2月11日
「あなたの持っている信仰を、神のみまえに、自分自身に持っていなさい」。ローマ14:22
多くの人々は、常に自信が持てなくて、他人の言動に左右されています。そうである限り、自立した生き方はできません。主を信じて、そのみ心を知り、確信して従うとき、自立することができます。信仰に立って生きようとすることは、決して楽ではありませんが、真の自由を得ることができます。(KE)
今日の通読箇所
2月11日
「あなたの持っている信仰を、神のみまえに、自分自身に持っていなさい」。ローマ14:22
多くの人々は、常に自信が持てなくて、他人の言動に左右されています。そうである限り、自立した生き方はできません。主を信じて、そのみ心を知り、確信して従うとき、自立することができます。信仰に立って生きようとすることは、決して楽ではありませんが、真の自由を得ることができます。(KE)
今日の通読箇所
2月10日
「あなたの持っている信仰を、神のみまえに、自分自身に持っていなさい」。ローマ14:22
多くの人々は、常に自信が持てなくて、他人の言動に左右されています。そうである限り、自立した生き方はできません。主を信じて、そのみ心を知り、確信して従うとき、自立することができます。信仰に立って生きようとすることは、決して楽ではありませんが、真の自由を得ることができます。(KE)
今日の通読箇所
2月9日
「あなたがたは、主イエス・キリストを着なさい。肉の欲を満たすことに心を向けてはならない」。ローマ13:14
世はまさに終末の様相を呈しています。その時がいつ、どのようにやってくるか、誰にも分かりません。だからと言って、わがままな肉の欲求のおもむくままに生きるなら、永遠の滅びです。主の御心を求め、主に従うことを努めることこそ救われる道です。今日も一歩でも、半歩でも、祈りつつ御心に従う歩みをしようではありませんか。(KE)
今日の通読箇所
2月8日
「だから、あなたがたは、神に選ばれた者、聖なる、愛されている者であるから、あわれみの心、慈愛、謙そん、柔和、寛容を身に着けなさい」。コロサイ3:12
神様はいささか私たちを買いかぶっているのではないかと思わされます。省みて、このような自分であると自信はありません。しかし、主は今のわたしたちではなく、やがて天に迎えられる私たちを先取りしておられます。だからこそ、主の求めたもう特質を身に着けさせようとなさるのです。今日も主の求めたもう標準に近づきたいものです。(KE)
今日の通読箇所
2月7日
「このように、あなたがたはキリストと共によみがえらされたのだから、上にあるものを求めなさい。そこではキリストが神の右に座しておられるのである」。コロサイ3:1
キリストを信じる信仰によって、わたしたちも新しくよみがえったのです。もはやこの世のものではありません。キリストのいますところ、天に住むものとされたのです。だから、この世はひと時の楽しむべきところではありますが、日々、こころは上にある主の祝福とこころの平安、望み、喜びに満たされて生きるのです。(KE)
今日の通読箇所
2月6日
「このように、あなたがたは主キリスト・イエスを受けいれたのだから、彼にあって歩きなさい」。コロサイ2:6
「あるく」とは生活のことです。毎日、朝から晩まで、休みなく働いています。そこにイエス様を迎える。家庭にあっても、職場にあっても、友人たちとおしゃべりするときも、どんなときにも、そこによみがえった主が居られることを信じ、イエス様と家事をやり、イエス様と業務に携わり、イエス様とお茶を飲みつつ、お喋りをする。至極単純なことです。今日も主のみ思いを我がものとしていきましょう。(KE)
今日の通読箇所
2月5日
「御子は、見えない神のかたちであって、すべての造られたものに先だって生まれたかたである」。コロサイ1:15
神様は人の目には見えません。霊なる方だとも言われます。その結果、人は想像たくましく、勝手に神の偶像を造ってしまうのです。しかし、見えない神様を見えるものとして表わしておられるのが、御子なるイエス・キリストです。イエス様を見る時、そこに神様を見るのです。御子は天地創造の時、父なる神様と共におられたのです。(KE)
今日の通読箇所
2月4日
「神は、わたしたちをやみの力から救い出して、その愛する御子の支配下に移して下さった」。コロサイ1:13
わたしたちはかつて、サタンによって罪の闇の力に捕らわれていたものです。そのような私たちを憐れんで、御子をつかわし、そこから解放してくださいました。それだけに終わらず、さらに聖霊をおくって、キリストのもとに置いてくださったのです。今日も主のみ守りの中に置かれ、御心にかなう歩みをさせてくださいます。(KE)
今日の通読箇所
2月3日
「怒ることがあっても、罪を犯してはならない。憤ったままで、日が暮れるようであってはならない」。エペソ4:26
わたしたちは感情の生き物ですから、怒りを取り去ることはできません。ただ、怒ることがあっても、それを制御することが必要です。自分の力と技で事を治めようとしても、出来ません。ただ、自分の弱さを認めて、へりくだって主に求める時、 怒りを鎮める力を与えてくださいます。(KE)
今日の通読箇所
2月2日
「互に情深く、あわれみ深い者となり、神がキリストにあってあなたがたをゆるして下さったように、あなたがたも互にゆるし合いなさい」。エペソ4:32
憐れみも情け深いことも愛の容です。御子は私たちを愛するゆえに、私たちの罪を受けて十字架に命を捨ててくださったのです。それに応えて、情け深く、あわれみに富む者となるには、自分のゆるされざる罪がゆるされたことを認めて、自分も心からゆるすときです。ゆるされた自分が、ゆるさないわけにはいきません。(KE)
今日の通読箇所