8月14日
「主よ、われわれをお恵みください、われわれはあなたを待ち望む。朝ごとに、われわれの腕となり、悩みの時に、救となってください。」イザヤ33:2
人の努力や力でなんとか成功しようとしても思うように、また願うように事は進みません。限りある人間の力ですから、それは当然のことです。人の僅かな力を幾倍にも豊かにすることが出来るのは神様です。朝ごとに、主を待ち望み、あなたの力と努力が、神様の祝福によって増し加えられるように祈ろうではありませんか。(KE)
8月14日
「主よ、われわれをお恵みください、われわれはあなたを待ち望む。朝ごとに、われわれの腕となり、悩みの時に、救となってください。」イザヤ33:2
人の努力や力でなんとか成功しようとしても思うように、また願うように事は進みません。限りある人間の力ですから、それは当然のことです。人の僅かな力を幾倍にも豊かにすることが出来るのは神様です。朝ごとに、主を待ち望み、あなたの力と努力が、神様の祝福によって増し加えられるように祈ろうではありませんか。(KE)
8月13日
「人は心に自分の道を考え計る、しかし、その歩みを導く者は主である。」箴言16:9
人は自分の決断と行動でものごとが進むように思っています。うまく行かない時は、人や状況・境遇が原因で不都合になったと考え、非難したり、不幸を嘆いたりします。しかし、自分の思い通りの人生を生きることは決して出来ません。神様の許しがなければ事は成らないのです。自分の思いが通るなら、主の許しがあるからで、通らなければ、それは主がとどめられたからです。(KE)
8月12日
「天地は滅びるであろう。しかしわたしの言葉は滅びることがない。」マタイ24:35
私達の目に見えるものは全て滅び去って、失せてしまうものです。これだけは永遠に続くと思っていても、世にあるものは相対的な存在ですから、永遠不滅ではありません。ただ、神様の言葉、聖書の言葉だけは決して変わることも、滅亡することもないのです。だから、このみ言葉に信頼し、信じる者は永遠の命に生きることができます。どうぞ、みことばから不滅の力を得て下さい。(KE)
8月11日
「すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。」マタイ11:28
重荷を負って苦労している人を招くような人は珍しいことです。ややこしい事情があり、人生に行き悩む人を友達にしようと願う人は誰もいません。ただイエス様だけが招いてくださるのです。あなたに悩みがあり、行き詰まる問題がありますか。だったら、是非、イエス様を呼び求めて、すべての重荷を打ち明け、心を空っぽにしましょう。平安が溢れます。(KE)
8月10日
「わたしに呼び求めよ、そうすれば、わたしはあなたに答える。そしてあなたの知らない大きな隠されている事を、あなたに示す。」エレミヤ33:3
神様はあなたが呼び求めること、祈ることを待っておられるのです。求めれば答えてくださると信じるとき、その方にあなたは呼び求めるはずではないでしょうか。神様をそのような信頼に足る方であると告白するのが、祈りです。今日も主はあなたにとって頼りがいのある方となってくださいます。信じて祈り求めましょう。(KE)
8月9日
「あなたは冷たくもなく、熱くもない。むしろ、冷たいか熱いかであってほしい。」黙示3:15 bc
曖昧模糊として、白黒をはっきりさせないのが、和をもって尊しとする日本の慣習のようなところがあります。そのため、立場をハッキリさせるべきときにいい加減にしてしまうことになります。殊に、神様に対する態度が中途半端であっては恵みを受けることができません。神様を信じるのか、信じないのか、しっかりと態度を決めたいものです。神様は義と不義とを峻別なさる方です。(KE)
8月8日
「主は愛する者を訓練し、受けいれるすべての子を、むち打たれるのである。あなたがたは訓練として耐え忍びなさい。神はあなたがたを、子として取り扱っておられるのである。」ヘブル12:6-7
試練や訓練は好ましいもの、願わしいものではありません。しかし、それによって鍛えられるとき、美しくなります。手入れされず、放り出されるなら、無秩序と混沌におちいり、醜悪です。神様は愛するゆえに、あなたを神の作品として仕立てようとなさるのです。(KE)
8月7日
「キリストがわたしたちのために死なれたのは、さめていても眠っていても、わたしたちが主と共に生きるためである。」第一テサロニケ5:10
イエス様は十字架に死んで、私達の罪を一切赦してくださったばかりか、よみがえることによって、いつでも、どこでも、私達と共に生きる者となって下さいました。今日も、主はあなたと共に生きておられます。しかも、あなたを導く主となって。目には見えませんが、主が共にいらっしゃることを信じて導きを求めて下さい。(KE)
8月6日
「だから、愚かな者にならないで、主の御旨がなんであるかを悟りなさい。」エペソ5:17
「主の御旨」を悟ること。これが人の生きる道しるべです。「どうして?」と思う事柄にいつもぶつかります。そこで考えるべき事は、神様のみ思いはなんだろうかということです。闇雲に身の不幸を嘆き、悲しむのではなく、心を静めて、深く主の御旨はいかにと、謙遜になろうではありませんか。主の思いを悟るとき、平安と望みが与えられます。(KE)
8月5日
「苦しみにあったことは、わたしに良い事です。これによってわたしはあなたのおきてを学ぶことができました。」詩篇119:71
苦しみ、悩みにあうことは嫌なことです。できれば会いたくありません。しかし、神様は決して無意味な困難を与えるかたではなく、苦難を通ることによって、そこでしか得られない神様の恵みがあるのです。「苦しみ」を「良い事」と言えるとき、人生の勝利者ではないでしょうか。その秘訣は、神様が善きことをしてくださると信じることです。(KE)