内面の自分が強くなければ、強く生きることができません

9月13日
「どうか父が、その栄光の富にしたがい、御霊により、力をもってあなたがたの内なる人を強くして下さるように、…」エペソ3:16

身体的に健康であり、体力があっても、それだけでは不十分です。「内なる人」、すなわち「心」あるいは「精神力」でしょうか、見えない内面の自分が強く、健康でなければ、患難に当たって強く生きることができません。「内なる人」を強くするのは、スポーツや栄養食ではなく、神様によるほかありません。日々、祈りつつ力を与えられましょう。(KE)

誇りを自分の力とするでしょうが、つかの間のものです

9月12日
「ある者は戦車を誇り、ある者は馬を誇る。しかしわれらは、われらの神、主のみ名を誇る。」詩篇20:7

人は力を誇示する為に戦車や馬を誇ります。勿論、今では地位、家柄、学歴などを誇りとし、それによって自分の力とするでしょうか。しかし、そのようなものはつかの間のもので、失われていきます。自分の弱さをカモフラージュする虚構に過ぎません。あなたの誇るものが無くて、心細く思うなら、神様を信じて下さい。あなたの後ろ盾となり、力となってくださいます。(KE)

神様はあなたに直接語って下さいます

9月11日
「わたしの戒めに心をとめよ、見よ、わたしは自分の思いを、あなたがたに告げ、わたしの言葉を、あなたがたに知らせる。」箴言1:23

「戒め」は聖書のことばです。あなたがみことばを心にとめて生活するとき、神様はあなたに直接語って下さいます。声は聞こえませんが、心に自分では考えられない思いが与えられます。どうぞ、今日もみことばを心に据えて、神様の語りかけを心の耳に聞いて、主のみ心に従ってください。主の恵みに出会うことができます。(KE)

人は何かを頼るものとして造られました

9月10日
「おおよそ人を頼みとし肉なる者を自分の腕とし、その心が主を離れている人は、のろわれる。」エレミヤ17:5

人は何かを頼らなければ生きることができないものとして造られました。それは神様を頼りとするようにとの配慮からです。しかし、人が神様以外のもの、目に見える物質的な状況・境遇を頼りとして、心が神様を離れてしまったのが、この世の現実です。「のろわれる」とは頼るべきものを取り違えた結果としての悲劇を表しています。あなたは何を頼りにしていますか?(KE)

信仰は「足ることを知る」ことです

9月9日
「しかし、信心があって足ることを知るのは、大きな利得である。」 第一テモテ6:6

信仰を求める動機は、現在の状態・状況に満足できない、受け入れられない思いがあるからです。信仰はまず心の平安、安心を得ることです。それは「足ることを知る」ことです。その結果として、周囲の情勢も具体的に変化して、思いがけない恵みに会うことができます。「利得」とはいわゆる「御利益」のこと。ただ、この御利益は物質的な利益ではありません。内面の変化です。(KE)

神様は私達に思いを与えられ、必ず完成させるのです

9月8日
「そして、あなたがたのうちに良いわざを始められたかたが、キリスト・イエスの日までにそれを完成して下さるにちがいないと、確信している。」ピリピ1:6

「キリスト・イエスの日」とは、世の終わりの時、イエス様が裁き主として来られる日です。神様は私達の心に思いを与え、御心に沿ってそれを導かれ、終末の日までに、必ず完成させて下さるのです。絶えず、神様のみ手に自分を委ねて、主のなされる事に信頼し続けるとき、あなたの想像し得ない結果を出してくださいます。(KE)

不平を並べることは神様に言い逆らうことにほかなりません

9月7日
「ああ人よ。あなたは、神に言い逆らうとは、いったい、何者なのか。造られたものが造った者に向かって、『なぜ、わたしをこのように造ったのか』と言うことがあろうか。」ローマ9:20

今、与えられている自分、置かれている境遇など、どれ一つとっても神様の造られたものばかりです。自分の何かを不満に思ったり、不平を並べることは造り主なる神様に言い逆らうことにほかなりません。まず、神様の創造のわざによることを認め、感謝して受けようではありませんか。(KE)

今しかない、と思うとき、人は真剣になります

9月6日
「あなたがたは主にお会いすることのできるうちに、主を尋ねよ。近くおられるうちに呼び求めよ。」イザヤ55:6

いつでも出来ると思うと、今という時を怠惰に過ごしてしまいます。今しかない、と思うとき、人は真剣になります。神様を求め、知ることも同じです。まだ若い、来年がある、そのうちヒマになったら、と思っているとその時を逃してしまい、取り返しがつかなくなります。神様を深く知り、信頼し、望みと平安を得るときは今日しかありません。主はあなたを求めておられるのです。(KE)

人が欠けだらけなのは、神様が力を表そうとなさるためです

9月5日
「わたしを強くして下さるかたによって、何事でもすることができる。」ピリピ4:13

自分の弱さ、足らないところは日々痛感させられます。それを補い、カバーしようと悪戦苦闘しますが、どうにもなりません。人が欠けだらけの存在であるのは、神様がご自分の力を表そうとなさるためです。自分ではどうにもならない、神様に頼らねばならないものとして造られたのですから。しかし、神様は力の源、あなたを強くすることが出来ます。今日も、この方の力を得て下さい。(KE)

感謝し、満ち足りていること、これ以上の幸いはありません

9月4日
「うそ、偽りをわたしから遠ざけ、貧しくもなく、また富みもせず、ただなくてならぬ食物でわたしを養ってください。」箴言30:8

神様に祈り求めることの多い毎日を送っています。この言葉の祈りもまた大切なことです。自分の弱さ、貪欲、見栄など、自分を知って、そこから主の力を求めること、これが祈りです。慎ましく、与えられたものをもって感謝し、満ち足りていること、これ以上の幸いはありません。人生を苦しいものにしているのは、自分の内にある罪の結果です。(KE)