主に信頼する心を整えることが良い結果につながります

6月22日
「主なる神、イスラエルの聖者はこう言われた、『あなたがたは立ち返って、落ち着いているならば救われ、穏やかにして信頼しているならば力を得る』。しかし、あなたがたはこの事を好まなかった」。イザヤ30:15

人は思いがけない事態に遭遇すると、慌てふためきます。そのため、正しい必要な判断が出来なくて、事態をさらに悪化させる悪循環に陥ります。そうならないために、まず神様を見上げて、主に信頼する心を整えることが良い結果につながります。急いては事を仕損ずると言われるところです。(KE)

今日の通読箇所

創世記49章

Ⅱテテモテ 2章

神様の目線でみるとき、貫かれている道筋が明らかです

6月21日
「『基が取りこわされるなら、正しい者は何をなし得ようか』と」。詩篇11:3

何事を成すにも、正しい基準がなければ、事の良しあしを判断できません。無秩序に見えるこの世も、神様の目線(み言葉)でみるとき、首尾一貫、貫かれている道筋が明らかです。それがなければ、この世は混沌(カオス)の極みです。どんなに理不尽に見えようとも、義なる基がある限り、決して失望することはありません。(KE)

今日の通読箇所

創世記48章

Ⅱテテモテ 1章

サウル王は民衆の声に従った結果、王の位から退けられました

6月20日
「主に問うことをしなかった。それで主は彼を殺し、その国を移してエッサイの子ダビデに与えられた」。歴代上10:14

イスラエル王国の初代サウル王は神様の言葉に従うよりも、民衆の声に従った結果、王の位から退けられました。しかし、即座に追放されたのではありません。主はなお悔い改めの時を待っておられたのだと思います。しかし、ペリシテ人との戦いにあって、主に対して犯した罪のために戦死します。これは神様の裁きです。主の言葉を聞くとき、即座に従う者となってください。(KE)

今日の通読箇所

創世記47章

Ⅰテテモテ 6章

その時、神様が彼女に声をかけ、懇ろに慰め励まします

6月19日
「そこでハガルは自分に語られた主の名を呼んで、『あなたはエル・ロイです』と言った。創世記16:13a

女主人サライに苦しめられたハガルは、死に場を求めて荒野に逃げ出します。その時、神様が彼女に声をかけ、懇ろに慰め励まします。彼女はどんなに嬉しかったことでしょう。「エル・ロイ」とは「見たもう神」という意味。どんなに苦しくてもそれを知って下さる方がおられるのは大きな力です。試練の中にあるときも、あなたを見ておられ、報いてくださるのです。(KE)

今日の通読箇所

創世記46章

Ⅰテテモテ 5章

まさに信仰の戦いとは祈りの勝負です

6月18日
「モーセが手を上げているとイスラエルは勝ち、手を下げるとアマレクが勝った」。出エジプト17:11

カナンの地を目指して、荒野を旅するイスラエルに、アマレク人が戦いを仕掛けてきます。モーセはホル山に登り、祈り続けます。起立して両腕を天につきあげて祈るのが、当時の祈りです。しかし、腕が疲れて下がると敵が勝ち、彼が祈るとイスラエルが勝ちます。アマレクは神を畏れないこの世の勢力、肉の力の象徴です。まさに信仰の戦いとは祈りの勝負です。内に働く罪の力に勝つには祈り続けることです。(KE)
6月18日

今日の通読箇所

創世記45章

Ⅰテテモテ 4章

私たちに与えられている時は「今」しかありません

6月17日
「見よ、今は恵みの時、見よ、今は救の日である」。第二コリント6:2

人は今と言う時に満足できない者です。昔はよかったとか、明日は良くなるだろうと思って、「今」を無駄にしているのではないでしょうか。私たちに与えられている時は「今」しかありません。あなたが今どんな状況にあろうと、まさに「今」こそ恵みのとき、また神様の救いを受けることが出来るときです。今日も、主はあなたを恵み、救おうと備えておられます。どのような事におかれようと、今を生きてください。その時、主にお会いできます。(KE)

今日の通読箇所

創世記44章

Ⅰテテモテ 3章

神様は私たちを感謝があふれる者にしたいのです

6月16日
「すべてのことは、あなたがたの益であって、恵みがますます多くの人に増し加わるにつれ、感謝が満ちあふれて、神の栄光となるのである」。第二コリント4:15

私たちの日々の営みは神様のなさることです。だから、失敗だとか、無駄なことは一切なく、すべてが私たちの益となるもの、恵みばかりです。神様は私たちに喜びを与え、感謝があふれる者にしたいのです。自分の物差しと量りを捨てて、主の御手に自分をまかせてみてはどうでしょう。すべての事が感謝にかわります。(KE)

今日の通読箇所

創世記43章

Ⅰテテモテ 2章

私たちは神様のものなのです

6月15日
「するとイエスは彼らに言われた、『それなら、カイザルのものはカイザルに、神のものは神に返しなさい』」。ルカ20:25

イエス様にパリサイ人や律法学者がローマ皇帝カエサルに税を納めてよいかどうかと尋ねました。主は当時の貨幣に刻印された皇帝の肖像を見せて、この貨幣は誰のものかと問われたのです。同様に、人はすべて「神のかたち」に造られたもの。神様の刻印が記されています。私たちは神様のものなのです。あなたは神様のものとなっていますか。(KE)

今日の通読箇所

創世記42章

Ⅰテテモテ 1章

主は彼の心に入ってくださったのです

6月14日
「きょう、あなたの家に泊まることにしているから」。ルカ19:5

イエス様がエリコの町に来られた時、突然、取税人のザアカイの家に泊まることにしました。取税人だった彼は不正なことをして町中の人々から嫌われていました。イエス様が悪人の家に泊まったと、多くの人々は失望しました。しかし、その晩、彼は主の前に出て、自分の罪を認め、すべての償いをすると決断しました。主は彼の家ではなく、彼の心に入ってくださったのです。甦った主は今どこにおられるのでしょうか。(KE)

今日の通読箇所

創世記41章

Ⅱテサロニケ 3章

人が何者かを恐れる時、その者の奴隷です

6月13日
「あなたがたは再び恐れをいだかせる奴隷の霊を受けたのではなく、子たる身分を授ける霊を受けたのである」。ローマ8:15a

奴隷など、現代社会にはありえないと思いがちですが、必ずしもそうではありません。確かに、自由を奪い強制力で使役する姿は見られませんが、人が何者かを恐れる時、その者の奴隷です。奴隷の特徴は恐怖をもって縛られる状態です。あなたが病気を恐れるなら、病気の奴隷です。イエス様はそのような奴隷の支配から解放してくださったのです。そればかりか、神様の本質である聖霊を私たちに与えて、神の家族にしてくださったのです。(KE)

今日の通読箇所

創世記40章

Ⅱテサロニケ 2章