4月22日
「彼はこの神、すなわち、死人を生かし、無から有を呼び出される神を信じたのである」。ローマ4:17b
アブラハムの信仰について語られた一節です。信仰の父と呼ばれるアブラハムも、最初からそうだったのではありません。いろんな失敗や間違いを犯しながら、主の忍耐の故に憐れみを受けつつ、ついには愛するイサクを捧げる者となります。今、私達も彼と同じく信仰の完成に向かって進んでいます。失望しないで、全能の神様を信じる揺るがない信仰に立ち得るよう、耐え忍びましょう。(KE)
4月22日
「彼はこの神、すなわち、死人を生かし、無から有を呼び出される神を信じたのである」。ローマ4:17b
アブラハムの信仰について語られた一節です。信仰の父と呼ばれるアブラハムも、最初からそうだったのではありません。いろんな失敗や間違いを犯しながら、主の忍耐の故に憐れみを受けつつ、ついには愛するイサクを捧げる者となります。今、私達も彼と同じく信仰の完成に向かって進んでいます。失望しないで、全能の神様を信じる揺るがない信仰に立ち得るよう、耐え忍びましょう。(KE)
4月21日
「真夜中ごろ、パウロとシラスとは、神に祈り、さんびを歌いつづけたが、囚人たちは耳をすまして聞きいっていた」。使徒16:25
パウロとシラスは初めてピリピの町にきました。そこで伝道して救われる人も与えられましたが、占いをする女奴隷に付きまとわれ、争いごとに巻き込まれて、牢に入れられました。初めての地で、理不尽にも囚われの身となり、不安のなかに置かれたことでしょう。しかし、その中で彼らは祈りと讃美によって力を得たのです。今日、あなたが恐れに捕らわれていますか、不安の中にいますか。だったら、祈りましょう。賛美しましょう。(KE)
4月20日
「主よ、あなたはわたしを探り、わたしを知りつくされました」。詩篇139:1
神様はあなたのことをすべて余すところなく知っておられると言われます。この言葉に続いて、「あなたはわがすわるのも、立つをも知り、遠くからわが思いをわきまえられます」と言われます。私たちは何をもって神様に隠すことができるでしょうか。あなたの過去も、今も、将来も、ことごとく知りつくしておられるのです。こうなったらお手上げです。潔く主の手にゆだねようではありませんか。(KE)
4月19日
「主こそ神であることを知れ。われらを造られたものは主であって、われらは主のものである。われらはその民、その牧の羊である」。詩篇100:3
私たちは神様によって造られたものです。そうでありながら、造り主を忘れてしまったのはどこからでしょうか。その結果、迷える子羊となり、飢え渇き、寒さに震え、不安と恐れに力を失ってしまったのです。もう一度、原点に帰って、誰に造られ、誰のものであるか、誰が養ってくださるのかしっかり確認してください。(KE)
4月18日
「わたしはあなたのとがを雲のように吹き払い、あなたの罪を霧のように消した。わたしに立ち返れ、わたしはあなたをあがなったから」。イザヤ44:22
雨の後には水たまりが出来、風が吹けば枯葉やごみが吹き溜まります。必ず、結果である痕跡は残ります。私達の罪や咎もどんなにしてもきれいさっぱり消してしまうことは出来ません。しかし、神様の赦しはそのような不完全なものではなく、雲や霧のように跡形もなく消し去ってくださるのです。神様の赦しをいただく人は、なんと幸いなことでしょう。(KE)
4月17日
「見よ、わたしはあなたを練った。しかし銀のようにではなくて、苦しみの炉をもってあなたを試みた」。イザヤ48:10
貴金属と言われる金や銀も、本来土くれの中にあった鉱石です。そこから貴重な金銀を取り出すには様々な加工が加えられます。また、取り出した金属が貴重なものとなるには、更なる精錬が必要です。高熱の炉に入れて不純物を取り除きます。同様に、私達も神様の性質にまで清められるため、「苦しみの炉」を通らなければならないのです。それは厳しい試練ですが、耐え忍んで通り抜けた時、貴金属にも勝る貴重な、朽ちることのないものとなります。(KE)
4月16日
「わたしに呼び求めよ、そうすれば、わたしはあなたに答える」。エレミヤ33:3a
私たちの信じる神様は、生ける神です。その意味は、打てば響き、呼べば応える方と言うことです。呼んでも叩いてもウンともスンとも言わない、死んだ方ではありません。あなたの今日の一日を創造し、生きる者として下さるのです。だから、ことごとく、どんなことでも祈り、願い、求めればいいのです。必ず応答してくださいます。(KE)
4月15日
「おのれを低くして、死に至るまで、しかも十字架の死に至るまで従順であられた」。ピリピ2:8
イエス様は神の位に居られた方、神ご自身と言っても間違いない方です。そのような方がこの汚れた人の世に下って、人となって住んでくださったのです。そればかりか、私達罪人の身代りとなり、十字架に父なる神様の怒りと裁きを受けてくださったのです。この方のことを思うなら、どんなに苦しく、つらくても耐え忍ぶことができます。主の受けられた苦しみを深く感謝して、今日も耐え忍んで生きようではありませんか。(KE)
4月14日
「まちがってはいけない、神は侮られるようなかたではない。人は自分のまいたものを、刈り取ることになる」。ガラテヤ6:7
厳粛な言葉です。確かに、コメを播いて、麦を刈り取ることは決してありません。人はその播いたものしか、刈り取ることができません。私達の日々のわざには、必ず刈り取る時が備わっています。その収穫が明日であるか、十年先であるか、これは分かりませんが、しかし、播いたものは必ず結果となります。なぜなら、万物を支配される神様がすべての事を持ち運んでおられるからです。(KE)
4月13日
「すなわち、無きに等しい者を、あえて選ばれたのである」。第一コリント1:28
イエス様による救いはすべての人に開かれています。ところが、主を求めてくる人の何と少ない事か。今、あなたがイエス様を神の御子、救い主と信じて、平安と望み、感謝と喜び、力と知恵に満たされておられるなら、なんと幸いなことでしょうか。このような恵みを受けたのは自分の努力や力によってではなく、神様の憐れみによって選ばれたのです。しかも、選ばれる理由は、無きに等しい者だからです。感謝。(KE)