9月25日
「主の目は義人たちに注がれ、主の耳は彼らの祈にかたむく。しかし主の御顔は、悪を行う者に対して向かう」。第一ペテロ3:12
「義人」とはイエス様の命によって罪なき者とされた者たちです。これは救われた者の最大の恵みです。神様が常に見守り、祈りを聞いてくださるのですから。一方、神様を軽んじ、己を神とする者に対して厳しく裁かれます。今日も十字架の主を見上げつつ、義とされた恵みを感謝して過ごしましょう。(KE)
今日の通読箇所
9月25日
「主の目は義人たちに注がれ、主の耳は彼らの祈にかたむく。しかし主の御顔は、悪を行う者に対して向かう」。第一ペテロ3:12
「義人」とはイエス様の命によって罪なき者とされた者たちです。これは救われた者の最大の恵みです。神様が常に見守り、祈りを聞いてくださるのですから。一方、神様を軽んじ、己を神とする者に対して厳しく裁かれます。今日も十字架の主を見上げつつ、義とされた恵みを感謝して過ごしましょう。(KE)
今日の通読箇所
9月24日
「彼らが死人の中からよみがえるときには、めとったり、とついだりすることはない。彼らは天にいる御使のようなものである」。マルコ12:25
死後の世界、永遠の御国の望みについて語った主の言葉です。この世の使命が終わると、人の肉体は朽ちてなくなりますが、魂は御国に帰ります。そこでは、肉体に代わり、霊の体が与えられ、神様に仕える御使いのようになると、主は語っています。(KE)
今日の通読箇所
9月23日
「あなたがたの間でかしらになりたいと思う者は、すべての人の僕とならねばならない」。マルコ10:44
古くから、人の世にあって立身出世した者が賞賛されたものです。イエス様の弟子たちも例外ではありません。それに対して、イエス様はしもべとなることを勧めました。それはご自分こそ、人の世に降って来られた目的がすべての人の身代りとなり、十字架に命を断たれるためです。まさに完全なしもべとなられたのです。(KE)
今日の通読箇所
9月22日
「しかし、イエスはすぐ彼らに声をかけ、『しっかりするのだ。わたしである。恐れることはない』と言われた」。マルコ6:50b
ガリラヤ湖を渡っているとき、逆風に会い、舟が進まず、弟子たちは難儀していました。夜明けごろ、イエス様は水の上を歩いて彼らに近づいて助けてくださいました。あなたがどんな嵐の中にいようと、主はすぐそばに居られます。主は恐れを取り去り、不安を鎮めて、内なる人を強くしてくださいます。(KE)
今日の通読箇所
9月21日
「あなたがたはキリストのからだであり、ひとりびとりはその肢体である」。第一コリント12:27
私たちは、かつてはキリストに縁がなかった者ですが、イエス様の死によって罪を赦され、ぶどうの木である主に接ぎ木されました。今や体なるキリストと一体です。キリストに連なる私たちはそれぞれ役割があります。丁度、身体に手足、頭、目や口などのように。だから、お互い比べあっても意味がありません。自分の分をしっかり果たせば、それで十分です。(KE)
今日の通読箇所
9月20日
「すなわち、わたしたちのうち、だれひとり自分のために生きる者はなく、だれひとり自分のために死ぬ者はない」。ローマ14:7
イエス様に救われた者とは、自分の夢を実現し、願いを成就することではありません。そのような自分を捨てて、主のものとなることです。あなたが持っているものはすべて、命すら自分のものではなく、主のものです。日々行うあなたのわざは、すべて主のためです。今、自分がしていることは、誰のためでもない、「主のためです」と、信じてください。(KE)
今日の通読箇所
9月19日
「しかし善を行って苦しみを受け、しかもそれを耐え忍んでいるとすれば、これこそ神によみせられることである」。第一ペテロ2:20b
悪を行って罰せられるのは、自業自得、当然の結果です。一方、善を行って不当な扱いを受けるのは納得できません。自らの正しさをはっきりさせたくなります。しかし、そのような時こそ、神様に目を向けるようにと勧めています。なぜなら、神様こそ義なる審判者、信賞必罰、報われる方です。(KE)
今日の通読箇所
9月18日
「きょう、み声を聞いたなら、神にそむいた時のように、あなたがたの心を、かたくなにしてはいけない」。ヘブル3:15
「かたくな」、「頑固」というものは、まことに厄介です。わかっていながら、自分ではどうにもならないものです。そのようなとき、あなたはどうしますか。残念ながら、自分の力では心を砕くことが出来ません。それが出来るのは神様の力を発動していただくことです。十字架を仰いで、心を低くするとき、主の力が注がれます。主にあって、勝利してください。(KE)
今日の通読箇所
9月17日
「人をさばくな。そうすれば、自分もさばかれることがないであろう」。ルカ6:37
私たちはいともたやすく人を批判します。広い意味で「さばく」のです。しかし、気をつけておかなければならないのは、あなたが人を裁くとき、神様はそれを聞いておられます。あなたがさばくその人をも、神様は愛してやまないからです。神様はあなたが裁くそのさばきによって報われます。ご用心あれ。(KE)
今日の通読箇所
9月16日
「イエスは答えて言われた、『人はパンだけで生きるものではない』と書いてある」。ルカ4:4
イエス様が公の生涯に踏み出した最初に、荒野へ導かれ、サタンの誘惑に会われました。その時、サタンに答えた言葉です。人は何によって生きるか。いのちとは何であるか、見事な答えです。肉体の命ははかなく消え去るものです。しかし、神様からいただく霊の命は消え去るものではありません。今日も、主の霊に生きる一日を送ってください。(KE)
今日の通読箇所