ひとたび口にした言葉は取り消しが利きません

2月18日
「わが岩、わがあがないぬしなる主よ、どうか、わたしの口の言葉と、心の思いがあなたの前に喜ばれますように」。詩篇19:14

「口は災いの元」とも言われます。確かに、争いごとは言葉によって引き起こされます。また、ひとたび口にした言葉は取り消しが利きません。まさに「覆水盆に返らず」です。それゆえに時と場合を選び、それにふさわしい言葉を、と願いますが、自分の力ではできません。感情や情動に左右され、願わない結果になります。そうならないために、聖霊の力によって自分の心と思いを支配していただくほかないのです。(KE)

自分の選択によって進もうとするとき必ず行き詰まります

2月17日
「すべての道で主を認めよ。そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる」。箴言3:6

人生には様々な道があります。どの道を行こうとも、その道が主によって備えられたものであると、確信して進むなら、必ず成功します。人生は自分のものだから、自分の選択と決断によって進もうとするとき、必ず行き詰まります。人は力なく、知恵もなく、小さなものだからです。自分の考えや利害関係を捨て去って、一心に主を仰ぎつつ、開かれた道を感謝しつつ進むなら、主は御心にかなう道へと進ませてくださいます。(KE)

イエス様は、心にないことを語ることはないと言われます

2月16日
「おおよそ、心からあふれることを、口が語るものである」。マタイ12:34b

世間では「心にもない事を申しまして」と謝罪することがあります。自分の言ったことが本意ではなかったとの弁解です。しかし、イエス様は、口から出る言葉はその人の心から出るものであって、心にないことを語ることはないと言われます。そうなると、人の品位・品格はその人の言葉によることになります。心の状態を語られる言葉が明示しているからです。今日もあなたの言葉であなた自身が測られます。ご用心を!(KE)

それはただ主の懐にすっかり落ち込む以外にありません

2月15日
「すると突然、海上に激しい暴風が起って、舟は波にのまれそうになった。ところが、イエスは眠っておられた」。マタイ8:24

ゲネサレ湖を舟でわたっていたとき、突然、暴風に巻き込まれ、弟子たちは溺れそうになりました。弟子たちはなんとか死を逃れようと大慌てをしています。しかし、主は悠然と嵐の中で眠っておられる。嵐のような事態にあったとき、あなたはどちらに自分の姿を見ますか。主のような平安はどうすれば得られましょうか。それはただ主の懐にすっかり落ち込む以外にありません。主の平安を着てしまえば、何ものも恐れることはないからです。(KE)

私達は神様を信頼できないからです

2月14日
「まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう」。マタイ6:33

神様は私達の憂いた、悲しんだ姿を好まれません。常に喜んでいることを願っておられます。そうでありながら、私達はそのようになれません。なぜなら、神様を信頼できないからです。万物は神様の支配の下にあります。私達の人生も、日々の生活もことごとく神様の御手に握られ、持ち運ばれているのです。自分の思いや願いと異なるとも、その思いを神様にゆだねて、主に期待するなら、すべて満たしてくださいます。(KE)

神様を忘れ、この世のものを神としてしまうのです

2月13日
「するとイエスは彼に言われた、『サタンよ、退け。『主なるあなたの神を拝し、ただ神にのみ仕えよ』と書いてある」。マタイ4:10

洗礼を受けられたのち、主は荒野の試練に遭われます。それはもっぱらサタンとの戦いです。この世の栄誉・栄光を見せて、サタンは自分を拝めと求めます。人はこの世の物事(被造物)に心を奪われ、造り主なる神様を忘れ、この世のものを神としてしまうのです。これはサタンの巧妙な手口です。サタンのだましの手口にやられないように、主がなさったように、御言葉にしっかり立ってください。(KE)

様々な状況を見せて、私達の主を思う心を砕こうとします

2月12日
「イエスは振り向いて、ペテロに言われた、『サタンよ、引きさがれ。わたしの邪魔をする者だ。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている』」。マタイ16:23

イエス様はこれから捕らわれ、殺され、葬られること、しかし、よみがえると話されました。聞いたペテロは驚いて主を諫めます。ペテロをサタンと厳しく言われます。サタンあるいは悪魔は常に私たちを神様から引き離そうとします。様々な状況を見せて、私達の主を思う心を砕こうとします。今日もサタンはあなたの主を愛する思いを打ち砕こうとしてきます。御言葉に立ってサタンに勝ってください。(KE)

彼は主の尊い使命を果たす一端に加えられたのです

2月11日
「人々はイエスの十字架を無理に負わせた」。マルコ15:21

イエス様が十字架につけられるため、ゴルゴタへ向かいます。しかし、主は疲労困憊、十字架を負うことが出来ません。偶然通りかかったシモンに負わせます。彼にとっては理不尽なことでしたが、図らずも彼は主の尊い使命を果たす一端に加えられたのです。私達も日々そのような事態に取り込まれているのではないでしょうか。神様はあなたを栄光のみわざに加えようとしておられます。(KE)

そこではみ使いとなって、主を崇め、主に仕えるのです

2月10日
「彼らが死人の中からよみがえるときは、めとったり、とついだりすることはない。彼らは天にいる御使のようなものである」。マルコ12:25

人は死んだ後、消えてなくなるのではありません。確かに、肉体は失われますが、魂は神様のもとに帰り、終わりの時を待ちます。やがて終末のとき、すべての魂はよみがえり、新しい天と地のエルサレム、永遠の御国に住む者になります。そのとき、この世にあるすべての関係(家族関係)はリセットされて新しい霊の体をまといます。そこでは親子も男女もなく、み使いとなって、主を崇め、主に仕えるのです。(KE)

神様は知っておられます、応答してくださるとのことです

2月9日
「すると、隠れた事を見ておられるあなたの父は、報いてくださるであろう」。マタイ6:4

神様を見ることも、触ることも、声を聴くこともできません。そのため、まるで居ないものごとく思ってしまいます。しかし、神様は人には分からないようでも、私達の行動も言葉も、小さなことから大きなことまで、すべてを見て、聞いて、知っておられます。そればかりか、「報いて」くださる。応答してくださるとのことです。怖いようですが、すべてが知られていることを思うと、安心です。隠すことはいらないから。(KE)