造り主を忘れて、不安と恐れに力を失ってしまったのです

4月19日
「主こそ神であることを知れ。われらを造られたものは主であって、われらは主のものである。われらはその民、その牧の羊である」。詩篇100:3

私たちは神様によって造られたものです。そうでありながら、造り主を忘れてしまったのはどこからでしょうか。その結果、迷える子羊となり、飢え渇き、寒さに震え、不安と恐れに力を失ってしまったのです。もう一度、原点に帰って、誰に造られ、誰のものであるか、誰が養ってくださるのかしっかり確認してください。(KE)

神様の赦しは跡形もなく消し去ってくださるのです

4月18日
「わたしはあなたのとがを雲のように吹き払い、あなたの罪を霧のように消した。わたしに立ち返れ、わたしはあなたをあがなったから」。イザヤ44:22

雨の後には水たまりが出来、風が吹けば枯葉やごみが吹き溜まります。必ず、結果である痕跡は残ります。私達の罪や咎もどんなにしてもきれいさっぱり消してしまうことは出来ません。しかし、神様の赦しはそのような不完全なものではなく、雲や霧のように跡形もなく消し去ってくださるのです。神様の赦しをいただく人は、なんと幸いなことでしょう。(KE)

私達も「苦しみの炉」を通らなければならないのです

4月17日
「見よ、わたしはあなたを練った。しかし銀のようにではなくて、苦しみの炉をもってあなたを試みた」。イザヤ48:10

貴金属と言われる金や銀も、本来土くれの中にあった鉱石です。そこから貴重な金銀を取り出すには様々な加工が加えられます。また、取り出した金属が貴重なものとなるには、更なる精錬が必要です。高熱の炉に入れて不純物を取り除きます。同様に、私達も神様の性質にまで清められるため、「苦しみの炉」を通らなければならないのです。それは厳しい試練ですが、耐え忍んで通り抜けた時、貴金属にも勝る貴重な、朽ちることのないものとなります。(KE)

あなたの今日の一日を創造し、生きる者として下さるのです

4月16日
「わたしに呼び求めよ、そうすれば、わたしはあなたに答える」。エレミヤ33:3a

私たちの信じる神様は、生ける神です。その意味は、打てば響き、呼べば応える方と言うことです。呼んでも叩いてもウンともスンとも言わない、死んだ方ではありません。あなたの今日の一日を創造し、生きる者として下さるのです。だから、ことごとく、どんなことでも祈り、願い、求めればいいのです。必ず応答してくださいます。(KE)

イエス様のことを思うなら、耐え忍ぶことができます

4月15日
「おのれを低くして、死に至るまで、しかも十字架の死に至るまで従順であられた」。ピリピ2:8

イエス様は神の位に居られた方、神ご自身と言っても間違いない方です。そのような方がこの汚れた人の世に下って、人となって住んでくださったのです。そればかりか、私達罪人の身代りとなり、十字架に父なる神様の怒りと裁きを受けてくださったのです。この方のことを思うなら、どんなに苦しく、つらくても耐え忍ぶことができます。主の受けられた苦しみを深く感謝して、今日も耐え忍んで生きようではありませんか。(KE)

播いたものは必ず結果となります

4月14日
「まちがってはいけない、神は侮られるようなかたではない。人は自分のまいたものを、刈り取ることになる」。ガラテヤ6:7

厳粛な言葉です。確かに、コメを播いて、麦を刈り取ることは決してありません。人はその播いたものしか、刈り取ることができません。私達の日々のわざには、必ず刈り取る時が備わっています。その収穫が明日であるか、十年先であるか、これは分かりませんが、しかし、播いたものは必ず結果となります。なぜなら、万物を支配される神様がすべての事を持ち運んでおられるからです。(KE)

神様の憐れみによって選ばれたのです

4月13日
「すなわち、無きに等しい者を、あえて選ばれたのである」。第一コリント1:28

イエス様による救いはすべての人に開かれています。ところが、主を求めてくる人の何と少ない事か。今、あなたがイエス様を神の御子、救い主と信じて、平安と望み、感謝と喜び、力と知恵に満たされておられるなら、なんと幸いなことでしょうか。このような恵みを受けたのは自分の努力や力によってではなく、神様の憐れみによって選ばれたのです。しかも、選ばれる理由は、無きに等しい者だからです。感謝。(KE)

神様の存在は結果に見ることが出来ます

4月12日
「神の見えない性質、すなわち、神の永遠の力と神性とは、天地創造このかた、被造物において知られていて、明らかに認められるからである」。
ローマ1:20a

残念ながら、人と人とが相対するように、神様と正面切って向き合うことは出来ません。神様の全体を見ることはできません。なぜなら、私達は被造物、造られたものであり、神様は造物主です。ただ、神様の存在は結果に見ることが出来ます。森羅万象、被造物をつぶさに見るとき、神様のわざというほかありません。身近な自分の体を見ても、不思議が詰まっています。(KE)

どこにでも、共にいてくださるとの約束です

4月11日
「見よ、わたしは世の終りまで、いつもあなたがたと共にいるのである」。マタイ28:20

イエス様はよみがえられた後、40日にわたって、多くの人々にご自分が生きておられることを証しました。その後、弟子たちが見守る中、天に引き上げられて人の目には見えなくなりました。地上での終りのとき、主が語られたことがこの言葉です。物質的な存在としては消えましたが、霊的な存在としていつでも、どこにでも、共にいてくださるとの約束です。今も、あなたのそばに主がおられ、しかも、あなたのことをすべて知っています。(KE)

見えないもののあることを取り敢えず受けいれましょう

4月10日
「イエスは彼に言われた、『あなたはわたしを見たので信じたのか。見ないで信ずる者は、さいわいである』」。ヨハネ20:29

人は自分の目で見、手で触り、体験しなければ信じようとしません。客観的に実証可能な事だけが真実だと思っていますが、そのような捉え方はごく最近の傾向です。見えない霊的な世界、証明不可能な事象がある事を忘れてはなりません。見えるものの背後に、見えないもののあることを取り敢えず受けいれましょう。あなたの世界が広がります。(KE)