9月28日
「主ご自身、試錬を受けて苦しまれたからこそ、試錬の中にある者たちを助けることができるのである。」ヘブル2:18
イエス様は人の世に降ってくださいました。それによって、私たちの悩みや苦しみを共有し、思いやることができるようになるからです。主も同じ試練を受けられたゆえに私たちの祈りを真実にとりなして下さいます。また、それゆえに同じ試練にある私たちも大きな慰めを受けます。今日も、あなたのそばにいらっしゃる主は、共に喜び、共に涙してくださるのです。(KE)
9月28日
「主ご自身、試錬を受けて苦しまれたからこそ、試錬の中にある者たちを助けることができるのである。」ヘブル2:18
イエス様は人の世に降ってくださいました。それによって、私たちの悩みや苦しみを共有し、思いやることができるようになるからです。主も同じ試練を受けられたゆえに私たちの祈りを真実にとりなして下さいます。また、それゆえに同じ試練にある私たちも大きな慰めを受けます。今日も、あなたのそばにいらっしゃる主は、共に喜び、共に涙してくださるのです。(KE)
9月27日
「わが岩、わがあがないぬしなる主よ、どうか、わたしの口の言葉と、心の思いがあなたの前に喜ばれますように。」詩篇19:14
あなたはだれに喜ばれようとしていますか。あなたの言葉や行動が神様に受け入れられるかどうかを基準にしているなら、まことに幸いなことです。また、それが人としての生き方です。人に喜ばれたり、世間の流れに従っている限り、正しい生き方をまっとうすることができません。今日も、言葉と思いが神様に喜ばれるようにと祈りましょう。(KE)
9月26日
「空の鳥を見るがよい。まくことも、刈ることもせず、倉に取りいれることもしない。それだのに、あなたがたの天の父は彼らを養っていて下さる。」マタイ6:26
自分の力と努力で生きていると思うなら、大間違いです。今日も天にいます父なる神様はあなたを養ってくださいます。ですから、何を思い煩うことがあるでしょうか。親が子を養うようにあなたの必要をすべて知っておられます。この言葉に続いて、あなたがたは彼ら(鳥)よりも、はるかにすぐれた者ではないかと語られています。(KE)
9月25日
「それだから、キリストの力がわたしに宿るように、むしろ、喜んで自分の弱さを誇ろう。」第二コリント12:9b
自分の弱さを認めることは敗者になるわけではありません。むしろ、弱さを知る者ほど、強い者はいません。それ以上弱くなれないのですから。さらに、高慢にならず、謙遜になり、神様の前に自分を低くすることができます。その結果、神様の力を受け、自分のものではない力が現れるのです。弱さ、欠点、不足を感じるなら、感謝しようではありませんか。
9月24日
「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。」第一テサロニケ5:16-18a
幸いになる秘訣が三つありますが、その中でも要(かなめ)となるのが“祈り”です。喜べないことがあるとき、祈ってください。やがて喜びにかわります。また、感謝できないとき、祈ってください。感謝があふれてきます。このように“祈り”こそが、あなたに幸いをもたらす秘密のキーワードです。いつも喜んでおれる人は祈りの人です。その人はまたどんなことでも感謝できます。(KE)
「あなたの天幕の場所を広くし、あなたのすまいの幕を張りひろげ、惜しむことなく、あなたの綱を長くし、あなたの杭を強固にせよ。」イザヤ54:2
自分の持っている能力、財力などをあれこれと考えて、これが限界、これ以上は無理だと決めてしまいます。確かに、現実に足をつけて歩むことが堅実な生き方といわれますが、信仰に立って歩む道はそうではありません。荒唐無稽な現実離れをした夢を描くわけではなく、神様の力と知恵に期待して、“であるがしかし” と信じて踏み出すのです。(KE)
9月22日
「主なる神はこれらの骨にこう言われる、見よ、わたしはあなたがたのうちに息を入れて、あなたがたを生かす。」エゼキエル37:5
人が生きるのは肉体やそれを支える生活があるからではありません。確かに、それらも別の意味で「いのち」と言いますが、本当の命は神様から注がれます。それはみ言葉を通して与えられるものです。キリストのことばをこころに受け入れ、信じるとき、命が注がれ、血がかよい、力に満ちて、望みを抱いて輝くことができます。なんと枯れた骨が生きる者となるのです。(KE)
9月21日
「主よ、あなたは恵みふかく、寛容であって、あなたに呼ばわるすべての者にいつくしみを豊かに施されます。」詩篇86:5
神様から恵みを受ける秘訣は、まず主に呼ばわる者であること。へりくだって求める者に答えてくださるのです。それ以外に条件や資格はありません。しかし、へりくだることが難しいのです。苦しみの中、また悲しみのとき、助けを求めることを躊躇します。弱みを見せたくないと思うからです。自分の弱さを認めることがたいせつです。主は心広い方ですから、遠慮せずに主を求めましょう。(KE)
9月20日
「父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです。」ルカ23:34
これは十字架に掛けられたイエス様が父なる神様に祈って下さった言葉です。すべての人の罪を負うてくださった主は、今日も、神様にこの祈りによってとりなしておられます。主のご犠牲のゆえに、私たちは赦され生きることができるのです。このような尊い恵みをどれほど感謝しているでしょうか。どのような境遇にあろうと、主の深い憐みとご愛を感じて生きようではありませんか。(KE)
9月19日
「人の道は自分の目にことごとく潔しと見える、しかし主は人の魂をはかられる。」箴言16:2
自分のすることはどんなことでも良く見えるものです。同じことを他人がすると“よい”と言えません。しかし、自分は偏り見ることはないと自負します。それが自己中心の罪だと気がつきません。神様は義なる方であり、公平に裁かれる方です。しかも、見えない魂をはかられる方です。自分の罪を認めつつ、主が導かれるところに委ねる謙虚な姿勢を持ち続けたいものです。(KE)