3月2日
「牛はその飼主を知り、ろばはその主人のまぐさおけを知る。しかしイスラエルは知らず、わが民は悟らない」。イザヤ1:3
イスラエル民族はアブラハムによって始まった神様の民です。どれほど多くの恵みを主からいただいたことか、言い尽くすことができません。しかしイスラエルは神様を忘れ、他の神々を慕ったのです。まさしく忘恩無礼な輩というほかありません。それはまた私たちのことです。主の十字架の死をもって贖われながら、主を忘れている。今一度、悔い改めて主に帰りましょう。(KE)
3月2日
「牛はその飼主を知り、ろばはその主人のまぐさおけを知る。しかしイスラエルは知らず、わが民は悟らない」。イザヤ1:3
イスラエル民族はアブラハムによって始まった神様の民です。どれほど多くの恵みを主からいただいたことか、言い尽くすことができません。しかしイスラエルは神様を忘れ、他の神々を慕ったのです。まさしく忘恩無礼な輩というほかありません。それはまた私たちのことです。主の十字架の死をもって贖われながら、主を忘れている。今一度、悔い改めて主に帰りましょう。(KE)
3月1日
「岩の裂け目、がけの隠れ場におるわがはとよ、あなたの顔を見せなさい。あなたの声を聞かせなさい。あなたの声は愛らしく、あなたの顔は美しい」。雅歌2:14
これは神様から私たちに向けられた恋歌です。ひとり子すら惜しまないほどに愛して下さる神様のご愛にどれほど応答しているでしょうか。神様の顔を避けて、隠れ潜むあなたに主は呼びかけておられるのです。主の声に応えて、私達も主を心から力いっぱい愛する者となろうではありませんか。(KE)
2月28日
「あなたがたは立ち返って、落ち着いているならば救われ、穏やかにして信頼しているならば力を得る」。イザヤ30:15
人は予期しない事態や思いがけない出来事に遭遇する時、うろたえます。右往左往して、なんとか事態を乗り切ろうと焦るのです。しかし、神様はそうであってはならないと言われます。まず、「立ち返る」こと。万物の創造者、神様が居ますことと、自分が非力な造られた者に過ぎないことを認めるのです。そうする時、神様を中心に据えた心の秩序が整います。その結果、神様の不思議な力を体験することができます。(KE)
「罪びとで百度悪をなして、なお長生きするものがあるけれども、神をかしこみ、み前に恐れをいだく者には幸福があることを、わたしは知っている」。伝道8:12
長生きすることが幸せだと思い、どんな手段を使ってでも長生きを願う人がいます。しかし、長寿は幸福とはなりません。たとい短命であっても、幸福だったと満足できる人生ほど幸せはありません。幸せを感じさせるものは神様によってあたえられるものです。(KE)
2月26日
「主よ、朝ごとにあなたはわたしの声を聞かれます」。詩篇5:3
人は話を繰り返されるとうんざりします。“またその話か”と言われそうですが、主はわたしたちの祈りを忍耐強く聞いてくださいます。何遍同じことを祈ろうとも主はけっして拒むことなく、新鮮な思いを持って聞いてくださるのです。「朝ごとに」とはそのようなことです。ですから、気がかりなことがあるならば、何度でも祈り、心に安心が得られるまで繰り返し祈りましょう。主は聞いてくださいます。(KE)
2月25日
「あなたの若い日に、あなたの造り主を覚えよ」。伝道12:1
人は自分の力で生まれてきたのではありません。神様によって造られた者です。ただ造っただけで、後は勝手にせよというのではもちろんありません。造った方は、最後まで面倒を見てくださいます。今日も「生きよ」と、あなたに健康を与え、住まいを備え、雨を降らせ、陽を照らして、日々の糧を満たしておられます。これからの行く末も神様は備えています。浅はかな知恵で事を図らず、神様の創造の御業に自らをゆだねようではありませんか。(KE)
2月23日
「愚かな者をうすに入れ、きねをもって、麦と共にこれをついても、その愚かさは去ることがない」。箴言27:22
聖書にもこんな愉快な言葉があります。「愚かな者」とは神様を認めようとしない人のことです。どんなことをしても、愚かな者の心を変えることが出来ません。それほど人は頑固です。イエス様を売ったユダはまさに愚かな者でした。彼ははっきりあなたが私を裏切ると言われながら、平気で悪行をやり遂げます。まことに救いがたい愚か者と言えます。(KE)
2月22日
「しかしイスラエルのさんびの上に座しておられるあなたは聖なるおかたです」。詩篇22:3
信仰生活にあって、祈りや聖書を読むことは不可欠なことですが、さらにもう一つ大切なのは主を賛美する、歌うことです。私達は事あるたびに賛美します。クリスチャンは人が死んだ葬儀でも歌っていると驚かれたことがあります。賛美することによって、心に主の霊が注がれ、力に満たされ、悲しみも、恐れも、不安も取り除かれて、喜びに満たされるからです。あなたも賛美してください。(KE)
2月21日
「わが岩、わがあがないぬしなる主よ、どうか、わたしの口の言葉と、心の思いがあなたの前に喜ばれますように」。詩篇19:14
今日、あなたは誰に喜ばれようとしていますか。この詩篇の記者ダビデは神様に喜ばれることを願いました。私達が人に喜ばれようとするとき、自分を偽り、相手の気に入るような言動に終始するでしょう。その結果、自分の中にどす黒い感情が溜まってきます。一方、神様に喜ばれる歩みをするとき、心は澄み、曇りのないものとなります。(KE)
2月20日
「神よ、わたしをお守りください。わたしはあなたに寄り頼みます」。詩篇16:1
これはダビデ王が詠った詩の一節です。彼は無名の羊飼いでした。神様の選びによってイスラエル王国の王となりました。自信のない彼が頼りとしたのは神様だけで、自分の能力や、支えてくれる仲間たちでもなかった。彼は神様だけに信頼し、その顧みを願ったのです。今日もあなたが人を頼まず主に信頼するなら、大いなる祝福を得ることが出来ます。(KE)