怒りをぶつけるのは神様を拒むことです

10月13日
「人の怒りは、神の義を全うするものではないからである。」ヤコブ1:20

全てのことを裁かれるのは神様です。神様を信じる、信頼するとは、現実の事柄の中で、自分の判断に頼らず、神様が報いてくださると信じることです。人が自分の正義をもって物事をはかり、怒りをぶつけるのは神様を拒むことです。ですから、「怒り」によって、人は罪を犯すことになります。神様の力が現され、義が明らかになるように、自ら節制をして、主に任せることを学んでください。(KE)

あなたの確固として頼りがいのあるものが何ですか

10月12日
「主はわが岩、わが城、わたしを救う者、わが神、わが寄り頼む岩、わが盾、わが救の角、わが高きやぐらです。」詩篇18:2

神様にここまで徹底して信頼するならば、怖い者なしです。しかし、現実の問題や困難のゆえに、神様の存在をこれほど確かなこととして信じ得ないのです。あなたの確固として頼りがいのあるものが何であるか、心のうちを探ってみてください。きっとそれは藁くずのようなものではないでしょうか。(KE)

人の時は神様の手にあります

10月11日
「わたしの時はあなたのみ手にあります。わたしをわたしの敵の手と、わたしを責め立てる者から救い出してください。」詩篇31:15

自分の時は自分が握っていると多くの人々は信じています。そのため上手くいくと、うぬぼれ、失敗すると自責の念に苦しむのです。人の時は神様の手にあります。生まれるときから、死ぬときまで、神様が時を導いておられるのです。主が時を動かされるまで、耐え忍んで待ち望もうではありませんか。(KE)

「正しい人」とは神様を畏れ敬う人のことです

10月10日
「正しい人は決して動かされることなく、とこしえに覚えられる。彼は悪いおとずれを恐れず、その心は主に信頼してゆるがない。」詩篇112:6-7

「正しい人」とは神様を畏れ敬う人のことです。その人は神様に見られ、裁かれることを知っているので、どんな事にも動揺することはありません。悪いおとずれを聞いても、恐れません。神様が生殺与奪の権威を持っておられることを信じて疑わないからです。あなたもこのような不動心を頂こうではありませんか。(KE)

神様がご計画を、あなたのために備えてくださるのです

10月9日
「主が命じられたのでなければ、だれが命じて、その事の成ったことがあるか。災もさいわいも、いと高き者の口から出るではないか。」哀歌3:37-36

日々の生活に、また人生に起こるすべての業、事柄は神様の手によるものです。災いや不幸の原因を周囲の人や境遇の所為にして、つぶやき、憤り、非難しようとし易いものです。実は、神様が人の思いや考えを越えたご計画を、あなたのために備えてくださるのです。主は今日もあなたを愛して、取り扱ってくださいます。(KE)

今も、主は変わらずあなたと共にいてくださいます

10月8日
「主がヨセフと共におられたからである。主は彼のなす事を栄えさせられた。」創世記39:23b

ヨセフは兄弟の妬みによって、奴隷に売られました。しかし、彼は兄弟を恨むようなことはありません。与えられた状況、事態の中で、神様を信頼して、主と共にあることに努めたのです。その結果、神様はヨセフのわざを祝福して、栄えさせてくださいました。今も、主は変わらずあなたと共にいてくださいます。事情・境遇を見ないで、そばにおられる主を見上げて下さい。(KE)

自分の心は、実はなにも知りません

10月7日
「心はよろずの物よりも偽るもので、はなはだしく悪に染まっている。だれがこれを、よく知ることができようか。」エレミヤ17:9

自分の心は自分がよく知っていると思いますが、実はなにも知りません。人の心ほどあてにならないものはありません。いくら堅く決心しても、すぐに忘れて、別の思いが支配してきます。神様はそのようなあなたの心を知り尽くしておられます。自分があやふやな、頼りにならない者であることを認めて、神様にすがろうではありませんか。(KE)

ただ、父なる神様への従順と謙遜です

10月6日
「彼にはわれわれの見るべき姿がなく、威厳もなく、われわれの慕うべき美しさもない。」イザヤ53:2b

イエス様について語られた預言者イザヤの言葉。主の御生涯を見るとき、そこには救い主としての力強さ、権威、見栄えはなにもありません。ただ、父なる神様への従順と謙遜です。この世の権力者、王侯貴族とは正反対の生涯でありながら、それら全てを無にしてしまう輝きと命に満ちた生涯でした。この世の栄誉栄華に縁がなくとも、あなたも主の御生涯に倣うことができます。(KE)

あなたの謙遜からどのような業がなされるのでしょうか

10月5日
「そこでマリヤが言った、『わたしは主のはしためです。お言葉どおりこの身に成りますように』。そして御使は彼女から離れて行った。」ルカ1:38

御使が告げた神様の言葉は、マリヤには受け入れられない苛酷な事態でした。苦しみ、悩んだ彼女はついに神様のみこころに全く自分を委ねました。マリヤの謙遜のゆえに、神様の奇しきみわざが完成するのです。あなたの謙遜からどのような業がなされるのでしょうか。主が求めたもうことに身を委ねましょう。(KE)

神様の救いは今あるところから離れることです

10月4日
「しかしロトの妻はうしろを顧みたので塩の柱になった。」創世記19:26

悪に満ちた町、ソドムが神様の怒りの火に焼かれたとき、その町に住んでいたロトの家族は神様の憐れみによって救われました。逃げ出す途中、ロトの妻は住み慣れた町、自分の家を惜しんで、そっとうしろを振り向きました。その瞬間、彼女は「塩の柱」になったのです。これは何かを暗示するものと思われます。神様の救いは今あるところから離れることです。先を望んで、潔く、前に進みましょう。(KE)