すべての人は愛されるべきものなのです

7月22日
ところが、神は、どんな人間をも清くないとか、汚れているとか言ってはならないと、わたしにお示しになりました」。使徒10:28b

ペテロは長年律法の世界に生きていたため、福音のもたらす自由を知らずにいました。しかし、神様はイタリア人のコルネリオとの出会いを通して、神様のもとにあって、どんな人も平等であることを知ったのです。とかく、人は比べあい、差別しがちです。しかし、神様の目には、すべての人は愛されるべきものなのです。なぜなら、その人のためにも主は死なれたのですから。(KE)

今日の通読箇所

出エジプト29章

ペテロの第二の手紙 1章

主はあなたと共におられます。あなたはひとりではないのです

7月21日
「しかし、わたしはひとりでいるのではない。父がわたしと一緒におられるのである」。ヨハネ16:32

イエス様の生涯は常に父なる神様と共に生きるものでした。十字架の苦難を受ける時、弟子たちはすべて離れてしまいますが、イエス様は孤独になったと嘆いたわけではありません。父なる神様との絶えざる交わりがありました。よみがえった主は今も私たちと共にいると言われます。イエス様が味わった父なる神様と共なる恵みを私たちに与えるためです。今日も、主はあなたと共におられます。あなたはひとりではないのです。(KE)

今日の通読箇所

出エジプト28章

ペテロの第一の手紙 5章

私たちは神の子にふさわしい生き方が出来ないのです

7月20日
「わたしは、自分からは何事もすることができない」。ヨハネ5:30

イエス様は神様から遣わされた神の御子です。遣わされた目的の一つは、私たちに神の子としての生き方を見せるためです。なぜなら、イエス様の救いによって、神の子とされた私たちはその身分にふさわしい生き方が出来ないのです。イエス様は徹底して遣わされた方、父なる神様のみ旨を求めている。そのように私たちも生きるべきです。(KE)

今日の通読箇所

出エジプト27章

ペテロの第一の手紙 4章

今あなたは何を恐れていますか

7月19日
「恐るべき者がだれであるか、教えてあげよう。殺したあとで、更に地獄に投げ込む権威のあるかたを恐れなさい」。ルカ12:5ab

人が弱くなるのは、何かを恐れているときです。しかも、人は常時何か漠然としたものを恐れて、戦々恐々としながら日々を送っているのではないでしょうか。今あなたは何を恐れていますか。イエス様は恐れるべきものは唯一つ、全能の神様であると言われます。それ以外のことは恐れるに足らないものです。今日もこの恐るべき方を尊び、敬って、主と共に生きてください。(KE)

今日の通読箇所

出エジプト26章

ペテロの第一の手紙 3章

主の言葉に従うとき、奇跡が起きるのです

7月18日
「シモンは答えて言った、『先生、わたしたちは夜通し働きましたが、何も取れませんでした。しかし、お言葉ですから、網をおろしてみましょう』」。ルカ5:5

ペテロが漁を終わって、片づけているところにイエス様が来て、その舟に乗り、岸にいる人々に福音を語りました。その後、沖へ漕ぎ出して、網を下ろし、漁をしなさいと言われます。ペテロはその通りにしたところ、思いがけない大漁に会います。無駄なことと思いながらも、主の言葉に従うとき、奇跡が起きるのです。 (KE)

今日の通読箇所

出エジプト25章

ペテロの第一の手紙 2章

その目的は神様の栄光のために仕立てることです

7月17日
「わたしは光をつくり、また暗きを創造し、繁栄をつくり、またわざわいを創造する」。イザヤ45:7a

神様によらないものは何一つありません。有形無形、善悪を問わず、すべてが神様の目的のために用いられている道具です。私たちの生涯に出会う様々な出来事も、神様のなさるわざであって、人の知恵や力の及ぶところではない。その目的は神様の栄光のために仕立てることです。私たちの生涯を万華鏡のごとく、多彩な色と形で満たしておられるのです。(KE)

今日の通読箇所

出エジプト24章

ペテロの第一の手紙 1章

あなたにとって、なにが頼みとなるものでしょうか

7月16日
「王はその軍勢の多きによって救を得ない。勇士はその力の大いなるによって助けを得ない」。詩篇33:16

国を守るために王が頼むところは軍の力、それは兵士の数であったり、軍馬や素朴な戦闘車の数でした。そのため、敵より一層多くの軍勢を得ることが勝利だと思われたのです。しかし、万物を支配なさる神様は、王を立て、国を亡ぼす力ある方です。頼みとする軍勢など無に等しいものです。あなたにとって、なにが頼みとなるものでしょうか。(KE)

今日の通読箇所

出エジプト23章

ヤコブの手紙 5章

さばくに大路を備えるには神様のわざを期待することです

7月15日
「呼ばわる者の声がする、『荒野に主の道を備え、さばくに、われわれの神のために、大路をまっすぐにせよ』」。イザヤ40:3

「荒野」「さばく」と言われても想像できませんが、不毛の大地、人も住まない地とは思います。しかし、そのようなところに大路を備えよとのこと。なぜなら、そこが多くの人の集う所となるからです。その必須条件は神様のわざを期待することです。主がされるなら、荒野もさばくも、多くの人々が喜び集うところとなります。神様に対する姿勢をしっかり整えるなら、あなたの心の不毛の地も緑あふれる沃野となります。(KE)

今日の通読箇所

出エジプト22章

ヤコブの手紙 4章

苦しみによって自分を低くすることが出来たからです

7月14日
「苦しみにあったことは、わたしに良い事です。これによってわたしはあなたのおきてを学ぶことができました」。詩篇119:71

誰でも苦しみに会いたくないと願います。しかし、この詩篇の記者はむしろそれを喜ぶと言うのです。なぜなら、それによって神様の御手に自分を低くすることが出来たからです。「おきて」とは神様の御心のことです。私たちも苦しみに会うことがありますが、それを避けようとせず、神様と深く交わる機会にしたいものです。(KE)

今日の通読箇所

出エジプト21章

ヤコブの手紙 3章

主は言われます、「ゆだねよ」と

7月13日
「あなたの荷を主にゆだねよ。主はあなたをささえられる。主は正しい人の動かされるのを決してゆるされない」。詩篇55:22

家康でしたか、人の一生は重き荷を負うて遠き道をゆくがごとしと言ったそうですが、残念ながらその荷を下ろすことが出来なかったのでしょう。主は言われます、「ゆだねよ」と。人が重荷を負い続けることは神様のみこころではないからです。あなたが望むことなら負い続けるのもいいでしょうが、身軽になるとどんなに楽になる事か、人生が変わります。(KE)
7月13日

今日の通読箇所

出エジプト20章

ヤコブの手紙 2章