10月1日
「ご自身の御子をさえ惜しまないで、わたしたちすべての者のために死に渡されたかたが、どうして、御子のみならず万物をも賜らないことがあろうか」。ローマ8:32
「天も我が物、地も我が物」と言われる神様を越える、大富豪はまずいないでしょう。まして尊い御子を罪人の身代りとして死なせるほどの愛に満ちた方です。あなたの求めるものをけちるような方ではありません。何か不足するものがありますか。だったら、遠慮なく、主に求めようではありませんか。(KE)
今日の通読箇所
10月1日
「ご自身の御子をさえ惜しまないで、わたしたちすべての者のために死に渡されたかたが、どうして、御子のみならず万物をも賜らないことがあろうか」。ローマ8:32
「天も我が物、地も我が物」と言われる神様を越える、大富豪はまずいないでしょう。まして尊い御子を罪人の身代りとして死なせるほどの愛に満ちた方です。あなたの求めるものをけちるような方ではありません。何か不足するものがありますか。だったら、遠慮なく、主に求めようではありませんか。(KE)
今日の通読箇所
9月30日
「神は、神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにして下さることを、わたしたちは知っている」。ローマ8:28
よみがえって共に居てくださる主は、私たちの内外、すべてを知っておられます。言葉にもできない心の思いを知って下さるばかりか、私たちの意思に添って、事が進むよう働いておられるのです。まるで芝居の黒子のごとく、あなたの人生ドラマを進めておられます。(KE)
今日の通読箇所
9月29日
「彼はこの神、すなわち、死人を生かし、無から有を呼び出される神を信じたのである。彼は望みえないのに、なおも望みつつ信じた」。ローマ4:17-18
信仰の父、アブラハムについて語られた一節。彼も妻も高齢者となり、子を持つ見込みは全くなかったのです。しかし、目に見える状態がどんなであろうと、神様の約束を決して疑わず、信じ続けた結果、息子イサクが与えられました。神様を信じるなら、最後までとことん信じ続けましょう。途中で投げ出さないで。(KE)
今日の通読箇所
9月28日
「たといそうでなくても、王よ、ご承知ください。わたしたちはあなたの神々に仕えず、あなたの立てた金の像を拝みません」。ダニエル3:18
ダニエルは異邦人の国に捕囚の身であったのですが、金の像を拝まなかったことで、捕らえられます。彼は真の神に命がけで信頼していたので、彼らの要求に従うことを拒みました。神様を信じるとは、自分の思いが遂げられることではなく、神を神として徹底して尊ぶことです。(KE)
今日の通読箇所
9月27日
「イエスは深くあわれみ、手を伸ばして彼にさわり、『そうしてあげよう、きよくなれ』と言われた」。マルコ1:41
重い皮膚病に罹った人がイエス様に、「みこころでしたら、きよめていただけるのですが」。と言いました。彼は癒されたいと切に願っていたでしょう。またイエス様には、その力があると信じていました。しかし癒すかどうかは、あなたがお決めになることですと謙ったのです。主は彼に、深い憐みをもって応えられました。(MK)
今日の通読箇所
9月26日
「イエスは彼に言われた、『もしできれば、と言うのか。信ずる者には、どんな事でもできる』」。マルコ9:23
悪霊に憑かれた息子を助けたいと、イエス様のもとにやって来た父親ですが、これまであらゆる手段をもっても解決できなかった問題を前に、消極的になっていました。ともすれば私達も、イエス様を数ある選択肢の一つにしてしまいやすいのではないでしょうか。信じて求めれば、最善をもって応えてくださる主に賭けていこうではありませんか。(MK)
今日の通読箇所
9月25日
「よく聞いておくがよい。だれでも幼な子のように神の国を受けいれる者でなければ、そこにはいることは決してできない」。マルコ10:15
子どもは自分の欲しい物のために、実に素直に行動しますが、成長に伴い自制心が働き、感情のままに表現することは次第に減っていきます。しかし、こと神の国に関しては、幼な子のように求めよと聖書は勧めます。神の国は、あってもなくても良いというような、ありふれたものではないからです。 (MK)
今日の通読箇所
9月24日
「イエスは彼らの信仰を見て、中風の者に、『子よ、あなたの罪はゆるされた』と言われた」。マルコ2:5
信仰は心の問題だと言われますが、主は心を見るばかりではなく、信仰に基づく行為をも見ておられます。四人の人が病の人を寝かせたまま屋根から主のもとへ連れてきました。主は必ず癒して下さると信じた結果です。信仰は単なる想像の産物ではなく、実態を伴うものです。信じた通りに従うことが勝利です。(KE)
今日の通読箇所
9月23日
「それであなたに言うが、この女は多く愛したから、その多くの罪はゆるされているのである。少しだけゆるされた者は、少しだけしか愛さない」。ルカ7:47
自らの罪深さを自覚する女の人は、持てる限りの力を尽くして主に報いました。しかし、人は自分の罪を軽く見ようとしがちです。それゆえ、主の愛の深さを知りえません。自分がいかに自己中で、神様をないがしろにしているかをより深く知れば知るほど、主の十字架の愛をさらに深く悟ることができます。(KE)
今日の通読箇所
9月23日
「さてヨシュアは年が進んで老いたが、主は彼に言われた、「あなたは年が進んで老いたが、取るべき地は、なお多く残っている」。ヨシュア13:1
歳を重ねるにつれて、気持ちも萎えて、周囲に対する関心も消えてしまいますが、神様はそれを喜ばれません。たとえ以前のようにはいかなくても、見えるところにとどまらず、主が求められる所に、持てる力を尽くして、主の期待に応えていきましょう。(KE)
今日の通読箇所