私が赦された事を認め、心から赦す事です

2月2日

「互に情深く、あわれみ深い者となり、神がキリストにあってあなたがたをゆるして下さったように、あなたがたも互にゆるし合いなさい」。エペソ4:32

 憐れみも情け深いことも愛の容です。御子は私たちを愛するゆえに、私たちの罪を受けて十字架に命を捨ててくださったのです。それに応えて、情け深く、あわれみに富む者となるには、自分のゆるされざる罪がゆるされたことを認めて、自分も心からゆるすときです。ゆるされた自分が、ゆるさないわけにはいきません。(KE)

今日の通読箇所

箴言12章

マタイによる福音書9章

勝手な祈りで、大丈夫かと思います

2月1日
「御霊もまた同じように、弱いわたしたちを助けて下さる。なぜなら、わたしたちはどう祈ったらよいかわからないが、御霊みずから、言葉にあらわせない切なるうめきをもって、わたしたちのためにとりなして下さるからである」。ローマ8:26

 自分の祈りは神様に聞いていただけるだろうかと疑います。ことに自分の事ばかり、勝手な祈りで、大丈夫かと思います。しかし、祈りが聞かれるのは、あなたが立派だからでも、言葉が巧みだからでもありません。ただ御霊があなたの祈りを主のみ前に持ち出し、取りなしてくださるから、聞いていただくのです。安心して、なにものにも囚われず、祈ってください。(KE)

今日の通読箇所

箴言11章

マタイによる福音書8章

”肉“には神を畏れ敬うものはありません

1月31日

「なぜなら、肉に従う者は肉のことを思い、霊に従う者は霊のことを思うからである。肉の思いは死であるが、霊の思いは、いのちと平安とである」。ローマ8:6

 ”肉“とは、人の自我性、自己中心性に支配された情欲、感情のことです。そこには神様を畏れ敬うものはありません。その結果、肉に支配された時、嵐に翻弄される小舟のようなものです。一方、御霊は、神様が与えてくださった力、霊です。その霊的力は神様を畏れ、そのみ心に従う事を喜びとします。御霊の導きを信じて、従いましょう。(KE)

今日の通読箇所

箴言10章

マタイによる福音書7章

神様の救いは私達を、神の子とする事です

1月30日

「すべて神の御霊に導かれている者は、すなわち、神の子である」。ローマ8:14

 万物の創造者でいらっしゃる神様の救いは、被造物である私たちを、エデンの園にあったときのように神の子とすることです。大変なことになったと思われがちですが、決してそうではありません。きわめて単純です。善行功徳を積むこともいりません。品行方正でもありません。神の霊、御霊に思考も行動もすべてを導いていただくだけです。神の御霊は今もあなたのうちに働いておられます。内住しておられる御霊のみ声を聞き従う者となりましょう。(KE)

今日の通読箇所

箴言9章

マタイによる福音書6章

アブラハムは、信じ続けたのです

1月29日

「すなわち、およそ百歳となって、彼自身のからだが死んだ状態であり、また、サラの胎が不妊であるのを認めながらも、なお彼の信仰は弱らなかった」。ローマ4:19

 アブラハムは信仰の父と言われるほど、信仰深い人でした。彼は神様の約束、彼の子孫を多くするとの約束を信じましたが、現実の状況は到底見込めないものでした。しかし、彼はそれに惑わされず、信じ続けたのです。不可能な現実を見ていながら、信じ続ける。これこそ信仰の醍醐味です。見えるところ、聞くところをしっかりと見聞きしながらも、その信仰は不変です。これこそ、信仰の人たる所以です。(KE)

今日の通読箇所

箴言8章

マタイによる福音書5章

悩みの中で主を呼べば、必ず答えます

1月28日

「彼らはその悩みのうちに主に呼ばわったので、主は彼らをその悩みから救い、そのみ言葉をつかわして、彼らをいやし、彼らを滅びから助け出された」。詩篇107:19-20

 「喉元過ぎれば熱さを忘れる」と世間でも言われますが、苦しい時の神頼みになりやすい私たちです。しかし、神様はその事もご存じで、悩みのなかで主を呼べば必ず答えてくださいます。さらに、み言葉によって慰め、励ましてくださいます。悩みに会うことはつらくはありますが、主に近づく絶好の機会です。(KE)

今日の通読箇所

箴言7章

マタイによる福音書4章

狭き門は、永遠の命を獲得することです

1月27日

「狭い門からはいれ。滅びにいたる門は大きく、その道は広い。そして、そこからはいって行く者が多い」。マタイ7:13

 時、恰も入学試験のシーズンです。最近こそ、志願者の倍率は緩やかで、以前のような受験地獄とはいわれません。それでも、難関大学と言われるところは相変わらず狭き門のようです。しかし、ここで言われているのは、永遠の命を獲得することです。この世にあって、世に流されず、情欲に捕らわれず、イエス様の救いを全うするのは狭い門です。だから、互いに励まし合いつつ、命に至る狭い道を歩きぬこうではありませんか。(KE)

今日の通読箇所

箴言6章

マタイによる福音書3章

日々の営みが主の恵だと信じれば幸いです

1月26日

「さあ、われらは拝み、ひれ伏し、われらの造り主、主のみ前にひざまずこう。主はわれらの神であり、われらはその牧の民、そのみ手の羊である」。詩篇95:6-7

 今年もはやひと月が瞬く間に過ぎようとしています。この短い間にも、思いがけないことがあったことでしょう。日々の営みを顧みて、万事が主の恵であったと信じることができれば、どんなにか幸いだと思います。なぜ、どうしてか、わからない事に出会うとも、我らは主の民、牧の羊です。その事を告白する礼拝を御前に捧げましょう。(KE)

今日の通読箇所

箴言5章

マタイによる福音書2章

静まり、神を信じなければなりません

1月25日

「静まって、わたしこそ神であることを知れ。わたしはもろもろの国民のうちにあがめられ、全地にあがめられる」。詩篇46:10

 思いがけない突発的なことが起こると、私たちはうろたえ、走り回り、何とかしなければと焦ります。しかし、それでは事が解決しません。まず「静まって」と言われます。その事の背後に神様が居られることを信じなければなりません。穏やかに寄り頼んで待ち望むとき、全能の主は現れてくださいます。主はご自分の崇められることを願っておられます。(KE)

今日の通読箇所

箴言4章

マタイによる福音書1章

主の眼差しを感じる事ほど、安心はない

1月24日

「見よ、主の目は主を恐れる者の上にあり、そのいつくしみを望む者の上にある」。詩篇33:18

 神様を尊び、畏れ敬う人に主は目を向けてくださいます。主の眼差しを感じることができれば、これほど安心なことはありません。常に見張ってもらえるのです。そればかりか、主の目はご愛を望む者にも注がれます。主のご愛は不安や怒り、苛立ち、失望などを取り去り、のどかな春の日差しのように、心を温め、柔らかな羽毛に包まれます。(KE)

今日の通読箇所

箴言3章

ヨハネの黙示録 22章