは人の力の及ばないところにあらわされます。自分は強い、有能だ、と思う人には神様の力は要らないからです。「弱さを誇る」とは矛盾した話ですが、神様の力を味方とするなら、鬼に金棒、自分に力がなくても、大丈夫です。あなたが弱さを覚える時、主に力の発動を求めようではありませんか。(KE)
今日の通読箇所
10月12日
「だれでもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者である」。第二コリント5:17a
人は誰しも人生に一度や二度、生まれ変わって新しくなりたいと思う時があります。しかし、今の自分が死んで生き返ったとしても、新しくなることはできません。今の自分をコピーするだけですから。ただ、キリストの霊(聖霊)によって生きる時、その人は新しい人となることができます。あなたもキリストの霊によって新しく造り変えられませんか。(KE)
今日の通読箇所
10月11日
「わたしを強くして下さるかたによって、何事でもすることができる」。ピリピ4:13
何事でもすることができる、とは頼もしい言葉です。しかしこれは私達が、突然スーパーマンのような無敵の力を手に入れたり、全てを見通す明晰な頭脳が得られる、ということではありません。どんな境遇にあっても、感謝し、喜ぶことが出来る力が与えられる幸いを語っているのです。状況に左右されない強さ、これこそ主が与えて下さる平安です。(MK)
今日の通読箇所
10月10日
「そして、あなたがたのうちに良いわざを始められたかたが、キリスト・イエスの日までにそれを完成して下さるにちがいないと、確信している」。ピリピ1:6
秋の夜長、自分自身の人生を振り返ってみると、それぞれの年代の出来事と共に、その時の感情が甦り郷愁を覚えます。過ぎし日の出来事には悲喜交々ありましたが、全てを主が握り、良き業へと導いて下さいました。その業を完成させて下さるお方に、尚一層期待して参りましょう。(MK)
今日の通読箇所
10月9日
「あなたがたは、いのちの言葉を堅く持って、彼らの間で星のようにこの世に輝いている」。ピリピ2:15b
ここ数日の月は、本当に美しいものでした。明るく輝くその光は、私達の目に眩しいほどです。しかしこの光は、月自体が放つものではなく、太陽の光を反射したものです。何を受けるかは、何を放つかに直結します。私達もまたキリストの言葉を受け、堅く心に抱くなら、キリストの輝きを放つものとなることができるのです。(MK)
今日の通読箇所
10月8日
「さあ、わたしたちは主に帰ろう。主はわたしたちをかき裂かれたが、またいやし、わたしたちを打たれたが、また包んでくださるからだ」。ホセア6:1
神様は熟練の教育家です。武骨で見栄えもないありふれた石のような私たちを再教育して、ギリシャ彫刻のような見事な像に仕立て上げようとなさるのです。叩き、削り、磨き、様々なわざを用いて、完成して下さるのです。試練の時こそ、恵のとき、逃げないで、避けないで、正面から受けて立とうではありませんか。(KE)
今日の通読箇所
10月7日
「神を敬う人は地に絶え、人のうちに正しい者はない。みな血を流そうと待ち伏せし、おのおの網をもってその兄弟を捕える」。ミカ7:2
紀元前750年頃に預言者ミカが見た世界と今の世とどれほど違いがあると言えるでしょうか。神様への畏れが消えた今、人の悪がはびこり、暴虐と流血がたえません。それは社会だけでのことではなく、家庭の中にも同じ事態が進行しています。ノアやヨブのごとく、混沌とした世にあっても、神様を畏れ尊ぶなら、どんなに幸いなことでしょうか。(KE)
今日の通読箇所
10月6日
「来て、神のみわざを見よ。人の子らにむかってなされることは恐るべきかな」。詩篇66:5
天地万物、どれ一つ神様のわざに寄らないものはありません。あなたの人生にかかわるすべての事は神様のなさるわざによるものです。自分のこれまでの人生を振り返る時、事の大小を問わず、不思議な事ばかりだと言うほかありません。これから先の人生がどうなるのか誰も知りません。だから、恐れないで神様の愛の御手を信じ、委ねましょう。(KE)
今日の通読箇所