9月9日
「しかし、わたしたちの国籍は天にある。そこから、救主、主イエス・キリストのこられるのを、わたしたちは待ち望んでいる」。ピリピ3:20
イエス様を信じ、救われた者ですが、今なお肉にあるこの世の生活を続けています。しかし、現実がどうであれ、私たちは主のものとされ、天国に名を連ねているのです。御国の民としてふさわしい歩みをしようではありませんか。花婿なるキリストがいつ来られても遅れることのないように、日々、備えておきましょう。(KE)
今日の通読箇所
9月9日
「しかし、わたしたちの国籍は天にある。そこから、救主、主イエス・キリストのこられるのを、わたしたちは待ち望んでいる」。ピリピ3:20
イエス様を信じ、救われた者ですが、今なお肉にあるこの世の生活を続けています。しかし、現実がどうであれ、私たちは主のものとされ、天国に名を連ねているのです。御国の民としてふさわしい歩みをしようではありませんか。花婿なるキリストがいつ来られても遅れることのないように、日々、備えておきましょう。(KE)
今日の通読箇所
9月8日
「というのは、ラッパが響いて、死人は朽ちない者によみがえらされ、わたしたちは変えられるのである」。第一コリント15:52
生ける者はすべて終わりの時、死を迎えることになります。その先はどうなるだろうかと不安を抱く方もあるでしょう。聖書は一貫して肉体の死がすべての終りではないと示唆しています。終末の時、約束されたように主が私たちを迎えに来られる。死者の魂は眠りから覚め、神様の前に集められ、新しい霊の体へとよみがえり、永遠の御国に加えられます。この時を望みつつ、今を生きるのです。(KE)
今日の通読箇所
「見よ、今は恵みの時、見よ、今は救の日である」。第二コリント6:2b
私たちが生きる時は「今」しかありません。過ぎ去った時は、いくら悔やんでも戻ってこないからです。また、明日はまだ未知の時であって、明日が今に代わるかどうか、誰も知りません。そうなると、今がどんなに不如意であろうと、感謝して生きるほかないのです。今日も備えられた恵みの時と感謝して過ごそうではありませんか。(KE)
今日の通読箇所
9月6日
「そのとががゆるされ、その罪がおおい消される者はさいわいである。主によって不義を負わされず、その霊に偽りのない人はさいわいである」。詩篇32:1-2
誰でも幸福になりたいと願います。そのために汗水流して働き、財を蓄えますが、それでは決して幸いになることはできません。その人が幸福であるか、不幸であるかは、持ち物によらず、心の有り様です。心に罪や不義がなく、光にあふれている人、その人こそ幸いな人と言えます。逆に心が闇に閉ざされている人はまことに不幸です。(KE)
今日の通読箇所
9月5日
「主はあわれみに富み、めぐみふかく、怒ること遅く、いつくしみ豊かでいらせられる」。詩篇103:8
神様の手に握られた私たちに、神様はどんなひどい事をなさるだろうかと不安になるかもしれません。しかし、私たちに抱いておられる御思いは、限りない愛に満ちています。なぜなら、ご自分の命を分与した者たちだからです。ふかふかの羽毛布団に包まれるように、神様の御手に自らを残らず委ねようではありませんか。(KE)
今日の通読箇所
9月4日
「わたしが天にのぼっても、あなたはそこにおられます。わたしが陰府(よみ)に床を設けても、あなたはそこにおられます」。詩篇139:8
人は神様の磁場から逃れることは出来ません。天に昇ろうと、地に下ろうと、神様の手から離れることはできないのです。なぜなら、神様の手のなかに握られているからです。だったら、今置かれたところ以外に、自分の場所はないのですから、覚悟して神様のなさることに、すべて委ねようではありませんか。(KE)
今日の通読箇所
9月3日
主よ、あなたはわたしを探り、わたしを知りつくされました」。詩篇139:1
神様は私たちの造り主です。だから、私たちを誰よりもよく知っておられるのです。多くの人は自分の事は自分がよく知っているといいますが、残念ながら、自分のことを全く知らないと言ってもいいでしょう。今日の一日も、あなたのために備えられた一日です。どんな一日になるのか、自分は知らなくても神様はご存じです。(KE)
今日の通読箇所
9月2日
「まちがってはいけない、神は侮られるようなかたではない。人は自分のまいたものを、刈り取ることになる」。ガラテヤ6:7
神様が人を造られたとき、自らの生き様を選ぶ自由を与えられました。人は神様の操り人形ではありません。その代わり、自分が選んだことについては、それにふさわしい結果を引き受けなければならないのです。神様に従う道であるか、それとも自分の身勝手な道に進もうとするのか、今日もあなたは選ばなければなりません。(KE)
今日の通読箇所
9月1日
「万物は、神からいで、神によって成り、神に帰するのである」。ローマ11:36a
「創世記」の最初に書かれているように、森羅万象、すべての始まりは神様にあります。もし神様がいないとしたら、今日のあなたは存在していません。しかも、万物を始められた方はそのすべてを持ち運んでおられます。私たちには分かりませんが、神様のご計画のもとですべてが進められているのです。神様のなさる業に人は何一つ足すことも引くことも出来ません。(KE)
今日の通読箇所
8月31日
「人が義とされるのは、律法の行いによるのではなく、信仰によるのである」。ローマ3:28b
義とは何か、議論すれば難解極まりないものですが、ごく簡単に言えば、神様の前に罪とがのないことです。人は多かれ少なかれ義人でありたいと願います。道徳的、倫理的な行為を積み重ねる、いわゆる善行功徳を積めば、義人だと世間では見られます。しかし、神様の求める義は、万物の創造者、全知全能の神様がおられることを信じ、神様を畏れ敬い生きる人のことです。(KE)
今日の通読箇所