神様の存在は結果に見ることが出来ます

4月12日
「神の見えない性質、すなわち、神の永遠の力と神性とは、天地創造このかた、被造物において知られていて、明らかに認められるからである」。
ローマ1:20a

残念ながら、人と人とが相対するように、神様と正面切って向き合うことは出来ません。神様の全体を見ることはできません。なぜなら、私達は被造物、造られたものであり、神様は造物主です。ただ、神様の存在は結果に見ることが出来ます。森羅万象、被造物をつぶさに見るとき、神様のわざというほかありません。身近な自分の体を見ても、不思議が詰まっています。(KE)

どこにでも、共にいてくださるとの約束です

4月11日
「見よ、わたしは世の終りまで、いつもあなたがたと共にいるのである」。マタイ28:20

イエス様はよみがえられた後、40日にわたって、多くの人々にご自分が生きておられることを証しました。その後、弟子たちが見守る中、天に引き上げられて人の目には見えなくなりました。地上での終りのとき、主が語られたことがこの言葉です。物質的な存在としては消えましたが、霊的な存在としていつでも、どこにでも、共にいてくださるとの約束です。今も、あなたのそばに主がおられ、しかも、あなたのことをすべて知っています。(KE)

見えないもののあることを取り敢えず受けいれましょう

4月10日
「イエスは彼に言われた、『あなたはわたしを見たので信じたのか。見ないで信ずる者は、さいわいである』」。ヨハネ20:29

人は自分の目で見、手で触り、体験しなければ信じようとしません。客観的に実証可能な事だけが真実だと思っていますが、そのような捉え方はごく最近の傾向です。見えない霊的な世界、証明不可能な事象がある事を忘れてはなりません。見えるものの背後に、見えないもののあることを取り敢えず受けいれましょう。あなたの世界が広がります。(KE)

よみがえりを信じるとき、あなたの魂が命に満たされます

4月9日
「イエスは彼女に言われた、『わたしはよみがえりであり、命である。わたしを信じる者は、たとい死んでも生きる』」。ヨハネ11:25

今日は主のご復活の記念の日、イースターです。弟子たちは主がよみがえって生きておられることを知って、大変喜びました。その喜びはイエス様を信じる私たちの喜びでもあります。もし主が甦らなかったら、私達の信仰はないに等しい、無意味なものです。しかし、肉体が死滅することは当然ですが、よみがえりを信じるとき、あなたの魂が命に満たされます。キリストの霊があなたを包んでくださるから。(KE)

よみがえって生きておられることこそ、私達の望みです

4月8日
「あなたがたは、なぜ生きた方を死人の中にたずねているのか。そのかたは、ここにはおられない。よみがえられたのだ」。ルカ24:5-6

主は十字架に掛けられ、命を絶たれました。死の闇に沈んでしまわれたのです。もし、そのままに陰府におかれているならば、神様の力は無に等しい。神様の力より人の罪の力が強いはずはありません。陰府(よみ)の力を撃ち砕いて、よみがえって生きておられることこそ、私達の望みです。今、あなたがどんなに深い失望の中にあろうと、甦りの神の力ははるかに強いからです。(KE)

この世の人々を救うために、十字架に捧げてくださいました

4月7日
「そのとき、イエスは言われた、『父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです』」。ルカ23:34

十字架に掛けられたとき、最初に語った主の言葉です。ご自分の使命、十字架の目的などを端的な言葉で語っています。主は罪にまみれたこの世の人々を永遠の滅びから救うために、神の位を捨て、人の世に住んでくださいました。そして、罪の代償としてご自分を十字架の祭壇に捧げてくださいました。この故に、御子を信じる者は罪なき者とされ、永遠の御国を継ぐ者となるのです。感謝。(KE)

あなたがユダであったら、何と答えますか

4月6日
「イエスを裏切ったユダが答えて言った、『先生、まさか、わたしではないでしょう』。イエスは言われた、『いや、あなただ』」。マタイ26:25

最後の晩餐の席で、主はご自分を裏切ろうとする者がいると言われます。弟子たちはいったい誰だろうとざわめき、口々に「わたしではない」と言い募ります。ユダも直接主に問います。主ははっきりと「いや、あなただ」と言われました。あなたがユダであったら、何と答えますか。残念ながら、彼は悔い改めの時を逃し、サタンの手に振り回され、自死へと落ちていきます。厳粛な思いがします。(KE)

信仰と不信仰との間にたって、心が割かれる思いになります

4月5日
「イエスはその話している言葉を聞き流して、会堂司に言われた、『恐れることはない。ただ信じなさい』」。マルコ5:36

会堂司の娘が瀕死の状態でした。イエス様は求めに応じて出かけましたが、間に合わずに娘は死んだ。これ以上イエス様でも何もできない、と不信仰に囚われる。そのとき、イエス様は周囲の人々の言葉を「聞き流して」、イエス様に徹底して信頼することを勧めます。信仰と不信仰との間にたって、心が割かれる思いになります。まさにそこが勝負どころです。誰のことばを聞き流して、誰の言葉を信じるのですか。(KE)

失望や落胆する時こそ全能の神様を親しく知る時です

4月4日
「わたしは山にむかって目をあげる。わが助けは、どこから来るであろうか。わが助けは、天と地を造られた主から来る」。詩篇121:1-2

長い人生の旅路にあって、しばしば試練や患難に遭い、失望・落胆することがあります。お先真っ暗と思える時、あなたはどうしますか。その時こそ、万物の創造者、全能の神様を親しく知る時です。孤立無援、出口のない袋小路にはまった時こそ、うつむいた頭を上に向けようではありませんか。天地を自在に操る神様に心が定まるとき、明るい将来が開けます。(KE)

昼は雲の柱、夜は火の柱を置いて、導かれたのです

4月3日
「昼は雲をもって彼らを導き、夜は、よもすがら火の光をもって彼らを導かれた」。詩篇78:14

エジプトの地で奴隷の生活を強いられたイスラエルの民は、長年の祈りに応えて、神様はモーセを指導者として選び、ついにエジプトからカナンの地を目指して旅立ちます。当時はコンパスも、地図もない時代。彼らが迷わないように、昼は雲の柱、夜は火の柱を置いて、導かれたのです。40年に及ぶ旅路に同行してくださったのです。その主は、ご聖霊によって、今も私たちを永遠の命の住まいへと導いておられます。(KE)