人が計画する時、主が閉ざす事があります

11月8日

「これによってその町の名はバベルと呼ばれた。主がそこで全地の言葉を乱されたからである。主はそこから彼らを全地のおもてに散らされた」。創世記11:9

 バベルの塔の建設目的は、民がその場所を離れず、皆で同じ場所に住み続けることでした。人が自分の計画と業によって、自らの人生を設計しようとする時、主が突然それを閉ざされることがあります。しかし想定外の出来事の中に、思いがけない道が開かれるのも、また主の業です。(MK)

今日の通読箇所

ゼカリヤ書8章

マタイによる福音書28章

人が心を入れ替えたから赦すのではない

11月7日

「主はその香ばしいかおりをかいで、心に言われた、「わたしはもはや二度と人のゆえに地をのろわない。人が心に思い図ることは、幼い時から悪いからである。わたしは、このたびしたように、もう二度と、すべての生きたものを滅ぼさない」。創世記8:21

 ノアの方舟のクライマックスです。神様は、人が心を入れ替えたから赦すと言ったのではありません。人間を罪から救うため、神様が御自身の計画を変えようと言ってくださったのです。(MK)

今日の通読箇所

ゼカリヤ書7章

マタイによる福音書27章

自分の考える善悪で神のように振るまう

11月6日

「それを食べると、あなたがたの目が開け、神のように善悪を知る者となることを、神は知っておられるのです」。創世記3:5

 「神のように善悪を知る」と聞くと、まるで良い事の様に思えます。しかし蛇を装った悪魔がもたらしたのは、自分自身の考える善悪を、神のように振るう悪でした。人間が最も警戒すべきものの一つは、自己義認でしょう。自分を義とし、他者を悪とする心の中に、神をも偽とする罪が入り込んでいるのです。(MK)

今日の通読箇所

ゼカリヤ書6章

マタイによる福音書26章

だから私たちの祈りを聞き届けるのです

11月5日

「キリスト・イエスは、死んで、否、よみがえって、神の右に座し、また、わたしたちのためにとりなして下さるのである」。ローマ8:34b

 イエス様はすべての人の罪を負い、十字架に命を断たれ、墓に葬られましたが、死の中から甦り、天に戻られました。主は父なる神の右に座して、私たちのために執り成しておられます。だから私たちの祈りを聞き届けていただけるのです。今日も主の執り成しのゆえに生かされていることを感謝しましょう。(KE)

今日の通読箇所

ゼカリヤ書5章

マタイによる福音書25章

主のなさる裁きは正しく、報いが伴います

11月4日

「悪に負けてはいけない。かえって、善をもって悪に勝ちなさい」。ローマ12:21

 「負けるが勝」と言われますが、弱虫の逃げ口上に聞こえます。しかし、み言葉はそうではありません。勝敗を決められるのは神様であって、主のなさる裁きは正しくて、大いなる報いが伴っています。自分の義を守ろうとする限り、悪に勝つことができません。(KE)

神様はすべて見ておられ、必ず報われます

11月3日

「まちがってはいけない、神は侮られるようなかたではない。人は自分のまいたものを、刈り取ることになる」。ガラテヤ6:7

 神様の姿は見えません。また、その声を聴くこともできません。そのためまるで居ないかのように傍若無人、傲慢不遜に振る舞いがちです。しかし、神様は隠れた所にいて、隠れた事をすべて見ておられ、必ず報われます。言葉にも、行状にも、常に主の眼差しを感じつつ、日々を送りましょう。(KE)

今日の通読箇所

ゼカリヤ書3章

マタイによる福音書23章

神を忘れて自分の思いに囚われています

11月2日

「何事も思い煩ってはならない。ただ、事ごとに、感謝をもって祈と願いとをささげ、あなたがたの求めるところを神に申し上げるがよい」。ピリピ4:6

 「思い煩い」ほど厄介なものはありません。思うまいと決心しても、気が付くと思い煩っています。そのとき、人は神様を忘れて自分の思いに囚われているのです。目の前の現実から目を離して、神様に祈ることから始めましょう。主もまたそのように勧めておられます。(KE)

今日の通読箇所

ゼカリヤ書2章

マタイによる福音書22章

保証が付いていると安心します

11月1日

「わたしはあなたがたの年老いるまで変らず、白髪となるまで、あなたがたを持ち運ぶ。わたしは造ったゆえ、必ず負い、持ち運び、かつ救う」。イザヤ46:4

 インターネット通販が、買い物における市民権を得て久しい今日。現物を見ないで商品購入する際も、製造元、発送元の保証が付いていると安心します。社会における保証は、様々な条件や期限がありますが、イエス・キリストを信じることで与えられる救いは、無制限保証付き、しかも無料です。(MK)

今日の通読箇所

ゼカリヤ書1章

マタイによる福音書21章

神様を信じる道は、選ばれるものではない

10月31日

「狭い門からはいれ。滅びにいたる門は大きく、その道は広い。そして、そこからはいって行く者が多い」。マタイ7:13

 天国に至る門は狭く、またその道は細いと主は語られます。科学が発達し、また物質的にも豊かなこの時代に、見えない神様を信じて生きていく道は、多くの人に選ばれるものではないでしょう。しかしそのような道だからこそ、信じて求める者に対する神様の慈しみは深く、その祝福と報いとは豊かなのです。(MK)

今日の通読箇所

ハガイ書2章

マタイによる福音書20章

御言には一過性でない癒しの力があります

10月30日

「だから、すべての汚れや、はなはだしい悪を捨て去って、心に植えつけられている御言を、すなおに受け入れなさい。御言には、あなたがたのたましいを救う力がある」。ヤコブ1:21

 人は大なり小なり、心に傷や痛みを抱えて生きています。古から時間が薬と言われますが、それで薄れはしても、消えることなく、かさぶたのように残り続けます。しかし御言には、一過性ではない癒しの力があります。それは私達にとって、心の安らぎ、魂の救いです。(MK)

今日の通読箇所

ハガイ書1章

マタイによる福音書19章