1月14日
「あなたがたが、足の裏で踏む所はみな、わたしがモーセに約束したように、あなたがたに与えるであろう」。ヨシュア1:3
神様は恵み豊かな方ですから、惜しみなく与えてくださいます。しかし、そのためには自分の足で踏み歩まねばなりません。棚ぼた式に口を開けてじっと待てばいいわけではないのです。神様の恵みの言葉を信じて、実生活のなかで、主の言葉を実際に当てはめ、従うとき、主の恵みを確実なものとすることができます。(KE)
今日の通読箇所
1月14日
「あなたがたが、足の裏で踏む所はみな、わたしがモーセに約束したように、あなたがたに与えるであろう」。ヨシュア1:3
神様は恵み豊かな方ですから、惜しみなく与えてくださいます。しかし、そのためには自分の足で踏み歩まねばなりません。棚ぼた式に口を開けてじっと待てばいいわけではないのです。神様の恵みの言葉を信じて、実生活のなかで、主の言葉を実際に当てはめ、従うとき、主の恵みを確実なものとすることができます。(KE)
今日の通読箇所
1月13日
もし、あなたの片手が罪を犯させるなら、それを切り捨てなさい。両手がそろったままで地獄の消えない火の中に落ち込むよりは、片手になって命に入る方がよい」。マルコ9:43
過激な言葉です。それほどまでに神様の裁きは厳しいもので、片手だといっても、その故に全身が滅びるのです。神様は光のように曇りなき方ですから、どんなに小さな罪でもいい加減にはなさいません。だからこそ、イエス様の十字架がどんなに尊いものか、感謝しましょう。(KE)
今日の通読箇所
1月12日
「立って、父のところへ帰って、こう言おう、父よ、わたしは天に対しても、あなたにむかっても、罪を犯しました」。ルカ15:18
若者が遺産をもらって、家を出て、遊び暮らした結果、無一文になり、豚を飼う人になりました。飢饉があって、豚の餌すら食べたいほど苦しい生活です。どん底になったとき、彼は目が覚めたのです。これは悔い改めの祈りです。あなたと父なる神様との関係はどんなでしょうか。まずは〝立って″父のところへ帰りましょう。(KE)
今日の通読箇所
1月12日
「あなたがたは、わたしをだれにたぐい、だれと等しくし、だれにくらべ、かつなぞらえようとするのか」。イザヤ46:5
神様の全体像を俯瞰的に見ることはできません。しかも、霊的存在ですから、つかみどころがない。その結果、人は想像をたくましくして、木や貴金属を使って形あるものにしようとします。それではあまりにも神様を矮小化するばかりか、侮ることになります。神様のなされた業、被造物を通して神様を知るほかありません。(KE)
今日の通読箇所
1月10日
「恐れるな、わたしはあなたをあがなった。わたしはあなたの名を呼んだ、あなたはわたしのものだ」。イザヤ43:1
神様からあなたへの愛の告白です。あなたがどのような状態にあろうと、丸ごと「わたしのものだ」と神様は宣言してくださいます。ご自身の命をもって保証しておられるのです。しかも、多数の中の一人としてではなく、ただあなたの名を呼んでの告白。これほど大きな主の愛に何をもって答えるでしょうか。(KE)
今日の通読箇所
1月9日
「わざわいなるかな、おのが計りごとを主に深く隠す者。彼らは暗い中でわざを行い、『だれがわれわれを見るか、だれがわれわれのことを知るか』と言う」。イザヤ29:15
“天網恢恢、疎にして漏らさず”と言いますが、神様は、事の大小を問わず、すべてお見通しで、隠すことはできません。いつも神様の目があることを忘れないでください。人の目には見えなくても、神様は見ておられ、それに報われます。(KE)
今日の通読箇所
1月8日
「わたしは知っている。すべて神がなさる事は永遠に変ることがなく、これに加えることも、これから取ることもできない」。伝道3:14ab
人のすることはまことに気まぐれです。気の向くまま、風の吹くまま、どんなにでも変わります。しかし、神様のわざは首尾一貫、起承転結が貫かれています。私たちは自分のいい加減さに嫌気がさしますが、神様は私たちのいい加減さも飲み込んで、不変不動のものにしてしまうのです。(KE)
今日の通読箇所
1月7日
「天が下のすべての事には季節があり、すべてのわざには時がある」。伝道3:1
最近は技術の進歩によって、農産物の季節感がなくなってきました。四季の変化を楽しむ者にとっては残念なことですが、だからと言って、すべてがそうなったのではありません。むしろ、そのようなことはごくわずかな現象であって、人生は神様の定められた時と季節に沿って持ち運ばれています。「時」を支配している方は神様です。(KE)
今日の通読箇所
1月6日
「木が良ければ、その実も良いとし、木が悪ければ、その実も悪いとせよ。木はその実でわかるからである」。マタイ12:33
聖書ではしばしば実を結ぶことが語られます。それは聖書の言葉を実際に生活し、それに沿って具体的に行動することがなければ、ただそれは言葉だけで終わってしまいます。みことばを信じて歩むあなたの実がどんなであるか、良い実であれば元木であるあなたの名誉です。しかし、悪い実を結ぶなら、悪い元木を切り捨てるほかありません。(KE)
今日の通読箇所
1月5日
「おおわれたもので、現れてこないものはなく、隠れているもので、知られてこないものはない」。マタイ10:26b
凶悪事件の犯人が分からず、迷宮入りになるケースがあります。確かに、限られた捜査期間では犯人を発見できなくても、長い年月のうちに、必ずどこかで露見するものです。なぜなら、神様の目をかいくぐることはできないからです。別件で刑務所にいながら、自分の犯した過去の犯罪を寝言で自白して刑に服することになった人もいます。(KE)
今日の通読箇所