それは主の愛による忍耐です

1月30日
「もしおそければ待っておれ。それは必ず臨む。滞りはしない」。ハバクク2:3b

預言者ハバククは、神様は悪しき者を裁かれると言われるが、その約束は実行されないと不満を述べます。しかし、神様は約束を無効にしたのではなく、定められた時の満ちるのを待っておられるのです。それは主の愛による忍耐です。見えるところは神様の義は失われ、暴虐が満ちています。いつまで神様は放置しておられるのだと思いますが、主は一人も滅びることがないようにと長く忍耐しておられます。(KE)

他人の信仰に頼っても役に立ちません

1月29日
「イエスはその女に言われた、『娘よ、あなたの信仰があなたを救ったのです。安心して行きなさい。すっかりなおって、達者でいなさい』」。マルコ5:34

長年病に苦しんできた女の人、万策尽きて失望していました。そのとき、彼女の町にイエス様が来られました。この方なら癒していただけると強く信じてイエス様の衣に触りました。その瞬間、病がすっかり癒されたのです。主は誰でもない「あなたの信仰」が救ったと言われます。大切なのはあなたが信じること、他人の信仰に頼っても役に立ちません。あなたの信じた通りに主は答えられます。(KE)

主が導かれるとの確信を持つことが大切です

1月28日
「ラバンとべトエルは答えて言った、『この事は主から出たことですから、わたしどもはあなたによしあしを言うことができません』」。創世記
24:50

アブラハムの子、イサクが結婚相手を親族のうちに探すとき、アブラハムのしもべは神様に導かれて、偶然にも、アブラハムの遠縁のリベカという娘に出会います。早速、彼女の家族に会い、これまでの事情を話して、結婚の申し出をします。その時の返事がこの言葉です。神様の導きを信じる時、つべこべ言うことはありません。そのためにはしっかり祈って、主が導かれるとの確信を持つことが大切です。どんなことも、神様の手に握られ、導かれているのですから。(KE)

あなたのゆえに救われる機会が備えられているのです

1月27日
「すなわちロトの住んでいた町々を滅ぼされた時、神はアブラハムを覚えて、その滅びの中からロトを救い出された」。創世記19:29

神様はソドムとゴモラの町を悪に満ちていたため焼き尽くされました。ソドムの町にはアブラハムの甥、ロトの家族が住んでいました。彼らはその町の悪に染まりつつも、神様を恐れていました。しかし、本来ならば、他の住民と同様に火によって焼き尽くされるべき者であったのですが、ただアブラハムの身内であることによって滅びを免れたのです。なんと憐れみ深いことでしょう。あなたの家族・親族もあなたのゆえに救われる機会が備えられているのです。あなたを通してイエス様の救いがおよぶため。(KE)

わたしを見ておられる神、との意味です

1月26日
「そこでハガルは自分に語られた主の名を呼んで、『あなたはエル・ロイです』と言った」。創世記16:13a

神様はアブラハムを多くの民の基とすると約束されたのです。しかし、彼には子がなく、高齢になって子を得る見込みもなく失望しているとき、妻のサライは自分のしもべハガルによって子を得るようにと勧めます。その結果、ハガルは身ごもりましたが、サライとの関係が悪化して飛び出し、荒野で死を覚悟しました。そのとき、神様はハガルに現れ、生まれてくる子を祝福すると約束しました。絶望の中で神様に出会い、救われます。「エル・ロイ」とは、わたしを見ておられる神、との意味です。今日も神様はあなたを見ておられます。(KE)

自分を信じてどんなに多くのものを失っていることでしょう

1月25日
「愚かな人の道は、自分の目に正しく見える、しかし知恵ある者は勧めをいれる」。箴言12:15

人は生来頑固なもので、他人からの忠告を素直に受け入れる人は多くはありません。それは自分の考えは間違いなく、正しいと信じているからです。その結果、どんなに多くのものを失っていることでしょう。そうならないためには常々心がけて謙遜でありたいものです。忠告や助言を受ける時、ひとまずその言葉を受けて、心のうちに置いて、その後、よくよく吟味して自分のものとする。そうすれば、知恵や知識は豊かに蓄えられていきます。初めから相手の言葉を拒むほど失うものも多くなります。(KE)

試練はあなたにとってなくてはならない貴重なときです

1月24日
「神のみこころに添うた悲しみは、悔いのない救を得させる悔改めに導き、この世の悲しみは死をきたらせる」。第二コリント7:10

神様は私達を苦しめ悲しませて喜ばれるかたではありません。それどころか、私達を喜ばせ、楽しませ、神様を喜ぶ者にしたいのです。しかし、現実には悲しみもあり、苦しい事もあり、つらいこともあります。確かに試練を避けていきたいと願いますが、決してそれはマイナスではなく、あなたにとってなくてはならない貴重なときです。何よりも試練を与えたもう神様の御思いは限りない大きな愛に根差したものだからです。試練のときこそ、主の愛に思いを向けてください。(KE)

神様に祈り、救いをいただくのは今のときです

1月23日
「神はこう言われる、『わたしは、恵みの時にあなたの願いを聞きいれ、救の日にあなたを助けた』。見よ、今は恵みの時、見よ、今は救の日である」。第二コリント6:2

わたしたちは時の流れのなかで生きています。しかし過ぎ去ったときは二度と戻りません。また未来はあるのかないのか、まだ不明です。私達は今を生きる以外にありません。神様に祈り、救いをいただくのは今のときです。過去が良かった、あるいは先に望みがあると思うのは愚かです。今、今日こそ、祈りが聞かれ、救いが与えられているのです。感謝しようではありませんか。(KE)

神様のなさることを人は知り尽くすことは出来ないのです

1月22日
「時に主はアブラムに言われた、『あなたは国を出て、親族に別れ、父の家を離れ、わたしが示す地に行きなさい』」。創世記12:1

神様はご自分の何たるかを証しする神の民としてイスラエル民族を造られました。なぜアブラム(のちにアブラハムとなる)をその始まりとして選ばれたのか、理由は分かりません。神様のなさることを人は知り尽くすことは出来ないのです。そればかりか、「国」、「親族」、「父の家」を全て捨てて、神様のものとなりきることが求められたのです。地縁血縁など、この世の力を捨てなければ神様だけにと、ならないからです。(KE)

根底にはたぎるような熱烈な愛があふれています

1月21日
「だから、神はそのあわれもうと思う者をあわれみ、かたくなにしようと思う者を、かたくなになさるのである」。ローマ9:18

神様はお父さんではありますが、私達の言いなりになるようなやわな方ではありません。時に厳しく、頑なです。ですから、試練・患難と言われる事態を起こされます。しかし、どんなに厳しいとしても、その根底にはたぎるような熱烈な愛があふれています。だから、どのような取り扱いを受けようとも、父なる神様のご愛を疑わないで、試練の中であろうと素直に従おうではありませんか。(KE)