父なる神様に願って下さったのです

5月12日

「わたしがお願いするのは、彼らを世から取り去ることではなく、彼らを悪しき者から守って下さることであります」。ヨハネ17:15

 最後の晩餐が終わったときの主の祈りです。悪は私たちを主から切り離そうと強力に襲ってきます。自分の力で立ち向かうことはできません。だから、主は父なる神様に願って下さったのです。この祈りは、天に帰られ、父の右に座しておられる今も、今日も、主は祈ってくださいます。主の守りの御手を信じて、遣わされましょう。(KE)

今日の通読箇所

イザヤ書60章

使徒行伝19章

神様以外に造物主はおられないからです

5月11日

「あなたはわが内臓をつくり、わが母の胎内でわたしを組み立てられました。わたしはあなたをほめたたえます。あなたは恐るべく、くすしき方だからです」。詩篇139:13-14a

 人が人を造ることはできません。神様以外に造物主はおられないからです。神様は母親の胎を用いてやがて完成されるであろう人のすべてを仕組まれます。新生児には将来の機能や能力の種がすべて宿っています。当事者である本人もそれを知りません。人は不思議に満ちているではありませんか。(KE)

今日の通読箇所

イザヤ書59章

使徒行伝18章

奇跡を見て信じると悲劇を見て絶望します

5月1日

「イエスは答えて言われた、「よくよくあなたに言っておく。だれでも新しく生れなければ、神の国を見ることはできない」。ヨハネ3:3

イエス様のなさる奇跡を見て、「あなたは神から遣わされた教師だ」と言ったユダヤ人の指導者に、主は御自身の十字架を暗示されました。見える奇跡によって信じる者は、見える悲劇に絶望しやすくもあるからです。イエス様は私達が、見える現実の背後に広がる、見えない神様の愛に目を留めるよう願っておられます。(MK)

今日の通読箇所

イザヤ書58章

使徒行伝17章

神様を信じる時、感じる事ができるのです

5月9日

「風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞くが、それがどこからきて、どこへ行くかは知らない。霊から生れる者もみな、それと同じである」。ヨハネ3:8
 
 私達は風の姿を見ることはできませんが、揺れる木々や花々の様子から、その存在を確かなものと信じています。神様もまた目で見ることはできませんが、この方を信じる時、どれほど豊かに私達の日常に関わり、働いて下さっているかを感じることができるのです。 (MK)

今日の通読箇所

イザヤ書57章

使徒行伝16章

神を味わう時間がどれほどあるでしょうか

5月8日

「主の恵みふかきことを味わい知れ、主に寄り頼む人はさいわいである」。詩篇34:8
 
 私達は神様が恵み深く、憐みに富んでおられることを知ってはいますが、それを噛みしめるが如く味わう時間が、一日にどれほどあるでしょうか。不平不満ばかりを反芻することに時間を割いてしまうのでは、神様に申し訳が立ちません。 今日という日が、神様の与えてくださる恵みと幸いを味わい知る一日になりますように。(MK)
 

今日の通読箇所

イザヤ書56章

使徒行伝15章

播く種が少なければ、収穫も少ないのです

5月7日

「わたしの考えはこうである。少ししかまかない者は、少ししか刈り取らず、豊かにまく者は、豊かに刈り取ることになる」。第二コリント9:6

 農家の方は身に沁みて知っていることでしょう。播く種が少なければ、当然、収穫も少なくなることを。それは作物に関してだけではありません。私たちの日々の生活でもしばしば体験することです。勿論、報いを期待して播くわけではありませんが、身銭を切って播かれた種を育て、成長させてくださるのは神様です。(KE)

今日の通読箇所

イザヤ書55章

使徒行伝14章

今日はだれに服従して生きようとしますか

5月6日

「あなたがたは知らないのか。あなたがた自身が、だれかの僕になって服従するなら、あなたがたは自分の服従するその者の僕であって、死に至る罪の僕ともなり、あるいは、義にいたる従順の僕ともなるのである」。ローマ6:16

 人は弱い者で、何かに頼らなければ生きることができません。人を頼み、お金を頼み、手当たり次第に頼っては、痛い目に遭います。今日はだれに、何に、服従して生きようとしますか。あなたが命に至る主に服従するなら、なんと幸いなことでしょう。(KE)

今日の通読箇所

イザヤ書54章

使徒行伝13章

幼子は、素直に信じて疑う事を知りません

5月5日

「よく聞いておくがよい。だれでも幼な子のように神の国を受けいれる者でなければ、そこにはいることは決してできない」。ルカ18:17

 イエス様は幼子を愛して、ご自分の許に招かれました。確かに、幼子、殊に乳幼児は可愛いですね。なぜなら、大人に頼らなければ生きられない弱い者であり、素直に信じて疑う事を知りません。私たちが幼子のように主に頼り、主を頼みとすることを願っておられます。私たちが主に依らなければ生きられないからです。(KE)

今日の通読箇所

イザヤ書53章

使徒行伝12章

私たちを生かし、一日を備えられるのです

5月4日

「だれが、主の心を知っていたか。だれが、主の計画にあずかったか。また、だれが、まず主に与えて、その報いを受けるであろうか」。ローマ11:34-35

 神様は全能者、どんな事でもご自分で為すことができます。だから、誰にも相談したり、手助けを必要としません。独立独歩です。生殺与奪の権力を持っておられる方が、私たちを生かし、一日を備えられるのです。今日も何が起るか分かりません。神様の為さることですから。しかし、恐れることはいりません。神様は愛なる方ですから。(KE)

今日の通読箇所

イザヤ書52章

使徒行伝11章

赦すことは、私達に最も難しい事でしょう

5月3日

「イエスは彼に言われた、「わたしは七たびまでとは言わない。七たびを七十倍するまでにしなさい」。マタイ18:22
 
 何度まで人をゆるすべきかと問われた際のイエス様の答えです。単純計算では490回ですが、これは永遠にゆるし続けなさいという意味です。ゆるすということは、私達にとって最も難しいことの一つでしょう。ゆるせない私達を、それでも赦してくださった主に感謝するばかりです。(MK)

今日の通読箇所

イザヤ書51章

使徒行伝10章