私たちは主のみ手に明日は握られていると知っています

4月25日
「あすのことを誇ってはならない、一日のうちに何がおこるかを知ることができないからだ」。箴言27:1

親鸞聖人は「明日ありと 思う心の あだ桜 夜半に嵐の吹かぬものかは」と詠いました。いずれにしても、明日のことは誰にも分らないということですね。しかし、私たちは主のみ手に明日は握られていると知っています。しかも、神様は私たちを愛してやまない方ですから、最善の道を備えておられると信じます。とはいえ、私達が生きるのは今のときしかありません。明日のことを忘れ、今日を十分に楽しんで生きてください。(KE)

なぜなら、神様があなたの人生に介入しておられるからです

4月24日
「主よ、あなたはみわざをもってわたしを楽しませられました。わたしはあなたのみ手のわざを喜び歌います」。詩篇92:4

私たちは生まれたときから、自分の人生は自分で作るものだと思っているのではないでしょうか。自分が考えたように、期待したように物事が進むこと願うところがあります。しかし、現実はそのように行きません。なぜなら、神様があなたの人生に介入しておられるからです。神様に造られてこの世に生まれ、この世にある日々を造り、持ち運んで、今に至ったのです。神様の目的は私たちを喜ばせ、楽しませるためです。大いに喜び、感謝しましょう。(KE)

聖書の言葉こそが私達の歩みを導いてくれます

4月23日
「あなたのみ言葉はわが足のともしび、わが道の光です」。詩篇119:105

私達の生活は次々と革新的な便利さ、快適さを受けて、明るい未来を期待させますが、現実の世相を見ると、どこにも慰めや望みとなるものはありません。古来から言われているように、「一寸先は闇」です。否、足元すら見えない漆黒の闇の中を手探りで進んでいるようです。このような暗やみの中で、何を頼りに生きればいいのでしょうか。その回答がこのみ言葉です。聖書の言葉こそが私達の道を照らし、歩みを導いてくれます。
(KE)

私達もアブラハムと同じく信仰の完成に向かって進んでいます

4月22日
「彼はこの神、すなわち、死人を生かし、無から有を呼び出される神を信じたのである」。ローマ4:17b

アブラハムの信仰について語られた一節です。信仰の父と呼ばれるアブラハムも、最初からそうだったのではありません。いろんな失敗や間違いを犯しながら、主の忍耐の故に憐れみを受けつつ、ついには愛するイサクを捧げる者となります。今、私達も彼と同じく信仰の完成に向かって進んでいます。失望しないで、全能の神様を信じる揺るがない信仰に立ち得るよう、耐え忍びましょう。(KE)

彼らは祈りと讃美によって力を得たのです

4月21日
「真夜中ごろ、パウロとシラスとは、神に祈り、さんびを歌いつづけたが、囚人たちは耳をすまして聞きいっていた」。使徒16:25

パウロとシラスは初めてピリピの町にきました。そこで伝道して救われる人も与えられましたが、占いをする女奴隷に付きまとわれ、争いごとに巻き込まれて、牢に入れられました。初めての地で、理不尽にも囚われの身となり、不安のなかに置かれたことでしょう。しかし、その中で彼らは祈りと讃美によって力を得たのです。今日、あなたが恐れに捕らわれていますか、不安の中にいますか。だったら、祈りましょう。賛美しましょう。(KE)

私たちは何をもって神様に隠すことができるでしょうか

4月20日
「主よ、あなたはわたしを探り、わたしを知りつくされました」。詩篇139:1

神様はあなたのことをすべて余すところなく知っておられると言われます。この言葉に続いて、「あなたはわがすわるのも、立つをも知り、遠くからわが思いをわきまえられます」と言われます。私たちは何をもって神様に隠すことができるでしょうか。あなたの過去も、今も、将来も、ことごとく知りつくしておられるのです。こうなったらお手上げです。潔く主の手にゆだねようではありませんか。(KE)

造り主を忘れて、不安と恐れに力を失ってしまったのです

4月19日
「主こそ神であることを知れ。われらを造られたものは主であって、われらは主のものである。われらはその民、その牧の羊である」。詩篇100:3

私たちは神様によって造られたものです。そうでありながら、造り主を忘れてしまったのはどこからでしょうか。その結果、迷える子羊となり、飢え渇き、寒さに震え、不安と恐れに力を失ってしまったのです。もう一度、原点に帰って、誰に造られ、誰のものであるか、誰が養ってくださるのかしっかり確認してください。(KE)

神様の赦しは跡形もなく消し去ってくださるのです

4月18日
「わたしはあなたのとがを雲のように吹き払い、あなたの罪を霧のように消した。わたしに立ち返れ、わたしはあなたをあがなったから」。イザヤ44:22

雨の後には水たまりが出来、風が吹けば枯葉やごみが吹き溜まります。必ず、結果である痕跡は残ります。私達の罪や咎もどんなにしてもきれいさっぱり消してしまうことは出来ません。しかし、神様の赦しはそのような不完全なものではなく、雲や霧のように跡形もなく消し去ってくださるのです。神様の赦しをいただく人は、なんと幸いなことでしょう。(KE)

私達も「苦しみの炉」を通らなければならないのです

4月17日
「見よ、わたしはあなたを練った。しかし銀のようにではなくて、苦しみの炉をもってあなたを試みた」。イザヤ48:10

貴金属と言われる金や銀も、本来土くれの中にあった鉱石です。そこから貴重な金銀を取り出すには様々な加工が加えられます。また、取り出した金属が貴重なものとなるには、更なる精錬が必要です。高熱の炉に入れて不純物を取り除きます。同様に、私達も神様の性質にまで清められるため、「苦しみの炉」を通らなければならないのです。それは厳しい試練ですが、耐え忍んで通り抜けた時、貴金属にも勝る貴重な、朽ちることのないものとなります。(KE)

あなたの今日の一日を創造し、生きる者として下さるのです

4月16日
「わたしに呼び求めよ、そうすれば、わたしはあなたに答える」。エレミヤ33:3a

私たちの信じる神様は、生ける神です。その意味は、打てば響き、呼べば応える方と言うことです。呼んでも叩いてもウンともスンとも言わない、死んだ方ではありません。あなたの今日の一日を創造し、生きる者として下さるのです。だから、ことごとく、どんなことでも祈り、願い、求めればいいのです。必ず応答してくださいます。(KE)