人生を半分しか知らないことになります

1月11日

「苦しみにあったことは、わたしに良い事です。これによってわたしはあなたのおきてを学ぶことができました」。詩篇119:71

 誰でも患難、苦しみを喜びません。しかし、楽しいこと、思い通りになることばかりであれば、それでは人生を半分しか知らないことになります。喜怒哀楽、様々な境遇を通ることによって、造物主である神様のわざの広さ・長さ・深さを十分に味わい悟ることができます。(KE)

今日の通読箇所

出エジプト4章

使徒行伝3章

十字架は、これ以上ない愛情表現です

1月10日

「愛には恐れがない。完全な愛は恐れをとり除く。恐れには懲らしめが伴い、かつ恐れる者には、愛が全うされていないからである」。Ⅰヨハネ4:18

 神様の愛はキリストの十字架を通し、私達に現わされました。究極の自己犠牲であり、これ以上ない愛情表現です。この愛を受けた私達は、神様を「お父さん」と呼ぶことができる者とされました。また十字架の死を超える罰は存在しないので、追徴を恐れることもありません。(MK)

今日の通読箇所

出エジプト3章

使徒行伝2章

神様を形容する言葉は、やはり愛でしょう

1月09日

「わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して下さって、わたしたちの罪のためにあがないの供え物として、御子をおつかわしになった。ここに愛がある」。Ⅰヨハネ4:10
 
 神様を形容する言葉はたくさんあります。全能、聖、公正、義…。しかしどれか一つと言われるならば、やはり『愛』でしょう。全てを持っておられる方が、全てを投げうってでも私達を救いたいと、行動を起こして下さった。これが愛の原型です。(MK)

今日の通読箇所

出エジプト2章

使徒行伝1章

生活の中では神の子とされた事を忘れます

1月08日

「わたしたちが神の子と呼ばれるためには、どんなに大きな愛を父から賜わったことか、よく考えてみなさい」。Ⅰヨハネ3:1a

神様に造られ、生かされ、救いに与り、神の子とされた私達ですが、日常生活の中ではその事を忘れてしまいがちです。私達は本来「生れながらの怒りの子」であり、愛を受けるどころか、怒りを受けるべき存在でした。キリストは十字架にかかり、私達が神様からの愛を受ける事が出来るようにして下さったのです。(MK)

今日の通読箇所

出エジプト1章

ヨハネによる福音書21章

まずはあなたが、救いを確信してください

1月07日

「主イエスを信じなさい。そうしたら、あなたもあなたの家族も救われます」。使徒16:31

 多くのクリスチャンの願いは、家族が主を受けいれて救われることではないでしょうか。それにはまず自分自身が救われることが大切です。自分の信仰がふらついていれば、家族どころではありません。まずはあなた自身が主イエスを信じて救いを確信してください。そうすれば家族も必ず救われる時がくるでしょう。救いは神様のわざです。(KE)

今日の通読箇所

創世記50章

ヨハネによる福音書20章

これに勝る「幸い」はありません

1月06日

「あなたの家に住み、常にあなたをほめたたえる人はさいわいです」。詩篇84:4

 「幸い」と感じるものは人それぞれで違うでしょう。その人の置かれている境遇に幸いを感じるなら、その状況に左右されるほかありません。しかし、万物をみ心のままに創造し、動かされる方との間に何一つ妨げるものがないなら、これに勝るものはありません。全能の力を持ちたもう方が味方に付いておられるのですから。(KE)

今日の通読箇所

創世記49章

ヨハネによる福音書19章

神様の知恵と業によって運行されています

1月05日

「だから、愚かな者にならないで、主の御旨がなんであるか悟りなさい」。エペソ5:17

 「愚かな者」とは神様を認めず、また畏れ敬うことをしない人のことです。一方、神様の御心を求める人は賢い人といえます。なぜなら、万物は神様の知恵とわざによって運行されているからです。人が自分の思いのままに事を進めるなら、必ず失望に終わります。どんな事も神様の御旨に従うなら、感謝と喜びに終わります。(KE)

今日の通読箇所

創世記48章

ヨハネによる福音書18章

聖書の神は、あなたと私の関係を求めます

1月04日

「わたしは神、あなたの神である」。詩篇50:7

 日本では新年を迎えると、神社仏閣への初もうでがニュースになります。人はなにか大いなるものにすがりたい思いが強いようです。ただ、その場合も「みんなの神・仏」であり、自分個人との関係はありません。しかし、聖書を通して語る神は、「あなたと私」の関係を求めます。神様の問いかけに何と答えますか。(KE)

今日の通読箇所

創世記47章

ヨハネによる福音書17章

神の造られたものは、みな良いものです

1月03日

「神が造ったすべての物を見られたところ、それは、はなはだ良かった。夕となり、また朝となった。第六日である」。創世記1:31

 迎えた新年の三が日が瞬く間に過ぎようとしています。いよいよ今年もそれぞれの営みの中、信仰の実践が始まります。悲喜交々予想される日々ですが、「神の造られたものは、みな良いもの」(Ⅰテモテ)です。主が「良い」と言って手渡されるものを、「良し」と受け取る素直さをもって、この年を歩みたいものです。(MK)

今日の通読箇所

創世記46章

ヨハネによる福音書16章

闇を通ればこそ、光の有難みが分かります

1月02日

「神は「光あれ」と言われた。すると光があった。神はその光を見て、良しとされた。神はその光とやみとを分けられた。神は光を昼と名づけ、やみを夜と名づけられた。夕となり、また朝となった。第一日である」。創世記1:3-5

 人生には光の時期もあれば、夕暮れの時期もあり、また闇の時期もあります。闇の時間は長く、孤独に感じられますが、そこを通ればこそ光の有難みが分かります。 闇もまた神様の手の中です。(MK)

今日の通読箇所

創世記45章

ヨハネによる福音書15章