キリストを信じる事は人の業でないのです

5月1日

「聖霊によらなければ、だれも『イエスは主である』と言うことができない」。Ⅰコリント12:3

 よみがえったイエス様に会った弟子達はみな、目の前の現実を信じることができませんでした。人間としてのイエス様をどれだけ慕い、尊敬していたとしても、神の独り子なるキリストを信じることは、人の力によって成せる業ではないからです。今日も聖霊は私達の内に働き、この世界を治めておられる真の王に目を向けるよう、導いておられます。(MK)

今日の通読箇所

イザヤ書49章

使徒行伝8章

それでも主はあなたを見捨てず守られます

4月30日

「わたしは主である。わたしのほかに神はない、ひとりもない。あなたがわたしを知らなくても、わたしはあなたを強くする」。イザヤ45:5

 人は弱い者で、相手の態度によって思いが変わります。しかし、神様はそうではありません。人は神に造られた者でありながら、造物主を忘れ、軽くあしらい、無視する。それでも主はあなたを見捨てず、陽を照らし、雨を降らせて、食べるもの、着るものを与え、命を守られます。今一度、主の大いなるご愛と恵みに感謝しましょう。(KE)

今日の通読箇所

イザヤ書48章

使徒行伝7章

神様を確信をもって語ることができます

4月29日

「主は言われる、『あなたがたはわが証人、わたしが選んだわがしもべである。それゆえ、あなたがたは知って、わたしを信じ、わたしが主であることを悟ることができる』」。イザヤ43:10ab

 「百聞は一見に如かず」と言います。神様を知るにも、知識としてではなく、自らが体験したとき、確信をもって語ることができます。神様のことを実体験し、証言できる者として、あなたを選んだと言われます。だから、波乱万丈の人生を通して、主に出会う事を願っておられるのです。(KE)

今日の通読箇所

イザヤ書47章

使徒行伝6章

神のみ心に適う道を開いて下さったのです

4月28日

「わたしの支持するわがしもべ、わたしの喜ぶわが選び人を見よ。わたしはわが霊を彼に与えた。彼はもろもろの国びとに道をしめす」。イザヤ42:1

 イエス様は神の御子、神なる方ですが、神様のしもべとなり、人の世に遣わされました。私たちの代りに神の裁きを受け、死の闇からよみがえって、神のみ心に適う道を開いてくださったのです。主は道です。この方によらなければ永遠の命を得ることができません。日々、主のみ心を信じつつ、命の道を歩んでください。(KE)

今日の通読箇所

イザヤ書46章

使徒行伝5章

よみがえられた主は、「あなたの神」です

4月27日

「あなたの神、主なるわたしはあなたの右の手をとってあなたに言う、『恐れてはならない、わたしはあなたを助ける』」。イザヤ41:13

 よみがえられた主は、「あなたの神」です。しかも、「助ける」との約束です。であれば、何を躊躇することがあるでしょうか。今、あなたが抱えている悩み、不安、恐れなど、どんなことでも打ち明け、助けを求めようではありませんか。誰のものでもない、「あなたの神」なのですから。今日も主の助けを信じて、前に進みましょう。(KE)

今日の通読箇所

イザヤ書45章

使徒行伝4章

善い事と思っても、私達は長続きしません

4月26日

「上から力を授けられるまでは、あなたがたは都にとどまっていなさい」。ルカ24:49

復活の主にお会いした弟子達は、非常な喜びに満たされました。ユダヤ人を恐れて隠れ潜んでいた彼らが、どこよりも人が集まる神殿に日参するようにもなりました。しかしイエス様は彼らに、聖霊を受けるまでは宣教に出ないようお命じになります。どんなに善い事のためと思っても、私達の感情の高ぶりは一時的で、長続きしません。しかし聖霊の力を受ける時、あらゆる困難の中にも立ち向かって行くことの出来る力が与えられます。(MK)

今日の通読箇所

イザヤ書44章

使徒行伝3章

主との交わりに心が熱なった事を覚えます

4月25日

「彼らは互に言った、『道々お話しになったとき、また聖書を説き明してくださったとき、お互の心が内に燃えたではないか』」。ルカ24:32

 イエス様の死に絶望してエマオへ行く途中の二人の弟子は、よみがえった主に出会いますが、目の前の人物が主であることに気付きません。彼らは事態が好転していることを知らないのに、主との交わりの中に心が熱く燃えたことを自覚します。イエス様の言葉は事の如何に関わらず、私達の心を内側から燃やし、信仰に満たす力があります。(MK)

今日の通読箇所

イザヤ書43章

使徒行伝2章

引き受ける事が十字架を負うという事です

4月24日

「だれでもわたしについてきたいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい。マタイ16:24

 『十字架』とは、過去の失敗からくる自責の念のことではありません。何故ならそれは既に、イエス様によって解決されているからです。日常生活の一つひとつを、神様から与えられた使命と信じ引き受けることが、十字架を負うということです。イエス様は自らの十字架に、「立て、さあ行こう。」と向かわれました。この歩みに倣いたいものです。(MK)

今日の通読箇所

イザヤ書42章

使徒行伝1章

私たちが聞くべきものは、神の命令です

4月23日

「イエスはまた彼らに言われた、『安かれ、父がわたしをおつかわしになったように、わたしもまたあなたがたをつかわす』」。ヨハネ20:21

 主を信じる者たちは、天国住民とされました。もはやこの世は異教・異国の地です。今なおこの世にあるのは、神の国の王であるイエス様から派遣された者としてです。だから、この世の習慣や仕来りなどには縛られません。私たちが聞くべきものは、神の国の王の命令です。今日も神の民として、家庭に学校に職場へと派遣されて行くのです。(KE) 

今日の通読箇所

イザヤ書41章

ヨハネによる福音書21章

この方によれば何も恐れる事もありません

4月22日

「イエスは女に言われた、『女よ、なぜ泣いているのか。だれを捜しているのか』」。ヨハネ20:15a

 甦りの日の朝、マリヤは空になった墓で泣いていました。そこへ主が現れ、声をかけられたのです。闇の力の象徴である墓を打ち砕いて勝利して下さった主。この方によるなら、もはや何ものも悲しむことも恐れることもありません。あなたのすぐそばにおられる主を信じてください。今日も主は言われます。「なぜ泣いているのか」と。(KE)

今日の通読箇所

イザヤ書40章

ヨハネによる福音書20章