3月20日
「招かれる者は多いが、選ばれる者は少ない」。マタイ22:14
イエス様を信じて救われるのは、あなたの努力や、熱心なわざによるのではありません。神様の一方的な招きと選びによるのです。今の時代にも、神様は多くの人々を救いへと招いておられますが、それに応答して救われる人のいかに少ないことか。具体的な日々の出来事を通して、主はあなたに「主に帰れ、神に帰れ」と呼びかけておられます。主の招きの声を聞くならば、躊躇せず主を求めて救いを受けてください。(KE)
3月20日
「招かれる者は多いが、選ばれる者は少ない」。マタイ22:14
イエス様を信じて救われるのは、あなたの努力や、熱心なわざによるのではありません。神様の一方的な招きと選びによるのです。今の時代にも、神様は多くの人々を救いへと招いておられますが、それに応答して救われる人のいかに少ないことか。具体的な日々の出来事を通して、主はあなたに「主に帰れ、神に帰れ」と呼びかけておられます。主の招きの声を聞くならば、躊躇せず主を求めて救いを受けてください。(KE)
3月19日
「そこでイエスは彼らに言われた、『それでは、あなたがたはわたしをだれと言うか』」。マタイ16:15
主は弟子たちにご自分のことを何者だと言うか、と問われました。それは彼らにだけでなく、今も私たちに問いかけておられます。主の問いにあなたはなんと答えるでしょうか。この時、ペテロはすぐに「あなたこそ、生ける神の子キリストです」と答えました。彼の答えはまさに満点です。私達も彼のようにイエス様を救い主(すべてのものの)と固く信じて、今置かれた境遇の中で、主を実体験しましょう。(KE)
3月18日
「なぜ、兄弟の目にあるちりを見ながら、自分の目にある梁を認めないのか」。ルカ6:41
人の目は前にあるものを見ることが出来ますが、自分や後ろをいつも見ているわけではありません。そのため、前にいる人たちのことが大小構わずよく目に付く。それに反して、自分のことがさっぱり見えていない。梁とは屋根を支える木組みです。見逃すことのないもの、チリは小さなものです。人のことをあげつらうより、まずは自分の姿を知るべきです。(KE)
3月17日
「するとイエスは言われた、『カイザルのものはカイザルに、神のものは神に返しなさい』」。マルコ12:17
ユダヤ人の指導者たちがイエス様に尋ねます。「税金を納めるべきか」と。当時の貨幣に刻印された肖像を見て言われた言葉です。それはまた私たちが誰のものであるかを語っています。神様は神のカタチに人を造られました。私達が神様に帰属する証です。あなたは神様のものなのです。私達は時間も健康も、財も家族も、神様のものを盗んでいるのではないでしょうか。今日の一日もあなたは神のもの、「神に返しなさい」。(KE)
3月16日
「イエスは振り向いて、ペテロに言われた、『サタンよ、引きさがれ。わたしの邪魔をする者だ。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている』」。マタイ16:23
「サタン」などと言われると、おとぎ話の悪役、空想のもののように思いがちですが、サタンはいつもあなたの身近に、否、あなたの中にも存在するものです。その特徴は神様を否定し、この世のことにあなたの心を虜にする霊の力です。神様が喜ばれるだろうか、イエス様ならどうなさるか、そこに心が向くとき、あなたは天使です。(KE)
3月15日
「イエスは言われた『それをここに持ってきなさい』」。マタイ14:18
大勢の群衆がイエス様のところに集まり、主の話を聞いていました。夕方になり、人々も空腹になったとき、弟子たちに皆に食事をさせよと言われる。手持ちの食べ物は五つのパンと二匹の魚。これではどうにもならない。弟子たちは当惑する。その時、主は言われます。「それをここに持ってきなさい」と。どんなに少なく、小さくても主の手にゆだね、祝福を願うとき不思議が起ります。あなたも諦めていることがありませんか。(KE)
3月14日
「天にいますわたしの父のみこころを行う者はだれでも、わたしの兄弟、また姉妹、また母なのである」。マタイ12:50
神様が天地を創造された時、最後に神に似る者として人を造られました。それは神様の家族にしようと思われたからです。エデンの園は聖家族の家庭のようなものです。しかし、その麗しい家族が罪のゆえに離散して、カインとアベルのように兄弟喧嘩が始まったのです。父なる神は家族の絆を回復しようと願い、罪の代償として御子をこの世に遣わされたのです。(KE)
3月13日
「わたしは神である、今より後もわたしは主である。わが手から救い出しうる者はない。わたしがおこなえば、だれが、これをとどめることができよう」。イザヤ43:13
神様の自己紹介と言ってもいいでしょう。あなたは神様をどのような方だと思っていますか。自分より、人間より少しばかり力があり、知恵がある方かな、とでも思っていませんか。神様は万物の創造者、今も全能なる力と知恵を用いてすべてのものを動かし、わざをなさる。その時、何物も逆らうことも、とどめることも出来ません。あなたも神様の手にあるのです。(KE)
3月12日
「人の歩みは主によって定められる、人はどうして自らその道を、明らかにすることができようか」。箴言20:24
自分の人生は自分のもの、だから自分が決めるものだと人は思いやすいものです。しかし、あなたがこの世に生を受けた時、あなたの選択と決断などどこにもありません。あなたの知らない間にあなたの生涯が始まっていた。あなたは今日まで神様の定められた道筋をたどって生かされてきたのです。だから、これからの人生の日々もあなたは勿論、あなたの親ですら知ることはできません。(KE)
3月11日
「さて、散らされて行った人たちは、御言を宣べ伝えながら、めぐり歩いた」。使徒8:4
主が復活された後、弟子たちやそのほかの多くの人々に神様の力、聖霊が注がれ、イエス様を神の子と信じる人々が増えていきます。それを恐れた指導者たちは、クリスチャンに激しく迫害弾圧を加えます。その結果、エルサレムの教会は壊滅的な事態となりました。しかし、それはまた神様のご計画だったのです。散らされた人々は主の福音をまき散らすことになりました。その結果、福音がさらに広がったのです。痛みを伴いますが主のわざは無駄に終わりません。(KE)