1月5日
「語り合い論じ合っていると、イエスご自身が近づいてきて、彼らと一緒に歩いて行かれた。」ルカ24:15
イエス様は墓に葬られましたが、死の中からよみがえられました。しかし、誰もそれを信じることができませんでした。エマオへ行く二人の弟子達に、主は近づいて語ってくださいましたが、二人には主であると気が付きません。今も、よみがえった主はあなたに近づき、一緒に歩いておられます。みことばを信じて、心の目を開かれるとき、主を見ることが出来ます。(KE)
1月5日
「語り合い論じ合っていると、イエスご自身が近づいてきて、彼らと一緒に歩いて行かれた。」ルカ24:15
イエス様は墓に葬られましたが、死の中からよみがえられました。しかし、誰もそれを信じることができませんでした。エマオへ行く二人の弟子達に、主は近づいて語ってくださいましたが、二人には主であると気が付きません。今も、よみがえった主はあなたに近づき、一緒に歩いておられます。みことばを信じて、心の目を開かれるとき、主を見ることが出来ます。(KE)
1月4日
「さらに、わたしたちが罪に死に、義に生きるために、十字架にかかって、わたしたちの罪をご自分の身に負われた。その傷によって、あなたがたは、いやされたのである。」第一ペテロ2:24
人は大なり小なり、罪をもって生きているものです。一点の曇りもない人はいません。その罪科を負って下さったのが、主イエス・キリストです。自分の足らなさ、意地悪な心、ゆがんだひねくれた心、全てを許して下さるために、今日も十字架が立てられているのです。(KE)
1月3日
「ののしられても、ののしりかえさず、苦しめられても、おびやかすことをせず、正しいさばきをするかたに、いっさいをゆだねておられた。」第
一ペテロ2:23
イエス様は十字架に掛けられる前、総督ピラトや大祭司カヤパなどの詮議を受け、様々な告発を受けましたが、一言も弁解をしません。それは全てを知り、全てのさばきをなす全能の神様にゆだねきっていたからです。神様は公平にして、公正な方。かならず、報いてくださいます。神様の裁きがあることを信じましょう。(KE)
1月2日
「人は何者なので、これをみ心にとめられるのですか、人の子は何者なので、これを顧みられるのですか。」詩篇8:4
天地万物の創造者でいらっしゃる神様が、私達に目を留め、心を配って顧みて下さるとは、なんと驚くべき事でしょうか。あなたがどのような状態にあろうとも、全てを知りたもう主は、あなたの事を決して忘れることも、放置することもなさらないのです。何よりも神様はあなたを限りなく愛しておられます。目に見える状況に左右されず、主のみ手を信じて委ねましょう。(KE)
1月1日
「あなたは地に臨んで、これに水をそそぎ、これを大いに豊かにされる。神の川は水で満ちている。」詩篇65:9
神様はあなたに恵みを豊かに施そうとして、準備しておられます。今にもあふれんばかりに。その恵みを受ける秘訣は、へりくだって主を求めることです。ことしも、主の恵みに満たされる者となりましょう。明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。(KE)
12月31日
「あなたがたの中に、罪の惑わしに陥って、心をかたくなにする者がないように、『きょう』といううちに、日々、互に励まし合いなさい。」ヘブ
ル3:13
人の美しさは容貌や外見、見栄えではありません。本当の美しさは心がどうであるかによります。その結果が外にも現れるのです。美しい心は、素直な、砕かれた、柔らかい謙遜な心です。強情で、ひねくれて、冷ややかな心ほど醜いものはありません。神様のことばに素直になれるかどうか、自らの心を探って下さい。(KE)
12月30日
「目を高くあげて、だれが、これらのものを創造したかを見よ。」イザヤ40:26a
あなたは何を見ていますか。見ているものにあなたの心があります。とかく、日常生活では些細な事ばかりに心が奪われて、大切なことを見逃してしまいます。目の前の出来事がとてつもなく大きな山のように思って、悩んでみたり、どうでも良いことにこだわって、身動きが出来なくなっていませんか。どうぞ、目を高く上に向けて下さい。森羅万象を創造した神様のみ手が見えませんか。(KE)
12月29日
「よくよくあなたに言っておく。だれでも新しく生れなければ、神の国を見ることはできない。」ヨハネ3:3
なにかの決意を表すとき、「死んだ気になって」とか「生まれ変わって」などといいますが、まったく新しいものに変わるのはなかなか難しいことです。死んで生まれ変わることが出来れば、これほど確かなことはありません。実はその道があるのです。イエス様はあなたのために、死んで葬られ、よみがえった方です。この方に結び付くとき、あなたも生まれ変わるのです。(KE)
12月28日
「すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。」マタイ11:28
苦しみ、悩み、悲しみにあるどんな人でも、イエス様のもとに来なさいと招いてくださっています。人に打ち明けても、分かってもらえません。しかし、主は全ての試練にあわれ、弱さを知って下さる方です。主はあなたのどんな悩みでも、悲しみでも知って、慰め、力を与えてくださいます。遠慮しないで、主を呼び求め、その恵みを受けて下さい。(KE)
12月27日
「主をおのが頼みとする人、高ぶる者にたよらず、偽りの神に迷う者にたよらない人はさいわいである。」詩篇40:4
人は何かを頼らなければ立っていくことができません。お金を頼り、医者をたより、友達をたより、親たちや子供を頼りとする等です。確かに、こうゆうものも大切ですが、あなたを支えるものではありません。「苦しいときの神頼み」と言いますが、「苦しいとき」に神様を頼るのはもちろんですが、それだけではなく、常日頃から真の神様を頼る人は幸いです。(KE)