10月23日
「兄弟たちは彼をねたんだ。しかし父はこの言葉を心にとめた」。創世記37:11
ヨセフは父ヤコブの愛情を一身に受けて成長し、兄達の妬みを買います。更にヨセフが家族を軽視するような夢を語った事で、彼らの心の溝は一層深まっていきます。非常識で不敬とも思えるヨセフの態度ですが、父ヤコブだけは、この事に思いを巡らせました。自らの感情に飲まれず、御霊の働かれる余地を残す。“イスラエル”と呼ばれたヤコブの生き方が、ここにあります。 (MK)
今日の通読箇所
10月23日
「兄弟たちは彼をねたんだ。しかし父はこの言葉を心にとめた」。創世記37:11
ヨセフは父ヤコブの愛情を一身に受けて成長し、兄達の妬みを買います。更にヨセフが家族を軽視するような夢を語った事で、彼らの心の溝は一層深まっていきます。非常識で不敬とも思えるヨセフの態度ですが、父ヤコブだけは、この事に思いを巡らせました。自らの感情に飲まれず、御霊の働かれる余地を残す。“イスラエル”と呼ばれたヤコブの生き方が、ここにあります。 (MK)
今日の通読箇所
10月22日
「さて、散らされて行った人たちは、御言を宣べ伝えながら、めぐり歩いた」。使徒8:4
弟子たちに聖霊が注がれ、その後、イエス様を信じる人々が増え、エルサレムに教会ができました。ユダヤ教徒たちは、クリスチャンを厳しく迫害しました。エルサレム教会も迫害の結果、信徒は散ってしまった。ところが、散らされた人々は各地に出て行き、福音を語った結果、主の救いがさらに広く、多くの人々に届くことになったのです。神様は失敗と思われることを益と変えられるのです。結果は神様が出されます。(KE)
今日の通読箇所
10月21日
「シモンは答えて言った、『先生、わたしたちは夜通し働きましたが、何も取れませんでした。しかし、お言葉ですから、網をおろしてみましょう』」。ルカ5:5
漁師であったシモンはイエス様に出会って、不思議な体験をします。漁を終わって仕事納めをしている彼に、「沖へこぎ出し、漁をしてみよ」といわれます。経験豊かな漁師のシモンは、主の言われる通りにしたところ、思いがけない豊漁に圧倒されます。主のみ言葉に従って、キリストを体験する。これが日々味わう信仰の醍醐味です。(KE)
今日の通読箇所
10月20日
「神は光を昼と名づけ、やみを夜と名づけられた。夕となり、また朝となった。第一日である」。創世記1:5
天地創造の記事ですが、この時から今に至るまで、一日として休むことなく、繰り返されています。今日も夜が明けて、一日が始まりました。また夜も必ず来ます。このリズムのなかで、天地万物が育まれ、それぞれの命の道をたどるのです。主の大能の御手に握られ、生きる一日であるようにと祈ります。(KE)
今日の通読箇所
10月19日
「女がその乳のみ子を忘れて、その腹の子を、あわれまないようなことがあろうか。たとい彼らが忘れるようなことがあっても、わたしは、あなたを忘れることはない」。イザヤ49:15
私たちは無責任ですから、都合の悪いことはすぐに忘れます。しかし、神様はそうではありません。あなたがどんな状態にあろうと、忘れることなく、憐れんで、あなたの祈りに応えてくださいます。確信をもって、主を求めてください。(KE)
今日の通読箇所
10月18日
「ましてわたしは十二万あまりの、右左をわきまえない人々と、あまたの家畜とのいるこの大きな町ニネベを、惜しまないでいられようか」。ヨナ4:11
ヨナは神様の憐み深いこと、慈しみ豊かであることをよく知っていました。しかし神様は、ヨナが考えるよりも遥かに大きな情熱をもって、ニネベの人々を愛し、惜しんでおられました。私達もニネベの人々同様、この神様の熱心な愛があったればこそ、救いにあずかることができたのです。(MK)
今日の通読箇所
10月17日
「なぜなら、わたしはあなたが恵み深い神、あわれみあり、怒ることおそく、いつくしみ豊かで、災を思いかえされることを、知っていたからです」。ヨナ4:2c
神様の命令に背き、ニネベではなくタルシシに向かった預言者ヨナ。しかしそれは、どんな人々をも救おうとする神様の愛情深さを、彼が圧倒的に信じるが故でした。逃げたことばかりが印象に残りやすいヨナですが、これ程までに曇りなく、主の愛を信じているか、と問われる箇所です。(MK)
今日の通読箇所
10月16日
「そこで人々は大いに主を恐れ、犠牲を主にささげて、誓願を立てた。」。ヨナ1:16
預言者ヨナは神様から、ニネベの街に行くよう命じられますが、反発して逆方向へ向かいました。神様はヨナが乗った船を、嵐に遭わせます。同じ船に乗っていた水夫達は、嵐を意のままになさる神様を畏れ、信じる者へと変えられました。ヨナの背信行為からでも、救われる人を起こされる神様の業には、一つの無駄もありません。(MK)
今日の通読箇所
10月15日
「わたしたちに、キリスト・イエスによって神の子たる身分を授けるようにと、御旨のよしとするところに従い、愛のうちにあらかじめ定めて下さったのである」。エペソ1:5
神様のなさることは、広大無辺、永遠にまでおよぶものです。微小な私たちを救おうと、はるか昔からご計画しておられたのです。人は自分が事の始まりであるかのように思っていますが、決してそうではありません。しかも、その業は、愛によるのです。救いの尊さをしっかりかみしめてください。(KE)
今日の通読箇所
10月14日
「あなたがたはみな、キリスト・イエスにある信仰によって、神の子なのである」。ガラテヤ3:26
イエス様の救いは徹底的です。生活の部分部分を手直しする程度ではありません。私たちを根こそぎ変えてしまうことです。この救いを受けるには、キリストの死がまさにまぎれもなく自分のことと信じて、よみがえりの主と共に生きることを始めるのです。やがて、名実ともに神の子であると、主は証してくださいます。(KE)
今日の通読箇所