まず「立ち返れ」と言われます

3月30日
「主なる神、イスラエルの聖者はこう言われた、『あなたがたは立ち返って、落ち着いているならば救われ、穏やかにして信頼しているならば力を得る』。しかし、あなたがたはこの事を好まなかった」。イザヤ30:15

思いがけない事態に遭遇すると、人は狼狽し、落ち着きを失い、やみくもに右往左往します。まことに情けない姿です。その原因は神様との関係が崩れているからです。まず「立ち返れ」と言われます。万物の創造者と被造物なる自分。今、目の前の事態も神様によらないものはないとの姿勢を確かにすることこそ、肝要なことです。(KE)

今、あなたは何を頼りとしていますか

3月29日
「あなたがたは鼻から息の出入りする人に、たよることをやめよ、このような者はなんの価値があろうか」。イザヤ2:22

人は自分一人では立つことが出来ません。何かに、また誰かに寄りかかって立とうとします。その結果、多くの場合、頼ったことによって手痛い目に遭い、悲惨な結果になります。今、あなたは何を頼りとしていますか。どんなに身近な肉親であれ、いざと言うときにはなんの力にもなりません。あなたを限りない愛をもって愛してくださる神様こそ、信頼して不足のない方です。(KE)

人を神様の栄光を輝かす者にすることでした

3月28日
「主よ、あなたはみわざをもってわたしを楽しませられました。わたしはあなたのみ手のわざを喜び歌います」。詩篇92:4

神様は私たちが悲しんだり、嘆いたり、苦しむ姿を喜ばれる方ではありません。人を造られた目的は、神様の栄光を輝かす者にすることでした。
しかし、人が罪の故に神様の栄光を受けられなくなった結果、不幸と言われる事態が人を苦しめるのです。もう一度、神様の見えない愛の手を信じて、一切を主にゆだねる信仰に立とうではありませんか。世の浮き沈みをも楽しめる者になってください。(KE)

この世での死ですべてが終わるのではありません

3月27日
「終りのラッパの響きと共に、またたく間に、一瞬にして変えられる」。第一コリント15:51

この世での死は、肉体の死、生物的な死です。それですべてが終わるのではありません。それぞれの魂(霊魂)は、それを授けた神様のもとに集められ、しばらくの眠りに就くと言われています。しかし、それとても永遠に眠り続けるのではありません。終末のとき、ラッパの響きと共に目覚めさせられ、栄光の姿に一瞬にして変えられるのです。それを信じ切るとき、身体的な死は新しい世界への目覚めの時でもあります。(KE)

人が持っているものはすべて神様からもらったものばかりです

3月26日
「あなたの持っているもので、もらっていないものがあるか。もしもらっているなら、なぜもらっていないもののように誇るのか」。第一コリント4:7

私たちの生活に必要なもの、どんなものでも、神様によって備えられたものです。健康も、財も、家族も、仕事も、どれ一つとっても、人が自分で何もないところから造ったと言えるものはありません。有形無形を問わず、人が持っているものはすべて神様からもらったものばかりです。そうでありながら、どうして神様を押しのけて、まるで自分のもののごとく誇り高ぶるのでしょうか。今一度、謙遜になって、主に感謝しようではありませんか。(KE)

まことの光である神の御子をあなたの心に迎えてください

3月25日
「すべての人を照すまことの光があって、世にきた」。ヨハネ1:9

今は闇の世の時代です。前後左右、どこを見ても、何も見えない真っ暗闇の中を手探りで生きているようなものです。そのため、しばしば障害にぶつかり、思わぬ穴に落ちます。常に不安と恐れ、悲しみと怒りなどに捕らわれて、ひと時も楽しめないでいます。このような暗やみの世界にまことの光である神の御子が来られたのです。神様は曇りもなく、汚れもない純粋な光のような方です。あなたの心にこの方を迎えてください。世界が変わります。(KE)

導きに従っていなければ、主にお会いすることは叶いません

3月24日
「だから、目をさましていなさい。いつの日にあなたがたの主がこられるか、あなたがたには、わからないからである」。マタイ24:42

万物が失われる終末の時、イエス様はまたこの世に来られると約束されています。主にお目にかかる日が早かれと願うことですが、では、そのための備えは出来ているかと問われます。この世にあって、ご聖霊の力にゆだね、その導きに従って歩んでいなければ、主にお会いすることは叶いません。今の時代、大震災の起こることに備えようといろんな手立てを尽くします。同様に、主にお会いするための備えをしっかり整えましょう。(KE)

愛すべき神様は「あなたの神」です

3月23日
「心をつくし、精神をつくし、思いをつくし、力をつくして、主なるあなたの神を愛せよ」。マルコ12:30

律法学者がイエス様にどの戒めが第一のものかと問われた時の答えです。世間にも人の道を説く言説が多くあります。それらの大半は人と人との在り方、言うならば人の倫(みち)を説くことばかりです。イエス様が言われるのは、万物の創造者である神様を愛することこそ、人が第一にすべきだと。しかも、愛すべき神様は「あなたの神」です。この土台をしっかりと整えたのち、「あなたの隣り人を愛せよ」と勧められています。(KE)

愛すべき神様は「あなたの神」です

3月22日
「心をつくし、精神をつくし、思いをつくし、力をつくして、主なるあなたの神を愛せよ」。マルコ12:30

律法学者がイエス様にどの戒めが第一のものかと問われた時の答えです。世間にも人の道を説く言説が多くあります。それらの大半は人と人との在り方、言うならば人の倫(みち)を説くことばかりです。イエス様が言われるのは、万物の創造者である神様を愛することこそ、人が第一にすべきだと。しかも、愛すべき神様は「あなたの神」です。この土台をしっかりと整えたのち、「あなたの隣り人を愛せよ」と勧められています。(KE)

肉体が失われてすべてが消え去るのではありません

3月21日
「復活の時には、彼らはめとったり、とついだりすることはない。彼らは天にいる御使のようなものである」。マタイ22:30

人は必ず肉体の死を迎えます。多くの人々はそのことを知っていますが、大切なのはその後のことです。肉体が失われてすべてが消え去るのではありません。人には神様に与えられた霊魂があります。体の束縛を解かれて、魂は主の御許で休息が与えられ、終末のとき、新しい霊の体に甦ります。それは天使のように神様に仕え、礼拝する者となります。そこでは死も痛みも、苦しみも、また涙も消え去り、栄光の体となるのです。(KE)