12月27日
「わたしは耐え忍んで主を待ち望んだ。主は耳を傾けて、わたしの叫びを聞かれた。」詩篇40:1
悩みの中にあるとき、その苦しみを訴え、聞いてくれるものがあるのは、どれほど心休まることでしょうか。身近な人にも知ってもらえないときにも、言葉にならないうめきを主は聞いてくださいます。主は聞くだけに終わらず、必ず答えてくださいます。信じて、待ち望みましょう。神様はあなたが頼りにしてくれることを喜んでおられます。遠慮しないで、安心して呼び求めましょう。(KE)
12月27日
「わたしは耐え忍んで主を待ち望んだ。主は耳を傾けて、わたしの叫びを聞かれた。」詩篇40:1
悩みの中にあるとき、その苦しみを訴え、聞いてくれるものがあるのは、どれほど心休まることでしょうか。身近な人にも知ってもらえないときにも、言葉にならないうめきを主は聞いてくださいます。主は聞くだけに終わらず、必ず答えてくださいます。信じて、待ち望みましょう。神様はあなたが頼りにしてくれることを喜んでおられます。遠慮しないで、安心して呼び求めましょう。(KE)
12月25日
「初子を産み、布にくるんで、飼葉おけの中に寝かせた。客間には彼らのいる余地がなかったからである。」ルカ2:7
クリスマスおめでとうございます。イエス様が生まれて下さった時、主を迎える部屋すらありませんでした。その理由は「余地がなかった」からです。客間はありましたが、他の客で一杯だったのです。今日、イエス様はあなたの心に生まれようとしています。でも、主を迎える余地のないほど、忙しく、世の事で心は一杯ではないでしょうか。早く、心を整えて主を迎えて下さい。(KE)
12月24日
「だから、わたしたちは落胆しない。たといわたしたちの外なる人は滅びても、内なる人は日ごとに新しくされていく。」第二コリント4:16
生活環境、身体的な状況、家族関係など、日々の生活を営む境遇は、時々刻々崩れ、変化していきます。そのような条件に望みを掛けている限り、失望と落胆しかありません。しかし、神様を信じる時、霊的ないのちが与えられ、その命はあなたを日ごとに新しくして、望みと喜びをあたえます。しかも、決して消えることはありません。(KE)
12月23日
「わたしたちは神の作品であって、良い行いをするように、キリスト・イエスにあって造られたのである。」エペソ2:10a
最近注目を集めるロボットは、動作・行動を司るコンピュータにあらかじめプログラムを組み込みます。その指示に従って、動くようになります。イエス様を信じると、私達の内に新しいプログラムが組み込まれ、神様の思いにかなった思考や行動が始められます。外見は変わらずとも、行動や動作、考えが変わります。神様の御心にそえるものとなりたいものです。(KE)
12月22日
「われわれは神のうちに生き、動き、存在しているからである。」使徒17:28a
神様はどこにいらっしゃるのかと、問われますが、あそこに、ここに、と答えることはできません。神様はあなたの外側に離れているのではないからです。あなた自身が神様の存在の中に取り込まれているのです。神様はどんな時でも、どんな所にでもおられ、あなたは神様から離れて存在することはできないのです。あなたが存在する事自体が神様の存在を証明しています。(KE)
12月21日
「聖なるものを犬にやるな。また真珠を豚に投げてやるな。恐らく彼らはそれらを足で踏みつけ、向きなおってあなたがたにかみついてくるであろ
う。」マタイ7:6
その物の価値が分からないものにとって、それは無用の長物であるばかりか、むしろ危害を加えるものに思われるでしょう。神様の救いも同じ事です。その良さが分かれば、求めずにおれません。その価値を認め、求めるものにのみ、与えられる神様の恵みです。神様のかけがえのない救いを取り逃がさないように。(KE)
12月20日
「小事に忠実な人は、大事にも忠実である。そして、小事に不忠実な人は大事にも不忠実である。」ルカ16:10
小さな事だからと気を抜いて、いい加減にあしらう人は、大切な大きな事にも抜けることが多いものです。日頃から、事の大小にかかわらず、神様から与えられた事として、心を込めて全力を尽くすように努めたいものです。その時になったら、きちんと出来ると横着になるのは、神様を侮ることです。必ず報いを受けます。(KE)
「人は、そのよわいは草のごとく、その栄えは野の花にひとしい。風がその上を過ぎると、うせて跡なく、その場所にきいても、もはやそれを知らない。」詩篇103:15-16
人の一生は一瞬の間に終わるはかないものですが、それと同時に、人の存在自体も実に軽いものです。消え去って跡形もなくなるのです。そのような人生を尊い価値あるものとしてくれるのは、神様が私たちを大切なものとして、永遠のいのちに加えてくださることを信じるほかありません。
(KE)
12月18日
「本人が罪を犯したのでもなく、また、その両親が犯したのでもない。ただ神のみわざが、彼の上に現れるためである。」ヨハネ9:3
人の罪ゆえに受ける災難があります。それは自業自得と言うほかありませんが、そうでなくて、不幸や悲しみに見舞われることがあります。「どうして?」と、途方に暮れ、力を失いますが、神様は決して理由なく不幸や災いを起こしているのではなく、その事を通して神様のわざを表そうとされるのです。神様の思いと計りごとの中にあることを信じてください。(KE)
12月17日
「死んだはえは、香料を造る者のあぶらを臭くし、少しの愚痴は知恵と誉よりも重い。」伝道10:1
どんなに犠牲・献身をして事をなしても、最後に一言愚痴ったり、つぶやいたりすれば、それまでの努力や勤勉は一瞬にして無に帰してしまいます。そうならないためには、人からの賞賛、誉、報いを期待しないで、神様からの報いを望むことです。人がどのように評価しようと、神様は全てをご存知であることを信じましょう。気づかないうちに、つい愚痴やため息が出てきます。(KE)