神様の裁きに委ねることが最善の道です

3月28日

「善をおこなって苦しむことは―それが神の御旨であれば―悪をおこなって苦しむよりも、まさっている」。第一ペテロ3:17

 この世にあって、公平・正義を求めても得られません。ましてや、善をおこなって正当な評価を期待しても失望に終わります。ただ神様は義なる方です。この方の裁きに委ねることが最善の道です。神様のみ旨であると信じるなら、躊躇せず行動すべきです。(KE)

今日の通読箇所

イザヤ書15章

ルカによる福音書19章

約束を信じて先を望み見ることができます

3月27日

「その日には、天は燃えくずれ、天体は焼けうせてしまう。しかし、わたしたちは、神の約束に従って、義の住む新しい天と新しい地とを待ち望んでいる」。第二ペテロ3:12b-13

 「その日」とは終末の日のことです。その日その時がいつであるか、誰も知りません。しかし、その日は必ず来ると繰り返し語られています。神様のみ心は計り知れませんが、いつどのような事態が起ころうと、神様の約束を信じて先を望み見ることができます。「その日」は終わりであるとともに、新しい始まりでもあるからです。(KE)

今日の通読箇所

イザヤ書14章

ルカによる福音書18章

人は神様に適うことはできません

3月26日

「この神こそ、その道は完全であり、主の言葉は真実です。主はすべて寄り頼む者の盾です」。詩篇18:30

 神様と人とは対立する関係ではありません。神様は全能者であり、万物の創造者です。人がどんな事をしてみても、この方に適うことはできません。この方を離れるなら、人は不完全な者となり、また不真実なものとなります。常に主を前に置き、そのみ言葉に従う時、造られた者の使命が全うされるのです。(KE)

今日の通読箇所

イザヤ書13章

ルカによる福音書17章

神様は近くあって欲しいと願っています

3月25日

「見よ、あなたに遠い者は滅びる。あなたは、あなたにそむく者を滅ぼされる。しかし神に近くあることはわたしに良いことである」。詩篇73:27-28a

 世間では、神様は何をされるか分からないから、出来るだけ遠くに祀るそうです。人は自分のために必要な時だけ、神頼みとなりますが、神様は出来るだけご自分に近くあって欲しいと願っています。神様は愛に満ちた方ですから、決して懲らしめたり、祟ったりはしません。十字架を立てて、ご愛を見せてくださいます。神様の懐に飛び込んでください。(KE)

今日の通読箇所

イザヤ書12章

ルカによる福音書16章

主が望んでいるのは「聞き従う」ことです

3月24日

「わが民よ、聞け、わたしはあなたに勧告する。イスラエルよ、あなたがわたしに聞き従うことを望む」。詩篇81:8

 神様が私たちに求めていることは、高価な捧げものでもなく、犠牲献身の行いでもありません。主が望んでいるのは「聞き従う」ことです。私たちは自分の願いや求めることを語るには熱心ですが、どれほど主の声を聞いているでしょうか。今一度、自らを省みて、主のみ声を聞こうではありませんか。(KE)

今日の通読箇所

イザヤ書11章

ルカによる福音書15章

実を結ばなくては、無駄になるだけです

3月23日

「また、いばらの中にまかれたものとは、御言を聞くが、世の心づかいと富の惑わしとが御言をふさぐので、実を結ばなくなる人のことである」。マタイ13:22
 
 どんなに良い言葉であっても、それが心の中に留まり、成長して実を結ばなくては無駄になるだけです。私たちを取り巻く世界は誘惑の多いところです。そのためせっかくの言葉が消えてしまうのです。普段の生活のなかで聞こえてくる雑多な言葉を取捨選択するよう十分に気をつけたいものです。(KE)

今日の通読箇所

イザヤ書10章

ルカによる福音書14章

私たちは神の作品ですが、未完成です

3月22日

「そして、あなたがたのうちに良いわざを始められたかたが、キリスト・イエスの日までにそれを完成して下さるにちがいないと、確信している」。ピリピ1:6

 わたしたちは「神の作品」と言われています。製作者は神様です。しかし、まだ完成品ではありません。今なお制作の途中にありますが、すでに完成図は出来ています。それが具体化するときは、キリストの日、すなわち終末のときです。今、不完全な自分を見ると失望しますが、終わりの日までに完成されるとの約束です。今日も新しくされる望みをもって、生きてください。(KE)

今日の通読箇所

イザヤ書9章

ルカによる福音書13章

内なる人が弱ると、生きる力を失います

3月21日

「どうか父が、その栄光の富にしたがい、御霊により、力をもってあなたがたの内なる人を強くして下さるように、…」エペソ3:16

 人は、身体を取り巻く「外なる人」と、こころ、魂、霊魂などと言われる「内なる人」とで出来ています。たとえ「外なる人」が強くても、「内なる人」が弱ると、生きる力を失います。では、何によって「内なる」人を強くできるでしょうか。神の御霊によるほかありません。そのために、祈りを欠かさず、霊の力を求めましょう。

今日の通読箇所

イザヤ書8章

ルカによる福音書12章

神様は私たちを救い出して下さったのです

3月20日

「あなたがたの救われたのは、実に、恵みにより、信仰によるのである。それは、あなたがた自身から出たものではなく、神の賜物である」。エペソ2:8

 私たちは神を知らず、キリストにも縁のないもので、永遠の滅びに定められたものでした。しかし、神様はそのような私たちを憐れんで、御子の命によって救い出して下さったのです。まだ罪人であったとき、すでに神様はあなたの救いを決めておられ、時満ちて救いを与えてくださいました。神様の一方的な恵みによるものです。感謝するほかありません。(KE)

今日の通読箇所

イザヤ書7章

ルカによる福音書11章

眠れないまま賛美し、祈っていました

3月19日

「真夜中ごろ、パウロとシラスとは、神に祈り、さんびを歌いつづけたが、囚人たちは耳をすまして聞きいっていた」。使徒16:25

 アジア各地で福音を語る機会が閉ざされ、マケドニヤの植民都市ピリピに来ます。そこでトラブルに巻き込まれた彼らは捕らわれの身となりました。牢獄に入れられ、眠れないまま賛美し、祈っていました。他の囚人たちも聞き入っていたのです。彼らも自分の身がどうなるか不安だったでしょう。失望しないで、祈り、賛美するところに主が共におられることを実感体験することができます。(KE)

今日の通読箇所

イザヤ書6章

ルカによる福音書10章