心に主が指さされることがあるなら速やかに悔い改めましょう

6月30日
「イエスを裏切ったユダが答えて言った、『先生、まさか、わたしではないでしょう』。イエスは言われた、『いや、あなただ』」。マタイ26:25

最後の晩餐の席での出来事です。イエス様はこの後十字架に命を絶たれることになります。この重大なとき、自分を裏切る者がいると言われ、弟子たちは誰のことだろうと疑心暗鬼に陥ります。そのとき、ユダ本人に極めて明確に「あなただ」と指摘しますが、当人はなんの痛痒も感じません。まことに不幸です。今日、あなたの心に主が指さされることがあるなら、速やかに悔い改めて、主との関係をしっかり整えましょう。(KE)

今日の通読箇所

出エジプト7章

へブル人への手紙 2章

神様が与えてくださる道は「命の道」です

6月29日
「あなたはこの民に言いなさい、『主はこう仰せられる、見よ、わたしは命の道と死の道とをあなたがたの前に置く』」。エレミヤ21:8

人生は選択と決断の連続です。その際、何を基準に判断すべきでしょうか。人の心には様々な思いがあって、なかなかこれだと決断できずに、結局成り行き任せに終わります。神様が与えてくださる道は勿論「命の道」です。それは貧相で、魅力もない、避けたいものでしょう。しかし、神様の導きを信じて踏み出す時、その道を命のあふれる道としてくださいます。(KE)

今日の通読箇所

出エジプト6章

へブル人への手紙 1章

私たちは創造者ではなく、ただ生かされてるだけです

6月28日
「なにゆえにわたしは胎内を出てきて、悩みと悲しみに会い、恥を受けて一生を過ごすのか」。エレミヤ20:18

自分の出生を呪うなど、不幸の極みではないでしょうか。また、自分の人生の意味を問うことも何の役にもたちません。なぜなら、私たちは創造者ではないからです。私たちはただ生かされて生きるだけであって、それが何のためであるか、役立つのか、立たないのか、そのすべてを知っておられるのはただ神様だけです。無駄な詮索はやめて、主がなさることだと信じて、召される時まで耐え忍ぼうではありませんか。(KE)

今日の通読箇所

出エジプト5章

ピレモンへの手紙

神様の言葉を日々の生活の中に取り込むことにほかなりません

6月27日
「わたしはみ言葉を与えられて、それを食べました。み言葉は、わたしに喜びとなり、心の楽しみとなりました」。エレミヤ15:16ab

「み言葉」は神様の言葉、すなわち聖書の言葉です。私たちは生きるために、随分多くのものを常に食べ続けています。食べたものが体の中に入り、咀嚼分解され、身体各部の活力になるからです。同様に、神様の言葉も、飾って眺めるのではなく、かみ砕いて自分の日々の生活の中に取り込むことにほかなりません。しかも切れ目なく、食べ続ける時、それは楽しみとなり、喜びでもあります。(KE)

今日の通読箇所

出エジプト4章

テトスへの手紙 3章

聖霊がいなければ神様のことを信じることは出来ません

6月26日
「これは知恵と悟りの霊、深慮と才能の霊、主を知る知識と主を恐れる霊である」。イザヤ11:2b

イエス様が洗礼を受けた時、水から上がるとすぐ聖霊が下ったと言われます。その霊は、ペンテコステ以来、主を信じる私たちにも与えられているのです。この聖霊がいなければ、神様のことや御子イエス様のことも深く知ること、また信じることが出来ません。この御霊は今も私たちに働きかけて神様の御心を悟らせてくださいます。あなたが神様を、またイエス様を信じることが出来るのは、ただ御霊の力によるものです。感謝!!!(KE)

今日の通読箇所

出エジプト3章

テトスへの手紙 2章

そもそも人を頼ることが間違いです

6月25日
「あなたがたは鼻から息の出入りする人に、たよることをやめよ。このような者はなんの価値があろうか」。イザヤ2:22

何か尋常ならぬことが起ると、助けてくれるものはないかとうろたえます。病気の時は医者に、法律的な問題には弁護士を、経済的なことでは銀行などへ駆け込みます。確かに、それによってある程度は解決するでしょうが、それだけで事は終わりません。悩みの根本問題が残ります。時に期待外れに終わると、相手を非難し、無能呼ばわりしますが、そもそも頼ることが間違いです。信頼に足る方は神様だけです。(KE)

今日の通読箇所

出エジプト2章

テトスへの手紙 1章

そのような厳しい方でありながら、愛を与えてくださるのです

6月24日
「神はモーセに言われた、『わたしは自分のあわれもうとする者をあわれみ、いつくしもうとする者を、いつくしむ』」。ローマ9:15

神様は愛に満ちた優しい方だとの印象を抱きますが、だからと言って、軽んずることは出来ません。何といっても、神様は生殺与奪の権限を持ちたもう全能者です。一分一厘もルーズな所のない方。ご自分の御心のままに事を進めることが出来ます。そのような厳しい方でありながら、愛を与えてくださるのです。主の慈しみと恵みが何と尊いことでしょう。(KE)

今日の通読箇所

出エジプト1章

Ⅱテテモテ 4章

事の帰するところはここ以外にありません

6月23日
「しかし主を待ち望む者は新たなる力を得、わしのように翼をはって、のぼることができる」。イザヤ40:31a

「主を待ち望む」と、何度も言われることですが、考えるとやはり事の帰するところはここ以外にありません。万物は神様の御手に握られているわけですから。神様が力を与えてくださらなければ、私たちは何一つ良きことが出来ないのです。今日も、神様が与えてくださる力、知恵、知識等々、を期待して、求めつつ進もうではありませんか。(KE)

今日の通読箇所

創世記50章

Ⅱテテモテ 3章

主に信頼する心を整えることが良い結果につながります

6月22日
「主なる神、イスラエルの聖者はこう言われた、『あなたがたは立ち返って、落ち着いているならば救われ、穏やかにして信頼しているならば力を得る』。しかし、あなたがたはこの事を好まなかった」。イザヤ30:15

人は思いがけない事態に遭遇すると、慌てふためきます。そのため、正しい必要な判断が出来なくて、事態をさらに悪化させる悪循環に陥ります。そうならないために、まず神様を見上げて、主に信頼する心を整えることが良い結果につながります。急いては事を仕損ずると言われるところです。(KE)

今日の通読箇所

創世記49章

Ⅱテテモテ 2章

神様の目線でみるとき、貫かれている道筋が明らかです

6月21日
「『基が取りこわされるなら、正しい者は何をなし得ようか』と」。詩篇11:3

何事を成すにも、正しい基準がなければ、事の良しあしを判断できません。無秩序に見えるこの世も、神様の目線(み言葉)でみるとき、首尾一貫、貫かれている道筋が明らかです。それがなければ、この世は混沌(カオス)の極みです。どんなに理不尽に見えようとも、義なる基がある限り、決して失望することはありません。(KE)

今日の通読箇所

創世記48章

Ⅱテテモテ 1章