2月24日
「主よ、わが終りと、わが日の数のどれほどであるかをわたしに知らせ、わが命のいかにはかないかを知らせてください」。詩篇39:4
人生、始まりがあれば、必ず終わる時が来ます。ただ、その時がいつであるか、残された時はどのくらいであるか、自分の人生でありながら、誰も知りません。滑稽な話です。しかし、人生は自分のものではなく、造り主である神様の手によるものです。終りを定めておられるのは神様です。だから思い煩わず、与えられた今日をしっかりと生きようではありませんか。(KE)
今日の通読箇所
2月24日
「主よ、わが終りと、わが日の数のどれほどであるかをわたしに知らせ、わが命のいかにはかないかを知らせてください」。詩篇39:4
人生、始まりがあれば、必ず終わる時が来ます。ただ、その時がいつであるか、残された時はどのくらいであるか、自分の人生でありながら、誰も知りません。滑稽な話です。しかし、人生は自分のものではなく、造り主である神様の手によるものです。終りを定めておられるのは神様です。だから思い煩わず、与えられた今日をしっかりと生きようではありませんか。(KE)
今日の通読箇所
2月23日
「主は正義と公平とを愛される。地は主のいつくしみで満ちている」。詩篇33:5
私たちは神や仏がいるものかと思わせる暴虐と殺戮、家庭崩壊等々を日々見聞きしています。ともすると、圧倒的な現実の悪の力に押しつぶされそうになりますが、悲惨な現状に囚われず、それを超えて働かれる神様の御業があります。目先の事態に心煩わせず、見えない神様の正義と公平がなされることを信じましょう。(KE)
今日の通読箇所
2月22日
「夜はよもすがら泣きかなしんでも、朝と共に喜びが来る」。詩篇30:5b
悩みを抱えて夜を過ごすとき、時間が止まったように感じます。思い煩いが心の中をグルグル、無限軌道のように止まるところを知らない。しかし、たとえどんなに闇が深くあろうと、明けない夜はありません。必ず、明るい日差しに満ちた朝となります。あなたが今試練の中に置かれているなら、神様のご愛に満ちた御手を信じて、夜明けを待ち望みましょう。(KE)
今日の通読箇所
2月21日
「しかし、無くてならぬものは多くはない。いや、一つだけである」。ルカ10:42a
姉のマルタはイエス様を接待するのに忙しく、焦る思いに苛立っていました。妹マリヤは主の足元でお話を聞いている。姉は怒って妹を叱り、イエス様に八つ当たり。そのとき、主が言われた言葉です。確かに、一歩引いてみると、事の順序がバラバラになっています。今、すべきことは何なのか、整理する。おのずから次なる一手が見えてきます。(KE)
今日の通読箇所
2月20日
「良い地に落ちたのは、御言を聞いたのち、これを正しい良い心でしっかりと守り、耐え忍んで実を結ぶに至る人たちのことである」。ルカ8:15
イエス様が語られた「種まきの譬え」です。種にはいのちが秘められています。同様に、主の言葉にも命が隠されています。実を実らせるのは良き畑に落ちた種です。み言葉を心に抱いて、忍耐し続ける人のことです。やがて収穫の時がきます。(KE)
今日の通読箇所
2月19日
「与えよ。そうすれば、自分にも与えられるであろう」。ルカ6:38ab
信仰の世界はこの世の生き方とは違います。何よりも大きな違いは、自分からまず仕掛けることです。世間でも先手必勝などと言います。ましてや、神様の恵みと祝福を受けるためには、自分の方からまず与える、捨てる、求める、捜し、門をたたくのです。神様を信頼して、まず一歩を踏みだしてみようではありませんか。(KE)
今日の通読箇所
2月18日
「シモンは答えて言った、『先生、わたしたちは夜通し働きましたが、何も取れませんでした。しかし、お言葉ですから、網をおろしてみましょう』」。ルカ5:5
主はシモンの舟から、大勢の人々に福音を語ったのち、ペテロに網を下ろして漁をせよと言われます。何も取れなかった事実を超えて踏み出すことは勇気がいります。しかし、主の言葉を信じて、労苦を惜しまず、従う時、驚きの奇跡が起こります。(KE)
今日の通読箇所
2月17日
「目がまだ見ず、耳がまだ聞かず、人の心に思い浮びもしなかったことを、神は、ご自分を愛する者たちのために備えられた」。第一コリント2:9
神様の為さることは全く想像がつきません。そのため不安を感じます。しかし、神様は決して悪い事をしようとされるわけでなく、人の思いや考えを超えた、未知の世界へ導かれるのです。神様が人の想像できる範囲のことしかできないとすれば、神様とは言えません。(KE)
今日の通読箇所
2月16日
「愛する者たちよ。自分で復讐をしないで、むしろ、神の怒りに任せなさい」。ローマ12:19
世間では世界平和が唱えられる中、戦争は一向に減ることなく、応酬に応酬を重ねて年を越しました。国家、民族同士の報復合戦ばかりではなく、日常生活においても争いは尽きません。その原因は、やられたらやり返す、を繰り返すからです。この負の連鎖を断ち切る道は唯一つ、神様の怒りに委ねることです。(KE)
今日の通読箇所
2月15日
「罪の支払う報酬は死である。しかし神の賜物は、わたしたちの主キリスト・イエスにおける永遠のいのちである」。ローマ6:23
罪とは神様との関係が壊れた状態のことです。その結果、人は具体的な行為としての罪を犯します。造り主との関係をきちんと修復する時、人は命に満ちた者、生きる者となります。神の子イエス様はご自分が死んで、その命を私たちに注いでくださったのです。今日もイエス様の命である永遠のいのちに生きようではありませんか。(KE)
今日の通読箇所