神様は思い煩いを打ち明けなさいと勧めてくださいます

5月5日
「何事も思い煩ってはならない。ただ、事ごとに、感謝をもって祈と願いとをささげ、あなたがたの求めるところを神に申し上げるがよい」。ピリピ4:6

思い煩いを好む人はいません。心に満ちてくる思い煩いが溜まりすぎると、心身ともにやんでしまいます。だからと言って、無理矢理に思い煩う心を抑え込んでも解決しません。とにかく積みあがっていく思い煩いを吐き出さなければパンクしますから、神様はご自分に打ち明けなさいと勧めてくださいます。確かに、これほど安心なところはありません。そればかりか、神の平安が守ってくださると言われます。心を空っぽに、軽くしましょう。(KE)

神様は命を懸けてあなたを愛しておられるのです

「しかし、まだ罪人であった時、わたしたちのためにキリストが死んで下さったことによって、神はわたしたちに対する愛を示されたのである」。ローマ5:8

人が愛を感じる時はどんな時でしょうか。高価な指輪を差し出し、プロポーズする時でしょうか。また、なにかの記念日に、さりげなく花束やケーキでも贈られるときでしょうか。もし、そのような行為が愛の証と言うなら、その愛は誠に軽い、安物の飾りのようなものと言うほかありません。神様の愛は罪人の身代りとなって命を犠牲にするほどの愛です。神様は命を懸けてあなたを愛しておられるのです。(KE)

人の奥底に神様を求める渇きがあるからです

5月3日
「彼らは自ら知者と称しながら、愚かになり、不朽の神の栄光を変えて、朽ちる人間や鳥や獣や這うものの像に似せたのである」。ローマ1:22-23

人は万物の霊長と言いながら、様々なものを神仏として拝まなければすまない性質を持っています。科学の粋を集めた人工衛星を打ち上げるにも、関係者が神仏を拝む光景を目にします。人の奥底に万物を造り、つかさどる真の神様を求める渇きがあるからです。しかし、人は愚かになって、神様でないもので渇きを止めようとしますが、それでは終わりません。あなたが感じる空虚さ、不安を取り除くには真の神様による他ありません。(KE)

人は神様に似たものとして造られたのです

5月2日
「わたしたちは神の作品であって、良い行いをするように、キリスト・イエスにあって造られたのである」。エペソ2:10a

そもそも事の始まりにあたって、人は神様のカタチ、性質に似たものとして造られたのです。しかし、神様に対して罪を犯した結果、サタンに支配されることとなりました。そのため、感謝なく、喜びも、平安もなく、怒り、不安と恐れ、失望の中で生ける屍となったのです。そのような私たちを憐れんで、御子を世につかわし、サタンの力を撃ち壊し、御子の支配に置いて、神の作品として再創造しておられるのです。(KE)

獄に捕らわれても、すべての業を祝福してくださったのです

5月1日
「主がヨセフ共におられたからである。」創世記39:23

兄弟の妬みによってエジプトに奴隷として売られたヨセフは、主人ポテパルの家で祝福された日々でしたが、不当な嫌疑によって獄に捕らわれました。しかし、その所でも、主が共におられて、すべての業を祝福してくださったのです。ヨセフの最も幸いなことは、どんな境遇に置かれようと、共におられる主に仕えていたからです。今日の一日も、ヨセフのように主と共に生きてください。(KE)

ヤコブは神様が共におられることを知ったのです

4月30日
「ヤコブは眠りからさめて言った、『まことに主がこの所におられるのに、わたしは知らなかった』」。創世記28:16

弟ヤコブは家族に別れて一人で見ず知らずの遠い親戚のところへ旅立っていきます。荒野を旅して、一夜野宿します。その時、神様は彼を励まし、将来、この地に帰ることを約束して下さったのです。孤独だと思ったのですが、実は神様が共におられることを知ったのです。その時の喜び、平安と望みはどんなに大きなものだったでしょうか。ヤコブと共におられた神様は、今日もあなたの家庭に、学校に、職場に、常におられることを信じてください。(KE)

みこころを行わなければ使命を果たしえません

4月29日
「わたしが天から下ってきたのは、自分のこころのままを行うためではなく、わたしをつかわされたかたのみこころを行うためである」。ヨハネ6:38

イエス様は神の位に居られた方ですが、父なる神様の御心によって、この世に下ってこられました。十字架の死に至るまで、遣わされた方のみこころに徹底して歩んだ生涯でした。私達も今はイエス様によってこの世に派遣されたのです。ですから、当然、主のごとくつかわされた方のみこころを行わなければ使命を果たしえません。(KE)

人には隠せても神様には隠しようがありません

4月28日
「すると、隠れた事を見ておられるあなたの父は、報いてくださるであろう」。マタイ6:6b

神様は人の目に見えるものではありません。だから、多くの人々は、神様などは存在しないと言います。しかし、もし神様が人の目に見えるようなら、いささか頼りない気がします。見えないゆえに神様です。しかも、報いてくださるのです。それは生きて働いてくださる方だということです。神様は私たちの「隠れた事」を見ておられるのです。たとい人には隠せても神様には隠しようがありません。(KE)

悩んだ末、エステルは決断します

4月27日
「わたしがもし死なねばならないのなら、死にます」。エステル4:16b

イスラエルの民は主に背いた結果、多くの人々がバビロンへ捕囚として移されました。その中から、エステルは王妃として召されました。しかし、ユダヤ人が迫害を受け、民族滅亡の危機に瀕したのです。王妃エステルに王様に嘆願するよう求めます。しかし、たとえ王妃たりとも王の招きがなければ会うことができず、死罪になる定めでした。悩んだ末、エステルは決断します。「死にます」と。あなたの覚悟はいかに。(KE)

神様は、その心を自在に操ることが出来ます

4月26日
「王の心は、主の手のうちにあって、水の流れのようだ、主はみこころのままにこれを導かれる」。箴言21:1

最近はあまりいないようですが、昔の王様は専制君主であって、横暴に振る舞う暴君だと恐れられたものです。どんなことも、思い通りにしようとします。他人の意見や忠告を聞くような人ではありません。しかし、どんなに頑迷固陋な人であっても、神様が握られると、ホースで水を意のままに動かすように、その心を自在に操ることが出来ます。(KE)