悩み多き生涯をどのように生きるか、それが問題です

3月9日
「あなたがたは、この世ではなやみがある。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝っている」。ヨハネ16:33bcd

これは主が最後の晩餐の席で語った最後の言葉です。この世にあって、悩みのない日々を送られるなら、どんなに幸いなことかと思います。しかし、その生涯に悩みもなく過ごした人など、おそらく一人もないでしょう。悩み多き生涯をどのように生きるか、それが問題です。イエス様は悩みに満ちた生涯を生き抜いてくださって、今、あなたと共に歩もうと言われます。仲間がいてくれる旅は、悩みもまた楽しみではないでしょうか。(KE)

愛とはただ愛する人の言葉を心から信頼することです

3月8日
「わたしのいましめを心にいだいてこれを守る者は、わたしを愛するものである」。ヨハネ14:21

「愛」という言葉は手あかのついた使い古した布のようであり、また、逆に多くの人から好まれる滋味豊かな言葉でもあります。その意味するところは漠然としてとらえどころがありません。愛といえばすべてが分かったような気になります。イエス様は愛とはなんであるか、はっきりと語っています。それはただ愛する人の言葉を心から信頼することです。高価なものを買い与えることでもなく、親切にすることでもありません。(KE)

しかし、塩がなければまことに不自由です

3月7日
「あなたがたは、地の塩である。もし塩のききめがなくなったら、何によってその味が取りもどされようか」。マタイ5:13

塩は地味な存在です。表立って華やかで注目を集めるようなものではありません。しかし、塩がなければまことに不自由です。ことに味の決め手は塩加減にあります。多すぎず、少なすぎずちょうどいい塩梅に仕上がるとき、調理する人の名誉となりなります。目立たず、控えめでいて、無くてはならないもの。また腐敗を防ぐ力があります。人の世にあって、塩のように生きる者となりたい。(KE)

あなたを恐れさせるものはなんでしょうか

3月6日
「ダビデは、これらの言葉を心におき、ガテの王アキシをひじょうに恐れたので、……」。サムエル上21:12

人は恐れる時、とても弱くなります。殊に人の言葉によって恐れをいだくことが多くあります。この時、ダビデはサウル王を恐れて逃げ出し、敵であるペリシテ人のところへ逃げ込みます。しかし、そこも安心な場所ではありません。人々がダビデに気づいて噂話をするのを聞いて、その言葉に捕らわれ、恐れはなお一層強くなり、とんでもない振る舞いをすることになります。あなたを恐れさせるものはなんでしょうか。まただれの言葉でしょうか。(KE)

しかし、主の見るところは「こころ」です

3月5日
「わたしが見るところは人とは異なる。人は外の顔かたちを見、主は心を見る」。サムエル上16:7

祭司サムエルは主に導かれエッサイの家へ行き、その息子たちの中から次なる王を選ぶことになった。立派な息子たちを順次面接するが、神様は拒まれる。その時祭司に語った神様の言葉です。人を評価する時、体格や風貌など見えるところに従って定めようとします。しかし、主の見るところは「こころ」です。これは人に隠せても、神様には隠せません。すべてを見て、知っておられます。(KE)

神様はひとたび約束したことを決して破棄しません

3月4日
「わたしはあなたのとがを雲のように吹き払い、あなたの罪を霧のように消した。わたしに立ち返れ、わたしはあなたをあがなったから」。イザヤ44:22

神様はご自分が選んだ民、イスラエルが神様を離れ、捨てようとも、神様は捨てなさいません。どんな事態になろうとも、ひとたび約束したことを決して破棄しない。これが神様の真実です。そればかりか、主に対する罪と咎とをことごとく取り除いて、サタンの力から解放してくださったのです。今日も、自分がどんな状態にあろうとも、神様はあなたを見捨てず、「わたしに立ち返れ」と招いておられます。(KE)

聖書が語る夜とは今の時代です

3月3日
「ドマについての託宣。セイルからわたしに呼ばわる者がある、『夜回りよ、今は夜のなんどきですか、夜回りよ、今は夜のなんどきですか』」。
イザヤ21:11

今でこそ、夜は様々な電飾で輝き、夜を感じさせない風景ですが、まともな照明がなかった時代、夜は漆黒の闇でした。闇には悪がはびこり、犯罪もおきます。聖書が語る夜とは今の時代です。夜は必ず明ける時がきます。夜明けとともに朝日がのぼり、命にあふれる活動が始まるごとく、夜のこの世が終わる終末の時が間近に迫っています。今の時代がどんなであれ、夜明けを望んで、慎ましく生きようではありませんか。(KE)

多くの恵みをいただいたのに神様を忘れたのです

3月2日
「牛はその飼主を知り、ろばはその主人のまぐさおけを知る。しかしイスラエルは知らず、わが民は悟らない」。イザヤ1:3

イスラエル民族はアブラハムによって始まった神様の民です。どれほど多くの恵みを主からいただいたことか、言い尽くすことができません。しかしイスラエルは神様を忘れ、他の神々を慕ったのです。まさしく忘恩無礼な輩というほかありません。それはまた私たちのことです。主の十字架の死をもって贖われながら、主を忘れている。今一度、悔い改めて主に帰りましょう。(KE)

神様のご愛にどれほど応答しているでしょうか

3月1日
「岩の裂け目、がけの隠れ場におるわがはとよ、あなたの顔を見せなさい。あなたの声を聞かせなさい。あなたの声は愛らしく、あなたの顔は美しい」。雅歌2:14

これは神様から私たちに向けられた恋歌です。ひとり子すら惜しまないほどに愛して下さる神様のご愛にどれほど応答しているでしょうか。神様の顔を避けて、隠れ潜むあなたに主は呼びかけておられるのです。主の声に応えて、私達も主を心から力いっぱい愛する者となろうではありませんか。(KE)

神様はうろたえ、右往左往してはならないと言われます

2月28日
「あなたがたは立ち返って、落ち着いているならば救われ、穏やかにして信頼しているならば力を得る」。イザヤ30:15

人は予期しない事態や思いがけない出来事に遭遇する時、うろたえます。右往左往して、なんとか事態を乗り切ろうと焦るのです。しかし、神様はそうであってはならないと言われます。まず、「立ち返る」こと。万物の創造者、神様が居ますことと、自分が非力な造られた者に過ぎないことを認めるのです。そうする時、神様を中心に据えた心の秩序が整います。その結果、神様の不思議な力を体験することができます。(KE)