6月17日
「万物の終りが近づいている。だから、心を確かにし、身を慎んで、努めて祈りなさい」。第一ペテロ4:7
今の世界を見ると、まさに終末の時が迫っていることをひしひしと感じます。だからと言って、慌てて何かをすることもありません。ただ備えるべきことは、「心を確かに」することです。救い主・イエスキリストを信じ、神様を信頼する心をしっかりと持つことです。そのために必要なことは祈る以外にありません。事ごとに祈りつつ、しっかり主につながる一日を送りましょう。(KE)
今日の通読箇所
6月17日
「万物の終りが近づいている。だから、心を確かにし、身を慎んで、努めて祈りなさい」。第一ペテロ4:7
今の世界を見ると、まさに終末の時が迫っていることをひしひしと感じます。だからと言って、慌てて何かをすることもありません。ただ備えるべきことは、「心を確かに」することです。救い主・イエスキリストを信じ、神様を信頼する心をしっかりと持つことです。そのために必要なことは祈る以外にありません。事ごとに祈りつつ、しっかり主につながる一日を送りましょう。(KE)
今日の通読箇所
6月16日
「今生れたばかりの乳飲み子のように、混じりけのない霊の乳を慕い求めなさい。それによっておい育ち、救に入るようになるためである」。第一ペテロ2:2
生まれたばかりの乳飲子は、絶え間なく乳を飲みます。しかも、不純物の無い新鮮なものです。それによって成長します。私たちの魂(心)を成長させるものは、神様の与えてくださるみ言葉です。難しい解釈を加えず、素直で単純に信じる時、それが命となり、心を育んでくれます。(KE)
今日の通読箇所
6月15日
「むしろ、あなたがたは『主のみこころであれば、わたしは生きながらえもし、あの事この事もしよう』と言うべきである」。ヤコブ4:15
「一寸先は闇」と世間でも言われますが、確かに今日のことも勿論ですが、明日のことなど、誰にもわかりません。自分の人生であり、生きるのは自分でありながら、何ひとつ自分で思うようにはなりません。だからこそ、人は謙虚になるべきです。今日一日、目の前の一歩を大切に、感謝と喜びをもって歩みましょう。(KE)
今日の通読箇所
6月14日
「主はきて立ち、前のように、『サムエルよ、サムエルよ』と呼ばれたので、サムエルは言った、『しもべは聞きます。お話しください』」。サムエル上3:10
初めて神様の呼びかけを聞いた幼子サムエルは、それが主からのものであることに気付きません。師であるエリに促されて冒頭の応答をしたところ、神様は彼に語り始められました。私達が神様の前に聴く姿勢を整える時、そこが主との語らいの場になります。(MK)
今日の通読箇所
6月13日
「だから、わたしたちは、あわれみを受け、また、恵みにあずかって時機を得た助けを受けるために、はばかることなく恵みの御座に近づこうではないか」。ヘブル4:16
天地万物をお造りになった全能者は、最も大切な御子を私達に与えてくださいました。しかしそれを理由に、力ずくで従わせようとするのではなく、むしろ私達を御側に引き寄せようとなさいます。神様が願われるのは、私達を支配することではなく、私達と交わりを持つことだからです。(MK)
今日の通読箇所
6月12日
「まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと恵みが、私を追って来るでしょう。 私は、いつまでも、主の家に住まいましょう」。詩篇23:6(新改訳2017)
恵みが私を追ってくるとは、何とも詩的です。私達が逃げようとしても振り切る事が出来ないほどに、神様の愛が深いということでしょう。また、不幸と思えるような出来事であったとしても、やがては全てが恵みで包まれるほどに、主のいつくしみの業は万全なのでしょう。(MK)
今日の通読箇所
6月11日
「あなたがたは、古き人をその行いと一緒に脱ぎ捨て、造り主のかたちに従って新しくされ、真の知識に至る新しき人を着たのである」。コロサイ3:9-10
主の十字架の死は私たちの罪に汚れた衣を脱ぎ捨てた証です。また甦った主は御霊となって私たちの内に住んでおられます。何と驚くべきことでしょうか。今一度、自らの内なるものを探って、主の住まいにふさわしく、新しい人としての歩みを始めましょう。(KE)
今日の通読箇所
6月10日
「イエスは答えて言われた、『よくよくあなたに言っておく。だれでも新しく生れなければ、神の国を見ることはできない』」。ヨハネ3:3
人は失敗したり、事が上手く行かないとき、「生まれ変わって」と決断しますが、上手く行きません。しかし、主はご自身の生き様を通して、生まれ変わる道を開かれたのです。私たちも主に倣って、共に十字架に死に、墓に葬られ、そこから甦った主を私たちの内に宿すとき、新しく生まれ変わることができます。今日も主と共に死に、蘇った主と共に生きようではありませんか。(KE)
今日の通読箇所
6月9日
「何事も党派心や虚栄からするのでなく、へりくだった心をもって互に人を自分よりすぐれた者としなさい」。ピリピ2:3
人のすることには、何事も動機があります。自分の名誉や損得利害、仲間内での賞賛など自分が認められ、上に立つことを誇りとします。しかし、それである限り、ただ肉の欲を満足させるだけです。イエス様は神の子の身分を捨て、被造物の人となり、父なる神様に従順に従いぬいてくださいました。この主の生き様に自分を重ねようではありませんか。(KE)
今日の通読箇所
6月8日
「わたしは命じる、御霊によって歩きなさい。そうすれば、決して肉の欲を満たすことはない」。ガラテヤ5:16
「歩く」とは日常生活のことです。朝、目覚めて、夜、就寝するまで、常に選択と決断が求められます。日常化して、無意識のうちに事を決めていることが多くありますが、それ以外に決断しなければならないことがあります。何を基準に選ぶのか、それによって生き様が変わります。御霊の導きに従うなら、神様の祝福が伴うでしょう。(KE)
今日の通読箇所