12月11日
「あなたは、自分は富んでいる、豊かになった、なんの不自由もないと言っているが、実は、あなた自身がみじめな者、あわれむべき者、貧しい者、目の見えない者、裸な者であることに気がついていない。」黙示3:17
人は自分がどんな者であるかを客観的に知ることが困難です。その為、うぬぼれたり、劣等感に陥ります。「裸の王様」にならないため、神様の言葉に照らして、自分のありのままを知り、素直に新しくなることを求めましょう。自分自身を知ることから、変化が始まります。(KE)
12月11日
「あなたは、自分は富んでいる、豊かになった、なんの不自由もないと言っているが、実は、あなた自身がみじめな者、あわれむべき者、貧しい者、目の見えない者、裸な者であることに気がついていない。」黙示3:17
人は自分がどんな者であるかを客観的に知ることが困難です。その為、うぬぼれたり、劣等感に陥ります。「裸の王様」にならないため、神様の言葉に照らして、自分のありのままを知り、素直に新しくなることを求めましょう。自分自身を知ることから、変化が始まります。(KE)
12月10日
「岩の裂け目、がけの隠れ場におるわがはとよ、あなたの顔を見せなさい。あなたの声を聞かせなさい。あなたの声は愛らしく、あなたの顔は美しい。」雅歌2:14
これは神様から愛するあなたへの呼びかけです。神様は私達が呼び求め、顔を向けることを願っておられます。下向きになり、悩みや悲しみ、問題の中に顔を埋めていないで、上を見上げ、神様を求めて下さい。愛する人は愛する者の声を聞き、顔を見たいと、切に願うものです。(KE)
12月9日
「悪をもって悪に報いず、悪口をもって悪口に報いず、かえって、祝福をもって報いなさい。あなたがたが召されたのは、祝福を受け継ぐためなのである。」第一ペテロ3:9
神様が人を造られた目的の一つは、人を通して神様の恵み、祝福を注ぐためです。あなたを召して、神様を信じる者としてくださったのは、あなたが受ける祝福が、溢れて、他の人々へ注がれるためです。どんな人に対しても、惜しみなく祝福を祈って上げようではありませんか。それは神様のみ心ですから。(KE)
12月8日
「あなたがたは主にお会いすることのできるうちに、主を尋ねよ。近くおられるうちに呼び求めよ。」イザヤ55:6
今でなくてもいい。神様を信じることぐらいいつでもできると、多くの人は思うことでしょうが、こればかりは思い通りにいかないものです。神様と出会うチャンスは僅かだからです。今日、主があなたの近くにいらっしゃる時、祈って呼びかけて下さい。必ず、主がおられることを経験させてくださいます。神様のご愛、恵み、力、智恵など、味わったら幸いです。(KE)
12月7日
「語り合い論じ合っていると、イエスご自身が近づいてきて、彼らと一緒に歩いて行かれた。」ルカ24:15
イエス様は墓に葬られましたが、死の中からよみがえられました。しかし、誰もそれを信じることができませんでした。エマオへ行く二人の弟子達に、主は近づいて語ってくださいましたが、二人には主であると気が付きません。今も、よみがえった主はあなたに近づき、一緒に歩いておられます。みことばを信じて、心の目を開かれるとき、主を見ることが出来ます。(KE)
12月6日
「さらに、わたしたちが罪に死に、義に生きるために、十字架にかかって、わたしたちの罪をご自分の身に負われた。その傷によって、あなたがたは、いやされたのである。」第一ペテロ2:24
人は大なり小なり、罪をもって生きているものです。一点の曇りもない人はいません。その罪科を負って下さったのが、主イエス・キリストです。自分の足らなさ、意地悪な心、ゆがんだひねくれた心、全てを赦して下さるために、今日も十字架が立てられているのです。(KE)
12月5日
「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか。」マルコ15:34
罪のない神の御子であるイエス様は、私達全ての人の罪を負うてくださって、父なる神様からの刑罰を受けて下さいました。肉体的な苦痛も大変でしたが、父なる神様との交わりを断たれる苦痛ほど耐え難いものはありません。この十字架上での言葉は、文字通り、神様に捨てられた者の叫びです。それによって、あなたも赦され、今日あるのです。(KE)
12月4日
「ののしられても、ののしりかえさず、苦しめられても、おびやかすことをせず、正しいさばきをするかたに、いっさいをゆだねておられた。」第
一ペテロ2:23
イエス様は十字架に掛けられる前、総督ピラトや大祭司カヤパなどの詮議を受け、様々な告発を受けましたが、一言も弁解をしません。それは全てを知り、全てのさばきをなす全能の神様にゆだねきっていたからです。神様は公平にして、公正な方。かならず、報いてくださいます。神様の裁きがあることを信じましょう。(KE)
12月3日
「人は何者なので、これをみ心にとめられるのですか、人の子は何者なので、これを顧みられるのですか。」詩篇8:4
天地万物の創造者でいらっしゃる神様が、私達に目を留め、心を配って顧みて下さるとは、なんと驚くべき事でしょうか。あなたがどのような状態にあろうとも、全てを知りたもう主は、あなたの事を決して忘れることも、放置することもなさらないのです。何よりも神様はあなたを限りなく愛しておられます。目に見える状況に左右されず、主のみ手を信じて委ねましょう。(KE)
12月2日
「わたしたちを試みに会わせないで、悪しき者からお救いください。」マタイ6:13
やけどをしなければ火の危険が分からないとしたら、愚かです。しかし、人は強情ですから、自分が経験しなければ悟ることができません。私達はそのような者ではないでしょうか。愚かさを繰り返さないためにも、危険や悪を避けることが出来るように、智恵を与えられたいものです。そのために、日々、謙虚な心になって、この事を祈ろうではありませんか。(KE)